揺れない絶壁

奏然と大和が逃走したため、今残っているメンバーで五○メートル走の記録を取り終え、駿と彩芽の番が回ってきた。

 「ハァ〜」

 駿はため息を溢すと、チラッと彩芽の方を見やった。

 駿と彩芽は五○メートル走の練習をしていた。もちろん、駿は彩芽に勝つことは出来なかった。圧倒的な差を見せつけられただけで。

 この彩芽という女、実は、陸上部のエースなのだ。入部して早々エースの座を欲しいままにしていた。一般的に女性の筋肉量は、男性の上半身五○パーセント、下半身七○パーセントと言われている。だが、本当にそうなのかと疑いたくなるほど……彩芽は速かった。

 (はつ⁉︎ もしかして——)

 駿は失礼なことを閃いた。

 (胸……なのか? 確かに彩芽さんの胸は、言っちゃ悪いが……ぺたんこだ。その分、空気抵抗が小さいとでもいうのか⁉︎)

 頭のおかしい答えを導き出す駿。全国の女性にはフルボッコにされそうだった。

 駿は雑念を振り払うように頭を振った。


 そして、本番

 駿と彩芽はクラウチングスタートの体勢でいた。

 彩芽は、まだかまたかとソワソワしていた。今にも走り出しそうだ。

 駿は苦笑すると前に向き直った。

 「いちについてー」

 審判の声が聞こえてくる。

 駿と彩芽は脚に力を入れ、遠くを見据える。

 「よーい」

 二人は脚を伸ばし、腰を持ち上げた。

 彩芽の日焼け痕が残る肩や脚、鍛え上げられた足腰。無駄なく引き締まった体が愛華とは違った良さを見出していた。

 「ドン!」

 審判の合図とともに地面を蹴り、駿と彩芽は走り出した。

 重心を下げ、アクセルの効きやすい体勢を保ち続けている。全く減速する気配がない。そして、全然揺れることのない胸。態度はでかいが胸は小さい。というか、慎ましやかだ。

 対して、駿は

 (は? これ、効果出てなくない?)

 そんなことを考えていた。

 以前、テレビで『速く走れる裏技講座』というものを見たことがある。

 番組曰く、輪ゴムを足首にはめてから一回転したのち、親指にはめるというものだ。

 そして、今まさに試している最中だった。

 (やり方が違ったか? やっぱ途中で寝ちまったからなー。効果が出てるかわかんねー。皆の目を盗んではめたというのに)

 実際には速くなるらしいが、フォームの強制が目的のため慣れるまで時間がかかるのだ。

 〔フッ、ぶっつけ本番でやるから、そういうことになるんだよ?〕

 駿の心の中のリトル駿は鼻で笑っていた。駿はリトル駿にデコピンをくらわし、走りに集中した。  

 

 結果として、彩芽には勝てなかった。

 不正までしたが、現役のエースにはどうすることも出来なかった。

 彩芽が六秒五三

 駿が七秒三五

 完敗だ。

 男子高校生の平均と言われれば悪くないのだが、彩芽相手には遅いと言えるだろう。彩芽まじ速ない? と思っていると不意に声をかけられた。

 「あーしの勝ちだな」

 彩芽が勝気な笑みを浮かべながら、勝利宣言してきた。

 駿は負けを認めるように首を縦に倒した。

 「おーし、認めるんだな?」

 「……ああ」

 「なら、一つ言うことを聞いてもらう」

 「⁉︎ ちょっ、なんでそう——」

 「——不正したろ」

 「なっ……⁉︎」

 駿は狼狽してしまった。それが彩芽の言葉を裏付けるように。

 彩芽は更に証拠を提示してきた。

 「見ちまったんだよ。あんたがこそこそ靴下を脱いでゴムをつけるところおよ」

 「……」

 「これをもし、先公にチクったらどうなるだろう?」

 「……っ」

 淡々と彩芽が駿を脅してくる。

 駿は一筋の汗を垂らした。

 「だから〜肩揉みくらいしてもらわないと、うっかり口滑らしちまうかもな?」

 「……わかったよ」

 駿も流石にそれはまずいと思ったのだろう。渋々といった感じに承諾し、木陰へと促す。

 「ここじゃ……その、あれ……だから、あっちの木陰で……」

 駿が指で場所を示すと、彩芽はスタスタと歩いて行った。

 駿も苦々しくもついて行き、心の中て反抗する。

 (凝るほどあなたの果実は実っていませんがね!」

 すぐに胸のことで頭がいっぱいになる。(これだから思春期は嫌だね)とリトル駿に呆れられた。

 木陰に着くと皆から見えない位置で、彩芽が胡座をかいて座っていた。その後ろ姿は戦国武将のようだ。

 (……ん? これはあれだよな? ギャルゲーイベントin肩揉みですとー⁉︎)

 いつの間にか発生したラッキースケベイベント。そう思うと自然とやる気が出てくる。

 彩芽の肩に手を伸ばし、肩をガシっと掴んだ。筋肉質で硬いと思いきや、結構柔らかい。

 「うひゃっ⁉︎」

 なんとも可愛らしい声を上げて、彩芽が振り返ってきた。頬は赤く色づかせ呼吸が乱れていた。

 駿は気づかないふりをして、肩を揉み始めた。

 揉めば揉めむほど筋肉がほぐれていき、どんどん柔らかくなっていく。程よい温もりと感触が手のひらに伝わってくる。

 「ハァ……ハァ、ハァ……ハァ……」

 だんだんと息苦しそうに上がっていく息。額や首筋から汗が流れ出し、顎先からダラダラと垂れている。

 「……あ、ん……んんッ……うぅ、ん……」

 力を込めるたび、彩芽の甘い声が漏れ出してきた。これでも抑えている方だろうが、その声を聞くたび脳を激しく揺さぶってくる。

 (なん中声上げてきやがるんだ、この女は)

 毎回こんなA S M Rを聞かされては敵わない。

 駿は彩芽に耳打ちをした。

 「彩芽、そんなに俺の肩揉みが気持ちいか? エロいメスガキの声が漏れてるぜ」

 「……ッ⁉︎」

 なぜか、自然とオレ様風にイケボで耳打ちをしてしまった。

 彩芽もそれに驚いたのだろう。ビクッと肩を跳ねさせ、バコンッ! と肘打ち(強)が、駿の鳩尾にクリティカルヒットした。

 「——ぐはっ!」

 身を縮こませ、呻く駿。

 (なんで、だ……俺は普通に耳打ちするはずだったのに……)

 駿の心の中で七転八倒していた。

 彩芽は煙を噴き出してしまいそうなほど、顔を赤くしている。それを隠そうと彩芽は声を張り上げた。

 「あ、お前な⁉︎ なんで急に話しかけてくんだよ⁉︎ お前は黙ってあーしの肩を揉んどけば良いんだよ! 強者は弱者に従う……じゃなくて、弱者は強者に従え!)

 誤魔化すように口数が異常なほど増えていた。しかも後半に関しては、頭が回らず謎の言葉を創り出していた。

 (強者が弱者に従うとか、どこのドM野郎だよ⁉︎)

 心の中でツッコミを入れ、身を起こしてジト目で彩芽を睨みつけた。

 彩芽は、「わかったならとっとと揉め」と再び胡座を描くいて、背を向けてしまった。

 駿は嫌々肩を揉もうと、彩芽の肩に手を置いた。

 瞬間——つるん

 「……へ?」

 彩芽の肩から手がすっぽり抜けてしまったのだ。

 駿は体勢を崩し、彩芽に寄りかかってしまった。そして、不幸は続く。コントロールを失った右手は何かに捕まろうと、手近にあったものを鷲掴みした。

 ——むにゅっという感触が手のひらいっぱいに広がってくる。

 何だかわからず、むにゅむにゅと力加減を変えながら、優しく揉んだ。

 手の中に収まりそうで収まらない。

 どこまでも沈んでいきそうだが、元の形に戻そうとしてくる。

 (…………むむむむ胸ですとぉぉーーー⁉︎ えっ⁉︎ てことは、彩芽の胸⁉︎ 初めて触ったから気が付かなかったけどけど……胸ってこんなに柔らかいんだ。そりゃ、世の男子が胸が好きなわけだ)

 布越しでも伝わる柔らかさ、程よい弾力と心地よさ、ダメだとわかっていても右手は正直だ。本能のまま胸を求めている。

 すると、

 「んぅぅぅぅーーーー、バッカァヤロォォォォォーーー⁉︎」

 彩芽の声が校庭中に轟いた。そして、特大のビンタが、駿の左方に叩き込まれた。

 顔から火を噴き出す勢いだ。まるで、マッチの火が木に燃え移るかのように、豪快に燃え出しそうだった。

 でも、その瞳には屈辱を示すように涙目だった。

 彩芽は駿をボコボコにし、逃げていってしまった。

 駿は鮮烈な熱感が残る頬をさすりながら、右手を眺めた。まだ感触が残る右手を開いたり、閉じたりすると思い出される彩芽の胸の気持ち良さ。

 「しばらく手、洗えないかも……」

 言って、駿は昏倒した。

     

        ◇

 

 

 

 

 

 


 

 

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