《第三週 人間って、エゴのかたまりなんだな》

 さすがに暑かった。来たばっかりの頃はまだ大丈夫だったけれど、もう耐えられない。

 言い訳かもしれないが、いつも以上に勉強に集中できないのだ。数学の宿題が、もうすぐ一時間経つのに思うように進んでいない。

 今日は八月の十日だ。何てったって夏の盛りだ。窓のすぐそこに木が生えているから直射日光はないものの、やはり暑すぎる。しかも今日は風がない。坂東碧生の生存圏は異常な気がする。その坂東碧生はやはり余裕なのだろう、平然とシャーペンを動かしている。

「ねぇ」

 生存圏内で生きる坂東碧生に勇気を出して聞く。

「今日暑すぎるからさ、ほら、なんかこう、私がもし倒れちゃったりしたらそれこそ迷惑だろうから――」

 とても遠回りな表現になってしまう。「そんなに暑いかな」なんて言われてしまったらどうしよう。

「エアコンつける? いいよ」

 あっさり言われる。肩の力が抜けた。本当にいつでもつけてよかったんだ。今まで我慢しなくてもよかったのかもしれない。

「ごめん、じゃあちょっとつけさせてもらうね」

 遠慮がちに席を立って、窓やドアを閉めつつ入り口近くにある電源のところまで行く。

「二十八度とかでいい?」

「高めだけどいいの?」

 少し迷ってから答える。

「うん、大丈夫。付けるだけで楽になるから。温暖化対策にもなりそうだし」

 家では二十六度ぐらいだし、偽善者っぽいかな。

 そう思いながら電源を押す。エアコンの送風部分がゆっくりと開き始める。

「地球温暖化問題ってさ、なんか、不思議だよね」

 やはり拾われたか。適当なことを言うんじゃなかった。とりあえず聞き返してみる。

「不思議?」

「人間って、エゴのかたまりなんだなって、つくづく思わされる」

 エゴ? 思っていたのと違って対応に困る。

「温暖化は人間のせいだっていうじゃん。人間が人間のためを追求したから」

「産業革命とか森林伐採とかってこと?」

「そうそう。でもさ、温暖化対策って何なのかなあっていうの、ずっと思ってるんだよね」

「何なのかなって……暑くなっちゃうと熱中症とかあるからじゃない?」

 待ってましたとばかりに、坂東碧生は私の発言に食いついてきた。

「それ、人間のためじゃん」

 勢いよく言われて、反射的に言い返してしまう。

「えでも生態系とか守らないとだし」

「今までも氷河期とかあったけどね」

「けど今回の温暖化の原因は人間にあるから……」

 反論しつつも心が揺り動かされる。

「そう。人間が人間のために始めて、人間のために終わらそうとしてるのってなんか、すごいよね。結局自分勝手だなあって。不思議。こんなことを思うのは反社会的かな」

 自嘲的に言われて、なんとも言いがたい。

 温暖化対策は大事だと思う。生態系の保全も大事だと思う。でもそういうことではないのだ。坂東碧生は大事じゃないとか偽善だとか、そういうことを言っているんじゃない。温暖化対策は誰にとっての何なのか。それを、考えているのだ。

 もう何も、言い返せない。

 図書室から声が消える。エアコンの音が大きく聞こえてくる。

「生物が生き残ろうとするのは当然のことだから、そういうもんなのかもしれないけどね」

 何が正しいのかわからなくなってきた。

「いつもそんなこと、考えているの?」

「まあ、いろいろと」

 ただひとつわかったのは、この同い年の少年の思考力は、生存域と同様に半端じゃないということだ。

 私と彼では、世界の切り取りかたが違うのだ。今それを、少し見せてくれた。少しだけでこんなに違うのだ。見えている世界は、追いかけている世界は私とは全くもって違うのだろう。

 坂東碧生には、どんな世界が見えているんだろう。

 彼の向かう未知の世界に、足を踏み出してみたいと思った。進んでいく彼の腕を、摑んでみたいと思った。

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