9章 内緒話は人気のない場所でこっそりと

 血生臭い二人が入ったのは、薄暗い教会だった。

 唯一の明かりがステンドグラスから差し込む陽光だけの教会は、本来なら入ることさえ憚られる。

 探偵と配信者が去った後のその場所は、相変わらず埃とカビの臭いが広がり、警察から逃走中という状態でもなければ入ることさえはばかられる。

 それでもこの場所に二人が入ったのは、全くと言っていいほどに人の気配がなく、それでいて祭壇や長座席などの身を隠せるものが多いからであった。

「いや~、ここしかなかったとはいえ、えらい汚いところやね~」

 まあしゃあない、と諦める薫は、礼拝堂の中央の席に埃が舞うのも気にせずに腰を下ろした。

「……」

 ともに入ってきたイワロフは警戒心を張り巡らせたままの表情で、カビの臭いの充満した堂内へ足を踏み入れた。

 ただでさえ厳めしい顔つきがさらに強張っているのは、先を行く女にこれまで以上の注意を払ってのことだろうか。

「そないな怖い顔せんと。こっち来て話そうや、お兄さん」

 ぽんぽんと自分の隣の席を叩く彼女は、いつも通りの柔和な顔。

 不気味なまでにいつも通り過ぎる薫の所作は、先程までの殺しですら日常であると言わんばかりの態度だった。

「……あ、ああ」

 口が乾くイワロフは、彼女の隣に腰掛ける。

 通路を挟んだ、隣の席を。

「……いけずやなぁ」

「? い、いけず?」

 聞き慣れない単語に困るロシア人、対する日本人は溜息とともに口を開いた。

「まぁええわ。それで、うちに言いたいことってなんなん?」

「あ、ああ」

 咳払いを一つした彼は、慎重に言葉を選んで話始める。

「な、なぜ、あの警官達を手にかけたんですか?」

「? ああ、あのお人らか」

 切った人間など気にも留めていなかった薫には、すでに記憶にさえ朧げになっていた。

「なんでも何も、敵対の感情があって、危害を加えようとしてきたから切り捨てた。それだけやで」

「……え? そ、それだけですか!?」

「? それだけやでぇ? 何かおかしいん?」

「あ、当り前ですよ!? 何の根拠もないじゃないですか!?」

 男にとって、彼女の答えは予想外だった。

 何か恨みや因縁のようなものがあったなら、理解はできた。

 だが、まさかあまりに直感的で感情的なことで殺したなど、合理性を主とする軍人の彼には合点がいかなかったのだ。

「根拠、ねぇ」

 男の反応に、女は嗤う。

 まるで、幼子をからかうかのように。

「そんなもん、何になるん? 根拠や理由がほしいんは、あんたはんが納得したいからやろぅ? あんたはんが理解したいから。安心したいから。つまり、そのどれもがあんたはんの都合やろぅ? そんなもん、うちに求められても困るわぁ。なんせこれは、うちの経験から来るもんやさかいなぁ」

「……」

「当たっとるやろぅ? なぁ、強面の怖がりはん?」

 ヤバい。

 この女、ヤバい。

 イワロフの脳に、更なる警鐘が響く。

 わからなかった。

 隣に座る女が、わからなかった。

 いっそのこと、この女が魑魅魍魎の類だと思う方が、まだ納得できただろう。

 まだ自分よりも年若く見えるこの女が、今は化生の化け物のように映り、イワロフのただでさえ弱いメンタルを抉りとる。

「……ふふ」

 薫が笑う。

「いや~、そんな怖がらんでもええよ? 人の言うことなんか気にしても、ええことあらへんで?」

「……あ、あなたが言っても、説得力がありませんよ」

「そうなんかねぇ? いろんな人にそう……ふふ」

「?」

「ああ、ごめんなぁ。昔、全く同じこと言うた子のこと思い出してたんよ」

 薫の視線が、ステンドグラスに向けられる。

 聖母に抱かれる救世主を描いたそれよりも、はるか遠くに想いを馳せながら。

「……元気かなぁ、サクヤはん」

「……どなたのこと思い出してるのかはわかりませんが、今のあなたを見たらそう思いますよ」

 呆れてため息をつく男に、そうなんかねぇ、と首を傾げる薫。

 その時だった。

 薫の目が、急に細くなる。

「……誰か、来はった」

「っ!?」

 即座に、二人は動く。

 一人は入口に。

 もう一人は座席の下に。

「そのまま隠れときぃ。この狭い室内やったら、銃よりもうちの刀の方が速い」

「……お、お願いします」

 頭を抱えて震えるイワロフを尻目に、薫は刀を抜いて上段に構える。

 扉が開いたら、振り下ろす。

 一切の油断も、慢心もなく。

 これから来る敵を、屠るために。

―――――さて、愉しませてくれるとええんやけどなぁ。

 鋭い目元とは裏腹に、彼女の口元は微かにほくそ笑む。

 そして、ゆっくりと扉が開いた。

 銃を手にした、ガンマンとともに。

 

 

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