第15話「決意」
定期市が開かれる、一週間ほど自由行動としたアルバート達は、
アルバート以外は、だが。
彼はあれからずっとアーシャの側にいた。
侍女が到着したのを確認し、身を清めようとしたが、彼が後ろから着いて来たため、暗器を投げそうになったアーシャは悪くないだろう。
「で、流石にこれは予想外なんだけど……?」
目の前には一つの寝台に仲良く並べられた、二つの枕。
応急処置のような手入れしか出来ていなかったアーシャは、念入りに手入れをされていた。それが終わったのは日が傾き、夜の闇が訪れた頃だった。手入れを始めたのは昼頃だったはずだが……。
その有様を知らなかったアーシャは、寝台を見て絶句してしまった。
――だから念入りに手入れされたのね……。
「俺はソファーで寝るよ」
「そう。……ねぇ。なにもしないなら、同じ寝台で寝ても構わないけど? 広いし」
その言葉を聞いたアルバートは持っていたカップを落としかけ、間一髪のところで浮遊させていた。
ガシガシと乱暴に頭を掻いた彼は、はぁーと大きなため息をついた。
「あのなぁ、惚れた女の横で寝ろって? 何もしないで? なんの拷問だよ、それは」
諦めたように笑って、乱暴に吐き捨てられた言葉。
アーシャは、紅葉した木々のような赤い顔を隠すかのように俯き、視線を
静寂が部屋を包む。
その沈黙を破ったのは、アルバートだ。
「で? 一緒に寝る?」
「遠慮します!!」
◇◆◇◆◇◆
久しぶりに堪能した寝台は寝心地がよく、いつもよりぐっすりと寝ることができた。
ふと視線を感じて、意識が浮上する。
アーシャが目を開けると、こちらをじっと見つめるアルバートと目が合った。
勢いよく飛び上がり、そのままの勢いで後ろに飛び退いた。
「え、わっ、きゃっ」
しかし、ずるっとシーツに足を滑らせ、寝台から落ちてしまった。
受け身を取り起き上がれば、肩を揺らして笑っているアルバートが視界に入った。
「何もしないんじゃなかったの?」
「何もしてないよ? 触れてすらいない」
「……屁理屈」
「今までの疲れかな? 俺が起きて動き出しても起きなかったし……。今何時だと思う?」
窓の外を見れば、サンサンと照りつける太陽が自己主張をしていた。
太陽が真上で輝いているのを確認したアーシャは肩を落とした。だいぶ寝過ごしたらしい。
「起こしてくれてもよかったのに」
「気持ちよさそうに寝てたから、起こさなかった。侍女達も気を使って入ってこないし、それに」
「それに?」
「一夜を共にした女性を放って出ていくような男と思われたくないだろ?」
ボッと赤くなったネグリジェ姿のアーシャをエスコートして、隣の部屋に行き、ソファーに座らせてくれた。
アーシャは渡された、アルバートが手ずから入れてくれた紅茶を飲もうと口をつけ――
「っ!?」
動揺が収まらず、紅茶を膝にこぼしてしまう。
タオルを持ったアルバートが彼女に駆け寄り、片膝をついて、早急に紅茶を拭き取った。
「大丈夫? ごめん、熱かった?」
「……平気。せっかく入れてくれたのに、駄目にしちゃった。ごめんなさい」
標的の前だというのに、なんてザマだ。
自己嫌悪しか浮かばない心に、アーシャは俯き涙ぐんだ。
アーシャは安心して寝入ってしまった自分を殴りたい。なんなら、穴があったら入りたい気分だ。いっそ自分で穴を掘ってしまおうか。
「え、ちょ、どうした? どこか痛い?」
首を横に振るアーシャに、ますます意味が分からずオロオロするアルバートは、いつもの
アーシャは彼の見たことがない新たな一面に、思わず笑ってしまった。
「……声、聞こえないように出来る?」
「最初からやってるよ」
「用意周到ね」
「当たり前だろ? 君はいつも監視されているみたいだし、一応アーシャと俺は暗殺者と標的って立ち位置だからね」
アーシャを監視しているのは父の手先だろう。
父の部隊は優秀だ。会話は聞こえなくとも、この状況を知らないはずはない。それでも黙認されているという現状。
――お父様は何を考えているのかしら……?
彼の暗殺を引き延ばそうとしたり、美容のためと遣いを寄越したりと、父の考えが全く読めない。
アーシャが任務を遂行できず、処分されないために動いてくれているのかとも考えたが、彼女はそんなはずはないと、かぶりを振った。
――それはないわね。
「アーシャ?」
「勝手にこの世界に召喚したくせに、こんなことになってしまって、本当に申し訳ないと思うわ」
「いきなりどうしたの?」
「こんな出会いじゃなければ、いい友人になれたかもと思っただけよ」
「俺は友人以上になるつもりだけどね」
そう言って顔をほころばせたアルバートに、少しだけ胸が高鳴った。
敵であるアーシャにすら優しく出来るのは、強者の余裕だろう。
「着替えてくるわ」
アーシャは立ち上がり、紅茶の色素が沈着してしまったネグリジェを隠すように、彼に背を向け、寝室へと足を運んだ。
アーシャは昨日のような貴族のお忍びといった服でなく、いつものシミひとつない真っ白な服に身を包む。
そして、枕の下に忍ばせていた短刀を腰に帯刀した。
準備が済んだアーシャは、アルバートの待つ隣部屋へゆっくりと足を進めた。
「終わった?」
「えぇ」
アルバートはソファーに腰掛け、アーシャを待っていた。
彼はこちらに視線だけ向け、自然に筋肉が弛んだような微笑みを浮かべる。
その姿に、アーシャの胸はまた高鳴った。
心を揺さぶられるような、この感情の名前を、アーシャはまだ知らない。
芽生えた感情を摘み取り、アーシャは短刀を抜いた。
感情を殺すのは得意だと、心の痛みに気づかないふりをして。
「まいったな。そうくる?」
短刀を向けられたアルバートは立ち上がり、苦笑いを浮かべた。
「私があなたの前に現れるのは、これで最後よ。次会ったその時は……その首、貰い受けるわ」
「そんなに忠誠が大事?」
「当たり前でしょう?」
覚悟を決めたアーシャ。
その己の感情を読ませぬ表情が、彼女の美しさをいっそう引き立てている。
彼女の決意を受け止めたアルバートは、寂しげな顔をした。
「そうか。そこまで言わせるなんて、君が囚われている鎖は根強そうだ」
「そんなもの、ないわ」
「君の鎖は、俺が断ち切ってみせる」
「――っ、そんなもの!!」
アーシャはアルバートに向かって駆け出し、勢いを味方につけて上へ飛んだ。
助走をつけて飛んだため、彼との距離はすぐになくなった。
自分の体重以上に重い斬撃を繰り出そうと、アーシャは宙でくるりと回転。
そして、刀を力一杯振り下ろす。
だが、刃がアルバートに届くことはなかった。
なぜなら、アルバートが振り下ろされた刀を両手で受け止めたからだ。
素手で行われたそれは、白刃取りと呼ばれる技法だ。失敗すれば、怪我では済まないはずのそれを、いともたやすくやってのけた。
それだけで彼の戦闘センスがずば抜けて高いことが分かる。
「君は馬鹿じゃない。だからもう、本当は分かっているはずだ」
「何?」
「……わからないなら、今はいい」
アルバートが刀から手を離し、アーシャが渋々と刀を納めた、その時。
ぐらりと地面が揺れる。
短い揺れを繰り返す地震に、アーシャは思わず手近なモノにしがみついた。
「積極的だね?」
上から降ってきた言葉にアーシャが上を見上げれば、彼の淡麗な顔が至近距離にあった。
体勢を保つためにしがみついたモノは、目の前にいたアルバートだったのだ。
揺れる大地に振り回されることなく自立している彼は、きっと魔法を使っているのだろう。
背に回された腕に驚き、アーシャは身を引こうとしたが、びくともしない。
地震が終わるまでその抱擁は続いた。
揺れがおさまると、アルバートはアーシャの背に回していた腕を離す。
真っ赤な顔を隠すことも忘れた彼女に、
「これだけは覚えておいて欲しい」
と、彼は愛おしい彼女の額に、ひとつ口づけを落とした。
「俺は何があっても君の味方でいる」
◇◆◇◆◇◆
ブランジェの町の真ん中に佇む、大きな教会。
そこでは神である皇帝を崇め、祈りを捧げる人々が絶えず訪れている。
教会の中の一室。
そんな神聖な場所に似つかない、ゲスな笑みを浮かべた中年の男が問いかけた。
「首尾は上々かな?」
「ええ。もちろんですとも」
「召喚者は象徴としてやれそうか? それとも、排除すべきか?」
「正直、彼を御するのは難しいでしょうねェ」
「では、一刻も早く排除なさい。いいですね?」
「はいはい。仰せの通りに。神官さま?」
壁に背を付け脚を組んだ男は、口元に笑みを
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