《最終週 よくわかんないけど、それでいいと思う》

 今日が最後か。夏休み最終日、つまり夏休みの委員会も最終日だ。そう思うと、とてつもなく寂しくなる。

 今日も八時半頃に学校に着いて、カウンターの奥の席に座る坂東碧生に挨拶をした。

 それからしばらく自習をしていたら、坂東碧生の方から話を振ってきた。

「この前のお菓子、どうだった?」

 顔を向けて、おいしかったよと返す。確かに何箱か買っても飽きずに食べられそうな優しい甘さで、とてもおいしかった。

「ちょっと大事な話してもいいかな」

 消しゴムを拾ってもらったとき以来の真剣さで言われる。

「い、いいけど、どうしたの」

 動揺しつつも、つられて私も真剣モードに入る。

「誰にも言ってないんだけどさ」

「うん」

「井上って、恋愛したことある?」

「え?」

 初恋の相手にそんなことを言われるとは思ってもいなくて、取り乱しそうになる。

「えっと、それはどういう?」

 声が上ずりそうだ。身体が火照って熱い。顔が赤くなっていないだろうか。

「いや、井上が好きな子がいてもいなくても、それが誰でも何でもいいんだけど」

「うん」

 目を閉じる。吸って……吐いて。この後の展開が全く読めない。

「おれの話をするね」

「わかった」

 一呼吸おいて、坂東碧生は言った。

「おれ、まりんが好きなんだよ」

「まりん?」

「そう、真凛。真実に凛としているで真凛」

 何真凛だ? 学年の中に真凛ちゃんっていたっけ。違う小学校だった子? 学年外? 混乱が止まらない。

「よく、井上話聞いてくれたじゃん? で真凛の名前まで聞いてくれたじゃん。めちゃくちゃ嬉しかったし、何よりびっくりしたんだよ。ほんとに井上っていいやつだなって思って」

 話聞く? 名前が真凛? ……マリン?

「真凛ってそのシャーペンの?」

「そう。おれ、こいつが好きなの」

 坂東碧生が胸ポケットから大事そうに〈パートナー〉を取り出す。

 シャーペンの名前って、商品名じゃなかったのか……。

 予想外の斜め上を行く展開過ぎて、身体の火照りはどんどん鎮まっていく。そんな私の心情などそっちのけで坂東碧生は止まらない。

「こういうのを対物性恋愛って呼ぶのね。LGBTQIA+の中だと+だね。物が好きっていう。初恋の、一目惚れの相手なんだ、真凛は」

 直射日光の遮られた図書室のはずなのに、なぜか二人――一人と一本が輝いて見える。

 その直後、さっと坂東碧生に影がさす。

「この前教室で、『エッフェル塔とかアニメキャラとかが本気で好きで付き合ってる人とかいるんでしょ』とかって言ってたクラスメートがいてさ。でそれを聞いたそいつの友達、なんていったと思う?」

 疑問形だけれど、答えは待っていないようだった。坂東碧生はそっと真凛のことを撫でた。

「『多様性とかっていうけど、そこまでいくともう何でもありだよね。ちょっと怖い』って言ったんだよ。ああ、おれはあいつにとっては怖いやつなんだなって思ったよ」

 割と仲いいほうだと思ってたんだけどな。きゅっと唇を嚙むのが見えた。

「個性だ多様性だって学校でもよく言うじゃん。多様性は尊重すべきですって、そいつも多分聞かれたら言うんだと思うよ。でも多様性って単語がこうやって独り歩きしてるのが現実だったりしてさ」

 痛い。本気の言葉は痛い。坂東碧生は本気で喋っている。だから、その一言一言が刺さって痛い。

 坂東碧生はきっと、色々と思ってきたのだろう。あのずば抜けた思考回路で、たくさんたくさん悩んできたのだろう。多様性について、自分のことについて、摑みあぐねてきたのだろう。

「多様性って何なんだろうね」

「わかんないけど」

 言葉が零れた。

 わかんない。わかんない。人すら好きになったことがなかった私に、ペンへの想いなんてわからない。多様性を本気で考えたことのない私には、その問いの答えはわからない。わからないけど。

「よくわかんないけど、それでいいと思う。物が好きな人いるっていうことを私は知らなかったし、そういう体験をしたこともないからわかるよとは言えない。でもそれでいいと思う。真凛ちゃんのことを愛する坂東碧生のままでいいと思う」

 失恋したな。

 別に告白する予定もなかったし、淡い淡い恋心だったから失恋のショックなんてのはないけれど、何となく切なくて寂しい。

 でも私は、坂東碧生のこういうところが好きだったんだ。素っ気なく見えるけど実は優しくて、私の知らないことを知っていて、私とは違う見方と考え方を持っていて。そんな坂東碧生が私は好きだったんだ。

 だから言える。何度でも言える。

「共感は難しいけど、理解することも難しいけど、でもそのままでいいと思う。坂東碧生くんは怖くなんてないし、そのままでいいよ」

 勇気を持って言う。

「そのままの坂東碧生が、私は好きだよ」

 坂東碧生は不意打ちを喰らったような顔になった。

「ありがとう。初めて言った相手が、井上でよかった」

「私も、井上ひかりがそう言ってもらえる人間でよかった」

 好きな人の好きな人にはなれなかったけど、好きな人の大事な人になれた。だから切ないのに、寂しいのに、口角が上がってしまう。

「BAEって気になってたでしょ」

「うん」

 突然に言われて素直に頷く。初めの週のときと同じように優しく両手に乗せて、藍色の三文字を見せてくれる。

「これも英語のスラングで、Before Anyone Else、誰よりも大事な人みたいな意味なんだよね。って恥ずかしいな……!」

 恥ずかしいのは私の考察のほうだけれど、照れている坂東碧生はなんだか可愛かった。

「可愛いじゃん」

 笑ってそういうと無視された。

 これでよかった。というとネガティブに聞こえるけれど、前向きにこれでよかったと本気で思う。これがよかったとはいえないけれど、こうやって坂東碧生と話すことができてよかったと思う。






 私の夏休みは、こうして終わった。

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