第16話「とある右腕の苦悩」

 その頃、定期市を心待ちにしていたルーナは、一人で市が開かれている広場に来ていた。

 最初は教会の前にある海を一望できる広場で開かれていた定期市も、年々大きくなり、今では海沿いの大通りすら埋め尽くすほどになっている。

 年に二度しか開かれないこの市のために、大勢の観光客が集まり、警備する騎士達も大変だろう。


「ルーナ」

「……どうしたんですか?」


 人混みに紛れ声をかけてきた主に、ため息をついた。

 いつもと変わらないのは服装だけで、りんごのように赤く染めた顔を見れば彼と何かあったのだと嫌でも理解できてしまう。

 ルーナは主ことアーシャの手を引き、広場のベンチに座らせた。

 飲み物を買ってくると言って側を離れたが、それでも彼女は動かずにルーナを待っている。


 ――あの天然は、何をやらかしたの。


 内心悪態を付きながらも、手近な店で飲み物を買って戻れば、彼女は2人組の男に言い寄られているところだった。

 彼女を一人にしたのは間違いだったかもしれない。


「お姉さん一人? お兄さん達といいことして遊ばない?」

「何か言ってよ。ね、行こうよ」


 男の一人が彼女の手を掴む。

 不躾な行動に目を細める姿は、彼女の父そっくりだ。

 手を掴まれても無視できる鉄壁の心を持っているにも関わらず、アルバートにだけは心を乱される彼女に、暗殺部隊のトップ2といえど一人の女なのだと再認識させられた。

 無視する彼女にもめげず、声をかけ続ける男二人。

 無視が効くのは小物だけだ。

 こういう祭りごとに湧いて出るウジ虫のような輩は、明確に拒否したところで引かないのが世の常というものだろう。

 周りで様子見していた人が騎士を呼びに駆けて行くのが見えた。


「邪魔よ。消えなさい。私のが戻って来れないじゃない」

「そういう、ことだから。悪いけど相手する時間はない。帰って」


 両手の飲み物をアーシャへ渡し、刀に手をかける。

 少しは牽制になるかと考えたルーナだったが、彼らはニヤニヤと笑うだけだ。


「待たせたな、ルーナ! ノーチェ!」


 聞き慣れた声が聞こえ、彼はルーナと男たちの間に割って入った。


「あんたら、オレの連れになんか用?」


 いきなり現れた存在に怯み、男共は逃げ出した。

 女だと下に見られるのは良い気がしないが、カルミアのおかげで血を見ずに済んだのだから良しとしよう。

 それに、アーシャが東の森で一度会った”ノーチェ”だと遠目で気づいたのも流石だ。


「……教会から出てきてたけど、あなたみたいな人も行くのね?」


 アーシャから訝しげな視線を向けられたカルミアが屈託のない笑顔で答える。


「ああ。たまには良いかなと思ってな」


 彼女が言いたかったことは”亜人が教会で祈りを捧げるのは怪しい”ということだろう。

 だが、カルミアはお調子者でその場のノリで行動するような猫みたいな人だ。……物理的にもネコ科だけども。


「あ、お前ら! ここにいたの……か?」


 身長が周りより頭一つは高いカルミアは、人混みの中でも見つけやすい。

 カルミアを目印に近づいてきたアルバートは、今まさに彼から逃げてきたであろうアーシャを見つけ、目を丸くした。

 彼に見つかったアーシャは、ボンッと音を立ててまた顔を赤く染め、飲み物を両手に持ったまま勢いよく立ち上がり、脱兎のごとく逃げ出そうとした。


「私、帰るっ」

「待った。な、一緒に回ろう?」


 逃げ出そうとしたが、事情を全く知らないカルミアに腕を捕まれ、彼女の逃亡は失敗に終わった。



 そんなルーナ達の様子を、教会の入り口から品定めするように見ていた人影があることに、彼女達が気がつくことはなかった。




 ◇◆◇




「……って言ったのに合わせる顔がない」


 仕方無しに市場を一緒に回ることになった彼女は、目当ての場所に向かうルーナにぴったりと張り付き、事の顛末を話した。

 ルーナは顔見知りでもない相手の話を聞かされて、心底迷惑してますという顔を作って、それは災難でしたねと相づちを打つ。

 表向きには二度目に会っただけなのだから、この演技は必要だろう。


 ――箱入り娘じゃ、振り回されて当たり前か。


 先程からそんな感想しか出てこない。


 ――しかも、次会った時は殺すって、宣言しちゃった矢先だし。あたしなら死ねる。恥ずかしさで。


 話を聞いてみれば、普段の彼女ならやり得ない行動の数々に、信じられないとすら思ってしまう。

 顔から火が出そうなほど恥ずかしがっている彼女は、女の目から見ても愛らしい。

 隠密の服ですら、普段着ですが? と町中でも違和感なく着こなしてしまう彼女は、やはりあの美しさで目が眩んでしまうような父と血が繋がっているんだと思わずにはいられない。


「ルーナ、どこに向かってるんだ?」

「珍しく、庶民にも本を売ってくれる、ところ」


 市場の中でも一際異彩を放つ集団の目の前に着けば、アルバートとカルミアは物珍しさに目を輝かせた。

 ここはカーティアの民が出す店だ。

 カーティアは放浪の民。

 彼らは世界各国を周り、この様に市場に参加して食いつないでいる。

 彼らは占いに長けており、人生相談にはうってつけだろう。

 カーティアの民が占いに長けた民族だと彼女も知っているはずだ。


「む。お嬢さん。銀の髪のお前さんじゃ」

「え、私?」


 いきなり声をかけられ戸惑いを隠しきれていないアーシャ。

 腰の曲がった老いぼれは、閉じていた両目を開ける。曇りひとつない金色の瞳でアーシャを見つめ、重苦しく呟いた。


「あなたは複雑に絡み合った星の下に生まれたようだ。これから先、大きな選択を迫られる。答えを間違えば命は保証されないだろう」


 彼らの言うことは絶対だと言い伝えられるほど、お告げはよく当たる。

 これは死の宣告だ。


「私は私の道をいく。それだけよ」


 これからの未来を宣告された彼女を見れば、覚悟を決めた顔をしていた。

 その表情に気づいたアルバートが話題を逸らそうと声を上げる。


「俺はどうなんだ?」


 矛先を自分に向けるとは、流石だ。


「嵐の目じゃな。ほれ、これを持っていけ。役に立つ」


 見るからに重そうな分厚い本を手渡され、シッシッと野良犬を追い払うかのように厄介払いされたアルバートは、不服そうに眉を下げた。

 形だけの礼を口に出し、彼がカルミアを見やる。そこにはいつになく難しい顔をしたカルミアが佇んでいた。


「どうした? 難しい顔してるぞ」

「……いや。なんでもない」

「そうか。なにか困ってるなら相談しろよ? 力になる」

「あぁ。悪いな」


 カルミア達の会話に耳を傾けていたが、爺さんの言葉に意識を引き戻された。


「手の届く狭い世界では知り得ないこともある。親しい者以外は疑ってかかるのも悪いことではないが、信じてみなさい。さすれば見えなかったモノも見えてくる。まぁ、目に見えるものが全て正しいとは限らんがなぁ」


 本質を捕らえた言葉に、彼女が変わればいいと純粋に思った。


「……どういうこと?」

「腐敗した世界を変えられるのは、きっと、お主らだけじゃろうて」


 今はまだ時ではないと伝えられずにいた言葉。

 それをあっさりと告げられ、愕然としてしまった。

 彼女はその言葉をどう受け入れるのだろう。

 横目で盗み見たアーシャの瞳は燃え上がるような熱を含んでいた。

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