第9話 嘘

目の前に広がっていたのは、俺が最初に見た景色とは大きく異なる、崩壊寸前の世界だった。


崩れた地面から落ちそうになっている圭介の手を掴み、必死に引き上げようとしている結鶴。

その後ろで、手で顔を覆いながら一人でしゃがみこんでいる都古。


正に、状況は最悪だった。


「結鶴っ、早く手離せ!!お前まで落ちるぞ!!」

「っ……!!んなこと、できっかよ……!!」


崩れていく世界に、二人は必死に抗っていた。


そしてついに、結鶴の手から圭介が滑り落ちる。


「圭介っ!!!!」


結鶴の声が響き渡る。

俺は、間一髪のところで圭介の腕を掴んだ。


「サガミさんっ…?!」

「結鶴、早くこいつを引き上げるぞ」

「…はい…!」


そして、ようやく圭介を助け出した。


「はぁはぁ……すいません、俺のせいで…」

「…話は後だ。お前らは先に戻れ」

「でも…」

「ここも、いつ崩れるか分からない。後は俺が引き受ける」

「…分かりました。行くぞ、圭介」

「…あぁ」


そう言うと、二人は静かに消えていった。


こうしている間にも、周囲は崩壊し続けていた。

俺は、都古のいる方へ向かう。


「じいちゃん……じいちゃん……」


じいさんの名前を呼びながら、都古は小さく震えていた。


「…都古、」


俺は、そっと肩に手を置いた。

目に涙を浮かべながら、都古はゆっくりと顔を上げる。


「…サガミ…」

「…大丈夫か?」

「…じいちゃんは…?」

「え?」

「じいちゃんはどこ…?」


立ち上がり、周囲を見渡す。


「圭介が、…じいちゃんは、死んだって……、本当にじいちゃんは、死んじゃったの……?」


俺は返す言葉が見つからず、そのまま黙って立ち上がる。

ここで何が起きたのか、何となく分かった気がした。


「…じいさんは…」


ここで答えを間違えれば、きっと都古の心は壊れてしまうだろう。

俺は辺りを見渡す。


すると、遠くの方で崩れていく道をのんびりと歩くじいさんの姿が目に入った。

しかしその表情は周りの景色とはあまりにも不似合いな、とても穏やかなものだった。


不気味とも言えるその光景に戸惑いながらも、俺は都古に伝えるのだった。


「…じいさんは生きてる」



ーーーーーーーーーーーー



※以下、圭介視点です。




島津の異常を知らせるアラームが鳴り止んだのは、俺達が元の世界に戻って間もない時だった。

サガミさんのことだ。きっと上手くやり抜いたのだろう。

安堵と同時に、俺は再び自分の無力さに打ちひしがれた。


「…都古の容態、落ち着いたみてぇだな」


沈黙を破ったのは、結鶴だった。


「…圭介?」

「…わりぃ、また、迷惑かけちまった…」


悔しさと自分への怒りで、声が震える。


「俺、結局何しに行ったんだろうな?すぐにでも壊れそうなあいつの心にダメージ負わせて、結鶴とサガミさんを危険な目に遇わせて…」


頭の中は、後悔することばかりだった。


「…、……そうかもな」


俺の言葉を否定することはせず、結鶴は続ける。


「あんたが一人で暴走していなければ、結果は違ったかもしれない。…若しくは、行くのがあたし一人だったら、もう少しマシな未来になっていたかもしれない」

「……。」

「…でも、あんたが無神経に色々言ってくれたおかげで、あたしの思っていたことも伝わった。やったこと全部がダメだったわけじゃない」

「いや…それはフォローになってねぇよ…」


俺の浮かない顔に呆れたのか、結鶴は溜め息をつく。


「…圭介さ、ここに来てからそんなんばっかだよ。あんたはそんな柄じゃねぇだろ」

「…こればっかりは、そんな簡単に切り替えられるもんじゃねぇよ。流石にさ。……しばらくは俺、島津に会わない方がいいかもな」


正直、会ったところであいつにどんな顔をしていいのか分からなかった。

また傷つけてしまうんじゃないかと思うと、怖かった。


「…あたしもその方が良いとは思うけど、そんな悠長なことも言ってられねぇぞ」

「え?」


その時、眠っていたサガミさんが目を覚ました。


「…う……」

「サガミさん!」


サガミさんはゆっくりと起き上がる。


「…思ったより早かったっすね。話、もう終わったんすか?」

「…あぁ」

「サガミさんあの…!さっきはすみません、ありがとうございました」

「…、…事情は戻ってから聞くと言ったが、大体のことは把握した。それ以上言わなくていい」


落ち着いた声で話す。


「…サガミさんは、あれからどうやって都古を持ち直させたんすか?」


結鶴がサガミさんに問いかける。


「………嘘をついた。」

「えっ?」

「"じいさんは生きている"と、あいつにとって一番残酷な嘘をな」

「そうだったんすか…、……それで、都古は納得したんすか?」

「見ての通りだ。でも、完全に騙せたとは思っていない。…騙せるわけがない」

「…どういうことすか?」


少し間を空け、サガミさんは続ける。


「あいつが俺の嘘を見破れなかったことは一度もない。きっと、今回もそうだ。あいつは、嘘だと分かった上でそれを受け入れたんだ」

「…あっちで都古と話した時、あの世界のこと、会いたい人がいたこと、全て話してくれました。都古は、全部分かっています」

「…そうか」


状況は悪くなる一方だった。

俺は、思わず結鶴に問いかける。


「…なぁ結鶴。お前さっき、悠長なことは言ってられないって言ってたよな?あれってどういう意味だ?」

「圭介は、サガミさんに渡した薬の数覚えてるか?」

「薬の数?えーっと…俺達が3つで、サガミさんは……2つ……?」

「そうだ。サガミさんは今ので1つ使っちまった。チャンスはあと一回しか残されていない」

「そんな…!!」


サガミさんが薬を2つしか持っていないのも、初めて久藤と対峙した時に俺が判断を誤ったからだ。


「また俺のせいじゃねぇか…!!」


俺は拳を強く握る。


「無いものは仕方ない。それに、ここで薬を使ったのは俺の判断だ」


サガミさんは続ける。


「…お前らは暫く休んでろ。ここに来てから動きっぱなしだろ」

「それは、サガミさんも同じっすよ」

「…俺は大丈夫だ」

「前に都古が言ってました。『サガミは一人で何でも抱えすぎてる』って。……サガミさん、まだあたしらに言ってないことがあるんじゃないすか?あなたはあたしが思っていたよりも、遥かに分かりやすい」


サガミさんを真っ直ぐな目で見つめながら、結鶴は話す。


「結鶴?一体何の話をしてるんだ?」

「お前達に話すことなんてない。とにかく、一時休戦だ」

「今あたしらが団結しないでどうするんすか。サガミさんは…」

「知った風な口を聞くな。…もういいだろ」


吐き捨てるように言い残し、サガミさんは足早に部屋を後にする。


「結鶴…」

「悪い。少し出しゃばった。…けど、今のサガミさんは明らかに様子がおかしい」

「お前が変に突っかかったからじゃねぇの?」

「違う。それより前からだ。あたしらと別れた後、あっちで都古と何かあったんだ」

「でも、俺らが戻ってきてからサガミさんが目を覚ますまでそんなに時間経ってねぇぞ?何があるっていうんだよ」

「分からない…。……少し休んだら、もう一回サガミさんと話してみる。暫く、あいつにも時間は必要だろうしな」


そう言って、眠っている島津の方へ目を向ける。


「…、……そうだな」


部屋の時計を見ると、深夜3時を回っていた。

頭が回らなくなっても不思議ではない。心身の疲労は、とっくに限界を過ぎていた。


「じゃあ…また後でな!」

「おう」


俺達は廊下で別れ、それぞれ空いている個室に入った。


靴を脱ぎ、倒れ込むようにベッドに横たわる。

遠くの方で、何やら少し騒がしい声が聞こえた気もしたが、そんなことを気にする余裕もなく俺の意識はあっという間に沈み落ちていくのだった。

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