プロローグ② 流浪の侍
夜の酒場に、男達の笑い声が響く。
見た目からしても荒くれ者という言葉がよく似合う厳めしい男達が、古びた木造酒場の一区画を占拠して浴びるように酒を飲み干していた。
「おぅマスター! もっとビール持って来いよ!」
「は、はい!」
リーダー格と思しき男が、気弱そうな酒場のマスターに次の飲み物を請求する。
「兄貴、今日はよく飲んでますね!」
「当り前よ! 今日は麻薬の売り上げがよかったからな! これで俺達『ブロッカーズ』の名も上がるぜ!」
「流石です兄貴!」
「『ブロッカーズ』に乾杯!」
「「「乾杯!!!」」」
部下の掛け声とともに、宴の席は更なる盛り上がりを見せる。
その時だった。
店の入店を示すベルが、カランと鳴る。
「ごめんやす」
このアメリカの片田舎では聞き慣れない、日本語の挨拶だった。
声の主は、東洋系の女性。
おっとりとした表情で店に足を踏み入れた彼女は、自身の艶やかな長い黒髪を垂らしてまっすぐに店のカウンターへと足を進める。
日本人にしては色白の肌に、彼女の黒髪がよく映える。
古びた酒場には不釣り合いな、彼女の纏う巫女を思わせるような真っ白な道着と紅い袴が、余計に彼女の異質さを強調している。
女性はそのままカウンター席に腰を掛けると、背中に背負っていた細長い袋を立てかけた。
「すみません、お水いただけます?」
手をくいっと口元へ運ぶジェスチャーとともに、彼女は飲み物を催促する。
「……いい女だ」
女性を遠目から眺めていたリーダー格の男が、小さく言葉を漏らす。
「……兄貴、今夜はあの女で楽しみますか?」
「ああ。ここんところ働き詰めだったからな。楽しみでもないと、やってられないよなぁ?」
男達の目に、怪しい光が灯る。
これから起こすことを心に滾らせ、一斉に男達は席を立って目の前の獲物の元へと足を向けた。
「よぅ、姉ちゃん!」
男が声をかけると、女性はきょとんと視線を向ける。
「こんな場末の酒場に何の用だ? 誰かと待ち合わせか?」
「……」
ゲヒた男の言葉に、女性はぽかんとしたまま何も答えない。
「俺達もさ、さっきやることなくなっちまったからよ。良ければ、俺達と遊んでくれねえか?」
「……」
「まあ、あんたが嫌って言っても来てもらうけどな」
「……」
「なあ、さっきからなんで何も言わねえんだ? 聞いてんのか?」
「……」
次第にイライラし出す男を前にしても、女は何も言わない。
いや、言えないのだ。
そもそも英語が話せない彼女にとって、目の前の男が何を言っているのか、全くわからないのだから。
「……てめぇ!」
しびれを切らせた男が、女性に掴み掛る。
その瞬間だった。
男の目の前を、白銀のきらめきが過る。
「―――――は?」
男は一瞬、何が起こったのかわからなかった。
ただわかるのは、掴み掛ったはずなのに男の手に力が入らないこと。
そしてそれは、自身の腕が手首の先がポトリと落ちたからだと気づくのに、そんなに時間はかからなかった。
「あっ――――――!!?」
男の悲鳴が、酒場に響く。
彼の手首が落ちた理由は明白だった。
男が掴み掛ったはずの、女性の手。
そのしなやかな手にいつの間にか握られていた、白鞘の刃。
いつ抜いたのかさえ認識できないほどに素早く引き抜かれた、一振りの日本刀の刀身には紅い液体が滴っていた。
「!? て、てめぇ!?」
目の前の異常に反応した男達が、次々と獲物を手に取る。
「いややわぁ、お兄さん達、怖い顔してぇ」
気迫さえ感じる男達を前にした女は、まるで嘲るかのように嗤う。
「そないなえろぉおっかない顔されると、うち……」
「昂ってまうわぁ」
恍惚として頬を染めたその顔は、どこか淫蕩とした雰囲気さえ漂っている。
「お兄さん達、ええ男みたいやし、すぐに終わらせたるな」
くすりと嗤って彼女の手が振るわれる。
そこからは、一方的な虐殺だった。
拳銃を手にした男達の懐に飛び込んだ女性の一太刀で、男達の悲鳴が響く。
腹が割かれ、首を切り飛ばされる。
鮮血をまき散らせ倒れた者達の中心には、先ほどまでおっとりとした彼女の姿はもはやない。
現代の人切り。
人の皮を被った悪鬼羅刹。
同じ人間ではない化生の物のように見る者には映ることだろう。
「……は?」
腕を切り落とされたリーダー格の男は、この光景が信じられなかった。
今までも、部下の血を見ることはあった。
敵対組織との抗争や警察との銃撃戦。
そうした敵も味方も血を見ることは、彼にとっては珍しくない。
だが、これは、違う。
自分達は目の前の女に、手籠めにして楽しむための獲物として見ていた女に、一方的に蹂躙されている。
なんだ、これは?
悪い夢か?
現実逃避しなければ、彼は正気を保てないところまできていた。
「―――――ふぅ、こんな所やね」
一息つく女の足元には、いくつもの死体が横たわっている。
血だまりができるほどの凄惨な状況にもかかわらず、彼女の纏う道着は真っ白なままだ。
「さて、しゃあないなぁ。別のお店行こうかぁ」
溜息とともに店を後にしようと背を向ける女性。
「ま、待てやぁ!」
リーダー格の男は血走った眼を女性に向け、まだ残っている方の腕で拳銃を向ける。
慣れない方の腕で照準が定まらない、そんなことは関係ない。
この目の前の女を、ぶち殺せるなら。
「くたばれやぁ!」
怒鳴り声とともに銃声が轟く。
だが、その銃弾が当たることはなかった。
男の殺気に気づいていた女は素早く距離を縮めると、引き金が引かれた腕を取り、男の背後に体を転身させる。
そのまま遠心力に任せて体を開くように腕を回して、呆気にとられる男の姿勢を瞬時に崩した。
そして、開かれて無防備な肩を、地面に向けて落とす。
曰く、合氣道の隅落とし。
受け身の取れない男は板張りの床に叩きつけられ、脳震盪を起こして立つことさえままならなかった。
「あかんでぇ、お兄さん」
女は言う。
「いくら怒ったから言うて、勝てる見込みさえない相手に喧嘩売ったらあかんわぁ。でないと、大事なもんぜーんぶ、取られてまうで」
脳震盪で歪んだ視界の中、彼女の愉快そうな声が耳に流れる。
喉元に突き立てられる冷たい感触を感じ、彼は思う。
やめておけばよかった。
この女に、手を出すべきではなかった。
そんな後悔を嘆いた瞬間に喉に突き立てられた刃が沈んでいき、男の意識は強制的にこの世から切り離されたのだった。
「―――――さて、本当に終わったねぇ」
朗らかにつぶやく彼女は、刀に残った血を振るって飛ばすと刀を納め、店を出る。
「こんな時刻やけど、しゃあないなぁ。今日はまた野宿かねぇ」
天に昇る三日月を見上げ、溜息をつく女。
だが、その顔は溜息とは裏腹に、いまだ残る戦いの余韻に浸っていた。
女の名は、神薙薫。
現代を生きる、人切りの女侍。
そんな生きる伝説は今、夜の寒空の下、戦いの熱気で火照った体を冷やしながら一人、荒野を歩いて行ったのだった。
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