第24話:年老いた子猫

神歴808年・公国歴72年5月28日ベーメン公国リューネブルク侯爵家領都領城ヴィルヘイムの私室:アンネリーゼ視点


 困りました、私はどうしたらいいのでしょう?


「侯爵閣下、マナーを学びに行く時間なのですが?」


 あいかわらず毛布を被った侯爵に話しかけてみました。

 私はいつも通り朝の挨拶を終えて自分の部屋に戻ろうとしたのですが、老侍従にしばらく部屋にいて欲しいと言われてしまったのです。


 だからといって何をさせられるわけでもありません。

 老侍従に座るように言われて、いつもと同じように座っているだけです。


 お茶もお菓子も出してくれますが、する事がなくて困っています。

 何よりマナーを教えてくれる元侯爵夫人を待たせる訳にはいきません。


「マナーの勉強は休んでいただきます。

 家庭教師とエルンスト伯爵には、閣下の命令で休む事になったと伝えておきます」


 ……侯爵が家臣に命令する事は滅多にないと聞いています。

 それこそ、私の子供を後継者にすると言ったのが最初で最後だったと聞きました。

 その侯爵が、私にここにいろと命じた?!


 そこまでして私をここに居させておいて、毛布を被って動かない。

 昨日のハイステータスリカバリーの効果といっても些細なモノなのでしょう。

 ですが、その些細な効果が最初の一歩なのかもしれません!


「先ほどもハイステータスリカバリーをかけさせていただきましたが、もう一度かけさせていただきましょうか?」


 直ぐに返事してくれませんが、老侍従が近づくと小声で何か言いました。


「特に何もしなくて良いそうです。

 私の勝手な推測を付け足させて頂ければ、側にいてくださるだけで、十分閣下はよろこんでおられます」


 側にいてくれるだけで十分だと言われても、私が困ります。

 家臣、老侍従や侍女たちの視線には、専属侍女をつけてもらえたこともあり、少し慣れてきましたが、先ほどからチラチラと感じる侯爵の視線が痛いです。


 私の事を、侯爵を守って命懸けで戦った人たち、老侍従と同じように、安心して身を任せられる相手だと思ってくれたのでしょうか?


 うれしい半面、エルンスト伯爵たちに悪い気がします。

 実際に戦った世代ではありませんが、彼らも心から侯爵に忠誠を尽くしています。


 ハイステータスリカバリーを使っただけの私を、ここまで信頼するのは、彼らの忠誠を低く扱う事になってしまいます。


「側にいるだけというのも意外と疲れてしまいます。

 何かさせていただけないと、間がもちません。

 魔力は刻々と回復しますから、やはりハイステータスリカバリーをかけさせていただきます。

 我が魔力を集めて苦しむ者を快復させる力に変える、ハイステータスリカバリー」


 侯爵の許可をもらう前に魔術かけるのは不敬です。

 ですが、先に無理強いしたのは侯爵の方です。


 相手の都合を考えずに何かを強いるのは、腹が立つ事だと身をもって理解していただきます。


「ありがとうと申されておられます」


 侯爵に耳を寄せた老侍従にお礼を言われてしまいました!

 嫌な事だと理解してもらって、この部屋から出て行きたかったのに……

 老侍従や侍女たちの視線が痛いです、私に何を期待しているのですか?!


 没落男爵令嬢だったので、社交界にはほとんど出られませんでした。

 男爵家の体面を守るために、働きにも出られませんでした。

 できたのは、効率の悪い内職だけです。


 だから、男性とどう接したらいいか分かりません。

 おそらく好意をもってくれたであろう、侯爵への接し方が分かりません。


「我が魔力を集めて苦しむ者を快復させる力に変える、ハイステータスリカバリー」


 ほんの少し離れた場所で、互いをうかがうように座る男女二人。

 魔力が溜まると状態異常快復魔術を放つ女。

 自分のことながら、他人からどんな風に見えているのでしょう?


 なんとなく、侯爵が拾われてきた子猫に見えてきました。

 人間に親兄弟を殺された子猫を、近所の女性が助けた事がありました。


 物凄くお腹が空いていて、寒さに死にそうになっていて、温かなミルクのある所に行きたいのに、側に人間がいるから怖くて近づけない。

 そんな子猫を思い出してしまいました。

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