2章 一室に3人、何か起きるはずもなく

「さあさあ! ここが今日の私の根城! まあまあ見た目はボロいけど、スマホよし! ゲストよし! さあて! 早速やっていこう!」

 一人テンション高くいそいそと準備を始めたのは、売れない動画配信者、ケンディ・ロックスターその人だ。

 ボロいホテルの一室は、その外観通りに隙間風が入るほどに安普請だった。

 備え付けのシングルベッドやソファでさえ、スプリングが壊れているのか、ケンディが腰を掛けただけで腰が沈みすぎる。

 急遽同室になった薫もソファに腰を下ろして、準備を進めるケンディの動きを興味深げに目で追っている。

 そして、この二人とは対照的に一人、文字通り怯えたように周囲に視線を動かす男が一人。

「……」

 イワロフ・カデンスキーだ。

 ひたすらオドオドとしているこのロシア人は、冷や汗を流しながらなぜこうなってしまったのかを考えることに思考を巡らせていた。

 ロビーでの一件の後、彼は勢いでこの二人のいる部屋の隣の部屋を予約させられてしまった。

 悪い笑みを浮かべるアメリカンレディに、完全に押し切られてしまっていたのだ。

 最悪、ここにいたのがケンディだけだったのなら、この気弱なロシア人でも逃げ出すことができただろう。

 だが、それができなかったのはもう一人の存在が、じっと冷静な視線のままこちらを見据えていたからに他ならなかった。

 軍属の経験のある彼には、薫がただ者でないことは一目でわかった。

 見た目はおっとりした大和撫子だが、その奥に潜む鋭い殺気は気弱な軍人を怯えさせるには十分すぎた。

 活発な黒人女性と、おしとやかな日本人女性。

 見る者からすれば羨ましいとさえ思うであろうシチュエーションなのだろうが、イワロフにとっては裸足で逃げ出したい位の状況だった。

「はいはい! ビビった顔しないでくださいよ! 通訳してほしいだけなんだから! ちゃんと報酬も弾むって!」

「……わ、わかりました」

「も~、固いな~」

 頬を膨らませるケンディは、壊れたソファにどっかりと腰を下ろした。

「改めまして、自己紹介でもしましょうか! あたしはケンディ・ロックスター! 動画配信者として活動してます! この町には配信のネタ探しに来ました! よろ~!」

 快活な調子で自己紹介をするケンディと名乗る女性に、薫は疑問符を頭に浮かべる。

「動画、配信者?」

「スマホやカメラを使って動画を撮影し、インターネット上にアップロードすることで娯楽を提供する人達のことです」

「? すまほ? いんたーねっと?」

 イワノフが解説を入れるが、薫は聞き慣れない単語が大量に入ってきたためか、ただただ意味不明な単語が脳内を巡る。

「はい! それじゃ次は、そこのサムライガール!」

「え、ええと、うち?」

 突然話を振られたことで我に返った薫は、咳ばらいを一つすると柔らかい微笑とともに口を開いた。

「神薙薫言いますぅ。こっちに来てからある人探して放浪してましたぁ。あんじょうよろしゅうお願いしますぅ」

 柔らかな一礼をする薫に、ケンディは大きく拍手を送る。

「おー! 流石ジャパニーズ・サムライ! 礼儀正しくて優しい感じでありがとう! でもなんか、何、人探し?」

「えぇ。ある人探して『さんふらんしすこ』から歩いて来たんよぉ」

「え、シスコから!? 脚強すぎね!?」

 そうなんかねぇ、と朗らかに薫は笑う。

『『いやこの人、本当に同じ人類か?』』

 ケンディとイワロフが冷や汗を垂らす。

「え、ええと、次! そこの通訳係! 自己紹介!」

「は、はいっ!?」

 何かを振り払うように、ケンディは強引に呆然としていたイワロフに指を突き出す。

「え、ええと、私はイワロフ・カデンスキー。ここには観光に来た」

「こんな寂れた町に観光なんて、変わったおっさんだね」

「い、いや~、ははは……」

 目を逸らして後頭部をかくイワロフから、乾いた笑いが漏れた。

 言えるわけがなかった。

『自分、ロシアから来たスパイです』などと、この二人の前で言えるわけがなかった。

「まあとりあえず、お互い自己紹介終わったところだし、急で悪いんだけどあたしの動画撮影に付き合ってくれない?」

「動画撮影、ですか?」

 ケンディの提案に、イワロフが聞き返す。

「そっ! さっきも言ったけど、あたし動画配信者でここにはそのネタ探しに来たんだ」

「あぁ、確か、挨拶の時にそう言うてはりましたなぁ」

「うん! いやー、最近動画の伸びが悪くてさ。ちょっとマンネリ気味な感じなんだよね。そんな中で、ちょうどいい日本のサムライ・ガールと屈強ロシア人通訳がいたんだ! このチャンスを逃す手はないよね!」

 指をパチンと鳴らしたケンディの、ニッとした笑顔が光る。

「この出会いこそが、最高のネタだ! だからお願い! ちょっとあたしに付き合ってほしい! 報酬は出すし、薫さんも人探ししてるんだよね? あたしも探すの手伝うからさ!」

 捲し立てるように言葉を放つ彼女は、手を合わせて頭を下げる。

 その内心は、息をのむほど緊張していた。

 ここまで気丈に振舞っているが、元は内気な彼女はこの状況に一番不安に思っていたのだ。

 普段もコラボ配信などしたこともないし、友達も少ない彼女がここまで必死になって声をかけたのも初めてのことだった。

「……まあええよ」

 薫が息を漏らし、先程と同じような微笑みを浮かべる。

「うちの人探しも手伝ってくれるみたいやし、それやったらあんさんの、どうがさつえい?に付き合うわぁ。イワロフはんはどないです?」

 薫は視線を、イワロフに投げる。

「……まあ、致し方ありませんな」

 溜息とともに、彼は首肯する。

 本当はここを離れたい心境だが、ロシア本国からは特に何も連絡がないことと、この雰囲気でケンディのお願いを断るなど、気弱なお人好しの彼にはできなかった。

「ありがとう! 本当に報酬は弾むから!」

 二人の手を取ってお礼を言うケンディを、二人はどこか照れくさそうに見下ろしている。

「よーし! 早速人探しから始めようか! ねえ薫さん、その人の特徴とかってわかる?」

「え、うーん、実は、うちの探し人やねんけど、うち自身は会うたことあらへんのよ」

「えっ、そうなの!? なら、せめてどんな人かはわかる?」

「うーん、その筋やと有名なお人らしいねんけどなぁ」



「殺し屋『配信者』って、知ってはる?」


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