第8話 大切なもの

※今回も圭介視点のお話です。




気が付くと、俺達は一面に広がるお花畑にいた。


「え、俺これ死んだの?」

「いや、都古の夢の中だ」


すぐ隣には、一緒に薬を飲んだ結鶴がいた。


「ここが、島津の行きたかった世界…?」


どこを見渡しても、視線の先にあるのは花ばかり。

確かに植物好きではあったけど、まさかここまでとは。


「あれっ、結鶴…?圭介…?」


聞き慣れた声が、背後から聞こえた。


「島津っ…?!?!」


間違いない、そこにいるのは島津だ。

俺と結鶴は慌てて近くへ駆け寄る。


「お前っ…!!大丈夫なのか?!どっか痛いところとかないか?!」

「え~?何ともないよ~?そんなに慌ててどうしたのさ~」


島津はいつもと変わらない口調で答える。

本当に何ともないようだった。


「都古…」

「結鶴までそんな怖い顔して~何かあったの~?」


いつもの調子で話しかける島津。

空気の流れを変えたのは結鶴だった。


「じゃあ、単刀直入に言わせてもらう。…都古、今すぐ元の世界に戻れ」

「…元の世界~?」


島津は首を傾げる。


「とぼけたって無駄だ。本当は分かってるんだろ?ここが偽物の世界だってこと。自分では誤魔化せているつもりでも、サガミさんの目は誤魔化せねぇぞ」

「なんでサガミ~?…あ、そういえばさっきサガミにも会ったんだよねぇ~今日は色んな偶然が重なるなぁ~」

「都古!!」


結鶴の焦りと苛立ちが声色から伝わってくる。

しかし観念したのか、島津の顔から笑顔が消える。


「…サガミは、何て言ってたの?」

「…よくできた世界だけど、違和感があるって」

「…そっかぁ。やっぱりサガミは、ちゃんとじいちゃんのこと覚えてるんだね」


嬉しそうな、しかしどこか悲しそうにも見える笑みを浮かべる。

俺は思わず口を開く。


「なぁ、分かってるなら早く帰ろうぜ?こんなところにいてどうすんだよ」


少し間を空けてから、島津は話し始める。


「…私が行きたかった世界。昔と同じように、じいちゃんと平穏に暮らすこと。ずっと願っていたことが、ようやく叶ったんだよ。…サガミだって、途中まで心の底から楽しんでた。でも急に目の色が変わったと思ったら、そのままいなくなっちゃった」


島津は続ける。


「二人にだって、会いたい人いるでしょ?もう二度と会えない、大切な人」


その言葉を聞くと、俺の脳裏には"アイツ"の姿が浮かんだ。

バスケの最高のライバルであり、親友だった男の顔が。

結鶴も思い当たる人がいるのか、胸元のネックレスに手を添える。


「あの時サガミは私を連れ戻そうとしたのかもしれないけど、サガミはじいちゃんに一回会ってるからそんなことができるんだよ」

「…一回会ってる?どういうことだ?」

「…サガミはね、じいちゃんに一回会ってるの。お父さんと戦った時に。…まぁ、詳しいことは本人に聞いた方がいいかな」


話を濁し、そのまま続ける。


「でも、私は、じいちゃんとお別れしてから一度も会ってない。あの日から、私の時間は止まったままなの。サガミみたいに、偽物だからって割り切れない。だって、じいちゃんはじいちゃんだもん」


島津の声が震える。


「…瀕死の状態になって本当のじいちゃんに会えるなら、いっそ、重体になるくらいの大怪我でもすればよかったのかな」


島津の、思いもよらぬ言葉。

その瞬間、俺は自分の顔がとても熱くなるのを感じた。


「…取り消せよ」

「え?」

「今の発言、取り消せよ!!!」


自分でもびっくりするくらい大きな声が出る。

それでも俺は、勢いを止めることができなかった。


「おい、圭介…」

「お前、俺達がどんな思いでここまで来たか分かるか?!開発途中の薬ってなんだよっ……そんなのにすがってどうすんだよ?!」


島津は黙ったまま俯く。


「島津、前サガミさんに言ってたよな?『もっと自分を大事にして』って。その言葉、そっくりそのままお前に言ってやるよ。あの時、どんな気持ちでサガミさんに伝えたんだ?俺らにも同じ思いをさせるのか?大怪我すればよかったなんて、簡単に言ってんじゃねぇよ!!」

「圭介、もうやめろって」


結鶴の制止する手が、俺の肩を触れる。


「…そうだよね、ごめんね」


島津はぽつりと呟く。


「…なぁ島津。確かにここにいれば、お前のおじいちゃんには会うことができる。けど、俺達には会えないんだぜ?お前は俺達との日常よりも、こっちを取るのか?」


自分でも酷なことを言っているのは分かっている。

それでも、聞かずにはいられなかった。

何としても、島津の目を覚まさせなければいけない。

そう思った。


「…皆のことは大好きだよ。圭介達との日常も、私にとって大切なもの。……でも、でもやっぱり、それでも私は、じいちゃんが生きている世界にいたいっ…!」


ようやく島津は顔を上げる。

その目からは、涙がこぼれていた。


「そんなの、現実から目を反らしているだけだ!逃げていても、失ったものは帰ってこない!!」

「目を反らして何が悪いの?!私はやっとじいちゃんに会えたの!!」

「お前のおじいちゃんは死んでるんだぞ?!いい加減目覚ませよ!!」

「おい、その辺に...」

「じいちゃんは死んでない!!!!」


島津は叫ぶ。

その瞬間、辺り一面がまるでブロックの建物が崩壊するかのように崩れ落ちていく。


「な、何だ?!」

「まさか…」


結鶴は冷静な声で呟く。

俺は、来る前に読んだ薬の概要を思い出す。


『夢の世界での精神状態と現実世界での健康状態はリンクしている。被験者と接触する際には細心の注意を払わなければならない』


もし、夢そのものが島津の精神状態を表しているのだとしたら。


"取り返しのつかないことをしてしまった"


崩壊する風景を見ながら、俺は茫然と立ち尽くす。

そして、ついに俺の足元までもが崩れ落ちる。

足場を失った俺は、暗闇の底へ放たれた。


「圭介っ!!!!」


結鶴の声が、響き渡る。

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