第17話「渓谷」

 定期市を堪能したアルバート達は、ブランジェにある冒険者ギルドの支部で依頼を受けることにしたようだ。

 アーシャは定期市での失態を挽回すべく、いつもより慎重に彼らを尾行していた。


「ったく。こんな所に例の草は生えてんのかァ?」

「確かに草ですが、どんな病にも効くと言われている、幻の薬草ですよ」


 彼らの自由時間は終わったようで、定期市では姿を見なかったレモラも一緒に行動している。


「こんな渓谷に薬草が生えるとは思わないけどな……」


 アルバートが苦笑しながら、水をあおった。

 彼らは今、ブランジェよりも更に北にある氷山へ来ていた。

 国境となるこの氷山は、一年の殆どが雪に覆われており、限られた時期だけ雪解けを迎える。

 その雪解けは、ちょうど今の季節だ。

 雪解け水が滝になり、大地を潤すほどの水を生みだす。

 その光景に魅入られた彼らは、滝が流れる渓谷で腰を下ろし、一休みしていた。

 今回の彼らの任務は、氷山の雪解けにしか採れないという薬草を採取すること。

 その希少性故に、幻とされる薬草だ。


「テラスの涙……って名前、その薬草」


 男共が頑なに薬草の名を口にしないため、ルーナがため息混じりに薬草の名を周知させる。

 そうすれば、彼らは口々にそうそうと相づちを打ちはじめた。

 テラスの涙は名の通り、その薬草は涙に濡れたように見えると聞いたことがある。

 アーシャですらそれを目にしたことはなく、伝聞でしか知らない代物だ。


「おっ、あんな所に人が……ん? 谷底に村、いや集落か? なんかあるぜ」


 一人谷底を覗き込んでいたカルミアが信じられないと言わんばかりの声を上げた。

 カルミアに続きアルバート達も谷底を覗き込んだ。


「何も見えないですね」

「だな」

「カルミアが見えるなら、確かに、あるんだろうけど……」


 誰一人集落を確認できた者はいなかった。

 そもそも、アーシャはこんな所に集落があると聞いたことはない。

 先日のカーティアの民の長老(後から判明した)の言葉が蘇る。


 ――手の届く狭い世界、か……。


 ”井の中の蛙大海を知らず”とはまさに今のアーシャに贈られるような言葉だろう。

 父にも言われたことがある。

 目の前にばかり気を取られていれば、いつか足元をすくわれる……と。

 足元をすくわれたことは過去に一度あったが、それ以来気を張ってスキを見せないようにしていた。

 だがこの有様はなんだ。

 アルバートに翻弄され、挙げ句は占いに心を惑わされるなど、あってはならない。


「行ってみるか」


 アーシャは、そう言って歩き出したアルバート達の後を追った。




 彼らは目ざとく階段のように掘られた足場を見つけ、それを使い谷底へ降りた。それに続いてアーシャも彼らに見つからないよう谷底へ降りる。

 アーシャは降りる前に冒険者の服に着替えた。

 帽子ではなく、布を頭に巻いて顔を隠す。

 仲間とはぐれたと言えば彼らは心配して一緒に行動させてくれるだろう。


「おーい。そこの兄ちゃん達! おれも一緒に連れて行ってくれないか? 仲間とはぐれちまってな」


 声をできるだけ低くして声を出せば、振り返ったアルバートと目が合う。


「流石にこの山の中に一人は怖いわな。アル、どうする?」


 カルミアに問われた彼は、少し間を開けて頷いた。

 たとえ彼がアーシャだと気づいていたとしても、構わない。アーシャとしてでなければ、次に含まれないのだから。




 ◇◆◇




 変装したアーシャを伴い、アルバート達は集落にたどり着いた。

 そこには十を超える家があり、周りには木製の柵が張り巡らされている。

 それはこの地で人々が生活している証だ。


「招かれざるお客人。この様な場所になに用かな?」


 呆然とその様子を眺めていれば村の奥から、真っ白で小さなお婆さんが出てきて、こちらに声をかけてきた。

 その声は強張っており、緊張しているのだろう。


「あなた達の生活を脅かすつもりはありません。俺達はテラスの涙を探しに来ただけです」

「その道中で人を見かけたもんで、何か知らねェかなと思って来てみれば、こんな所に人が住んでるんだもんな。そりゃ驚くだろ?」

「おい、カルミア」

「本当のことだろ?」

「そうは言ってもな!?」

「……お主らが帝国の回し者じゃないことは分かった」


 緊張した面持ちで見守っていたお婆さんだったが、アルバートとカルミアのやり取りに毒気を抜かれたらしく、ホッとした顔をしている。

 だが言葉の意味がよく理解できない。

 彼女の言う帝国の回し者とはきっと、アーシャ達暗殺部隊のことだろう。

 暗殺部隊を恐れると言うことは、何かしらの悪事を働いたのだろう。

 そうでなければ暗殺部隊のことを知っているとは考えにくい。


 ――このお婆さん、侮れないかもしれない。


 アーシャはいっそう気を引き締めた。




 お婆さんの家に招き入れられ、彼女に従い、アーシャ達はテーブルについた。

 アーシャの隣にアルバートとルーナが座り、カルミアとレモラはテーブルを挟んだ向かい側に座っている。

 ここに来るまでにすれ違った人々に、アーシャは見覚えがあった。

 彼ら(彼女ら)は反帝国を口に出し、あまつさえ家族にそれを伝えたとして、暗殺部隊が始末したはずの人々だ。

 始末したはずの人々が生きている。それだけでも理解が出来ないのに、この状況はなんだ。


「わしはキクコ。ここの長をしておる。そしてこっちがシャヒード」

「どうも」


 白髪交じりの髪に痩せ細った外見の男性はシャヒードと呼ばれ、彼が丁寧にお茶を入れてくれた。

 皆の自己紹介が終わり、シャヒードの入れたお茶をすすりながらアルバートが問いかける。


「なぜこんな山奥で暮らしてるんですか?」


 彼には警戒心というものが欠如しているらしい。素性も分からない人間の入れたお茶を躊躇ためらわず飲むわ、いきなり確信を突くような話をするなんて、命知らずだ。

 彼の行動にカルミアやレモラですら理解できないと顔に書いてある。

 ただ彼が率先して毒味をしたことで、アーシャ達が躊躇ためらわず飲めるようになった。その上、皆が不思議に思っているであろう話を最短で聞くことが出来るようにした。見事な手腕だ。

 そこまで考えての行動かは定かではないが。


「単刀直入に聞きよるなぁ」

「俺たちはテラスの涙を探さないといけないんですよ。こんな山の中で野宿をするわけにはいかないので」

「そうか。簡単に言えば、わしらはな、帝国に歯向かったんじゃよ」


 意外な答えにアルバートは目をパチクリさせている。

 レモラやルーナは予想がついていたようで、驚いてすらいない。

 カルミアも驚いていないようで、黙って話を聞いていた。


「お主、今巷で話題の英雄さまじゃろ?」

「は? 英雄? なんの話です?」

「召喚者は、現状を変えられる、唯一の希望だと聞いておりますじゃ」

「……一から説明してくれないか? 理解が追いつかないんだが」

「おや? 時間がないと急かしたのはお主じゃろうて」

「オレはいくらでも待つぜ。アル、聞いてやったらどうだ?」


 ふぉふぉふぉと笑う食えないお婆さんの意を汲むように、カルミアがアルバートに声をかけた。

 アルバートが一人ずつ確認するように顔を合わせれば、全員こくりと頷いた。もちろんアーシャも頷いておく。


「詳しい話をお願いしても?」

「わしらは帝国に都合の悪い存在なんじゃよ。消されそうになったが、ある御方に命を救われ、今ここにおる」

「都合の悪い?」

「簡単に言うと反帝国じゃな」

「……悪い。この国に明るくないんだ。もっと詳しく教えて欲しい」


 アルバートの言葉に目を丸くしたキクコは、そうじゃなぁと視線を宙に彷徨さまよわせる。

 この国に住んでいる者なら詳細を話さなくても簡単に通じるが、彼にはそれが通じない。

 文化の違いが恨めしいとここまで感じたことは今までにないだろう。

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