《第五週 それが帰省なら、毎日しているよ》
朝八時から学校に行くとわざとらしいかと思い、八時半に着くように家を出ることにした。
相変わらず、坂東碧生は早く来ていた。そして冷房が二十九度でつけられていた。二十八度でも、寒かったんだろうか。ありがたさと申し訳なさを感じる配慮だった。
「おはよう、今日は早いんだね」
「おはよう。早く来ていいってせっかく知ったから来てみようかなって思って」
久しぶりに会えて、しかも先に話しかけてもらえて、早く来て本当に正解だった。
「あ、これ」
そういって差し出してきたのはクッキーだった。
「帰省したときのお土産、もしよければ」
用意してきてくれたことが単純に嬉しい。
「でも私、なんもお返しするものないよ」
「そんな大丈夫だよ」
「じゃあ遠慮なくもらっちゃうね。どこにいったの?」
「富山。父方が住んでいるから。井上は帰省したの?」
名前を呼ばれて心が弾む。弾みつつも、先のことを考えて言葉を選ぶ。
「私は特にないかな。てかあんまり帰省の意味がわかんないかも」
「んーなんか、親の実家に帰るみたいな」
真面目に返されて、言いにくくなった。でももう中学三年生だしな。
「それが帰省なら、毎日しているよ」
嫌みっぽくなってしまったかもしれない。もっと優しく言えばよかった。慌てて言い換える。
「えっと、親の実家にいつも帰っているというか何というか」
「あ、二世帯住宅みたいな?」
坂東碧生は聞いてきた。
「二世帯住宅……というよりも同居かな。私一歳の頃に名字変えて、お母さんの実家にお母さんと引っ越してきたの」
一歳の頃の記憶なんてないけど、私の人生の記録として知っている。
「……」
直接的には言ってないものの、両親が離婚していることが伝わったようだった。何か言いたいけど何を言ったらいいのかわからない。そんな表情だった。
沈黙は残酷だ。残酷の元凶を生み出した私が、責任を取らねばならない。
「大丈夫、聞いてくれるだけで。ていうか聞かせてごめん。帰省したいって思ったことはなくて、むしろ毎日会えて嬉しいって思ってる」
「そっか。確かに毎日会えるのはいいよね」
ここでやっと坂東碧生が喋った。胸ポケットに手を当てながら。
「おれは正月とお盆にしか会えないから、羨ましいわ」
心底羨ましそうに、坂東碧生は言った。そして続けた。
「そのお菓子さ、富山で有名なんだ。おれの家でもめちゃくちゃ人気だし、おいしいと思う。何箱か買ったから、母さんが一つ持ってけって」
「ありがとう。おいしくいただくね」
「うん」
坂東碧生は緊張が解けたように笑った。私も笑い返す。
「あと、エアコンつけておいてくれてありがとう。そういう気遣いありがたい」
「家でも最近はつけててさ。二十九度なんだけど」
「それでも意外と涼しいね」
「んね」
そう言って坂東碧生は相棒の、じゃなくてパートナーのシャーペンを胸ポケットから取り出した。私もかばんから勉強道具を取り出す。
坂東碧生は大変だねと言わなかった。
親が離婚していると言うと、父がいないと言うと、大抵「大変だね」とか「何かあったら頼ってね」と言われてきた。でも少なくともうちは大変じゃなかったし、普通に生活していた。母は働いていて中々一緒にいられないけれど、祖父母は優しく接してくれて悲しくなることはなかった。だから、相手の反応には何とも言えないもやもやを感じてきた。
坂東碧生は、そうではなかった。同情しなかった。流したわけでもなかった。ただただ私の話を聞いて、受け止めてくれた。それが私には、ものすごく嬉しかった。
坂東碧生に、この話をしてよかった。坂東碧生が、受け止めてくれる人でよかった。
坂東碧生の魅力に、また一つ気がついてしまった。やっぱり好きだな。そう思った。
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