第18話「酒と嫉妬はほどほどに」

 シルディアの要望通り、会場に戻ったオデルはイチゴのカクテルを持って来た。

 カクテルに口をつけ、ほっと息を吐く。

 グラスに注がれたカクテルを半分ほど飲んだところで、体が温かくなってきた。

 ぽわぽわとした気分で隣から離れないオデルを見上げる。


「ガルズアースでは十八歳からお酒が飲めるからいいわね」

「アルムヘイヤでは二十歳からだったか。十八のシルディアは皇国ここでしか飲めないもんな。どうだ? 初の酒の味は」

「美味しいわ。でも、なんだかふわふわするような気も……」

「シルディア」

「なぁに? あっ、ちょっと……!」


 へにゃりと笑ったシルディアの手からオデルはグラスを奪い取った。

 シルディアが奪い返す前に、オデルが半分だけ残ったカクテルを一気に煽った。


「うわ、甘っ」

「……人から奪っておいて文句言うの? 美味しかったのに」

「これ以上飲ませたらシルディアは酔うだろうからな。今度から夜会での酒は禁止だな」

「なんでよ」

「聞きたい?」


 オデルの赤い瞳が楽しげに歪む。

 嫌な予感しか感じられなかったシルディアは首を横に振った。


「言わなくていい!」

「ふっ。アルコールで頬が赤くなっているのを他の奴に見られたくないんだ。分かるだろ?」

「いっ、言わなくていいって言ったのに!」

「シルディアの反応が可愛いのが悪い。もし酒を飲みたいなら、俺と二人っきりの時に……な?」


 耳元で囁かれる。

 ぞわぞわと腰に来るような低音に、シルディアは全身が沸騰しそうだ。

 その様子をにこにこと眺めるオデルに文句を言おうとシルディアは口を開いた。

 しかし、オデルの後ろから声がかかりそれは叶わなかった。


「陛下」

「どうした?」


 振り返った先にいたのは、一人の騎士だ。


(甲冑……? 周りは騎士の正装をしているのになぜ一人だけ……? 流石に場違いじゃない? 誰か注意をしなかったのかしら)


 甲冑の騎士を見る周りの騎士の視線がいやに冷たい。

 これだけあからさまであれば、オデルも気が付いているだろう。

 針のむしろな騎士はそんなことどうでもいいと言わんばかりに胸を張っている。

 だが、報告は素直にできないようで口ごもった。


「それが……」


 変声期前なのか少し高めの声がくぐもって聞こえる。

 フルフェイスの甲冑で顔が覆われているため、声が聞こえにくいのだ。

 身長は男としては低めだろう。体躯も恵まれているわけではなく、細めだろうか。


(甲冑で隠された体つきは分からないけど、男性にしては線が細い気がするわ。装備の大きさから大まかな体つきは予想がつくって教えてくれたのはフロージェの護衛騎士だったわね。まぁ護衛騎士はフロージェに教えたつもりでしょうけど。懐かしいわね)


 じろじろと見つめすぎたのか、騎士は一瞬シルディアに目を向けた。


「ええっと、つがい様に聞かせるようなお話では……」

(夜会の場で護衛であるはずの騎士がわざわざオデルに声をかける理由なんて一つでしょうに)


 か弱い姫だと気遣われているのだと、シルディアは内心ため息をついた。

 オデルをじっと見詰めれば、視線に気がついた彼はシルディアに目を向けてくれる。

 シルディアは自分は大丈夫だと意味を込め、更にじっと見つめた。

 しかし、意味が伝わっていないのか頬を撫でられるだけだった。

 がっくしと肩を落としたシルディアは、騎士へと目を向けた。


「わたしに構わなくて大丈夫よ。報告をしてちょうだい」


 今まで口を開かなかったシルディアが喋ったことに驚いたのか騎士は目を見開いた。

 オデルの視線が些か痛いが、伝わらなかったのだから仕方がない。


「シルディア」

「だって、オデルがわたしをのけ者にしようとするから……」

 

 途端に名前を呼び捨てにしたとざわめく会場。

 くだらないことで注目を浴びるのだとシルディアはげんなりしたが、オデルの声に我に返った。


「俺は心の狭い男だから、シルディアが俺でない男と会話をするのが耐えられない」


 シルディアを捉える赤い瞳の奥に、とぐろを巻くような感情が見え隠れする。

 直感的に逃げなければと感じたシルディアが、半歩後ずさった。


「なぜ逃げる?」

「……オデルが嫉妬心丸出しにしてるからでしょう」


 たった半歩下がっただけで気が付くオデルに、シルディアは呆れてしまう。

 突然始まった喧嘩に挟まれてしまった騎士がおろおろと両者に視線を行き来させる。

 そして意を決したように騎士は叫んだ。


「お、恐れながら、自分は女であります!!」

「は?」

「……やっぱり」


 目を丸くするオデルと納得するシルディア。

 思い思いの反応を返した二人に、女騎士はフルフェイスのヘルメットを脱いだ。

 甲冑の下から現れたのは、中性的な顔立ちの女性だ。

 深海のような色をした瞳と、同じ色の髪が印象的で美しい。

 髪は後ろで一纏めにされており、動きやすさが重視されているのだと一目で理解できた。


「……見ない顔だな」

「はっ! 辺境伯より騎士団へ推薦を受け、本日付けで配属となりました。ヒルス・ソユーズと申します!」


 ヒルスは今日から騎士として働くと気合いを入れ過ぎたのか、はたまたわざと甲冑で来るようにと伝えられたのか。

 真相は闇の中だが、彼女に刺さる冷ややかな視線が後者だと告げている。


「なるほど。辺境伯か。養子でも取ったのか、それとも隠し子か……。まぁいい。それで、報告は?」

「お耳に失礼しても?」

「タイル一枚分までだ」

「かしこまりました」


 一瞬、シルディアに目を向けたオデルはタイル一つ分、つまり一人分の距離まで近づくことを許可した。


(耳打ちを許可した方が内緒話には最適なのに……。わたしを気遣って? オデルは律儀ね)


 一人分の空間を開けて囁き合う二人をシルディアは半歩後ろから眺める。

 黒髪の美男子と中性的で見目麗しい女性が真剣な顔で語り合う姿は目を引くものがあった。

 合理的な判断だと理解しているつもりだ。


(チェスのような色合いのわたし達よりも絵になるのでしょうね。それはなんだか……嫌だわ)


 理由は分からないが、胸の内にもやもやとした感情が溢れ落ち着かない。


(もしかして、不整脈……?)


 オデルといると通常より心臓の鼓動が早くなることがある。

 その症状と、この行き場のないこの感情は繋がりがあるのかもしれない。

 極力二人を見ないように視線を下げれば、オデルの手が目に入った。


(オデルの手、意外と大きいのよね)


 吸い寄せられるようにシルディアはオデルの肩に触れるギリギリの距離まで詰めた。

 近づいたシルディアは、そっとオデルの袖口を掴む。すると、驚いたように彼がシルディアを見た。

 ルビーのような瞳にシルディアだけが映る。

 たったそれだけで霧がかった心が晴れ渡るのだから、余計意味が分からずシルディアは眉を下げた。


(わたしは一体何を……)


 自分でも理解できない行動にシルディアは手を引っ込めようと、袖口から手を離す。

 しかし、オデルに手を捕まれ逃げられなかった。


「オデル……?」


 引き留められたが、何も喋らない彼にシルディアは困惑を隠せない。

 気まずげな視線を感じたのか、オデルが照れたようにはにかんだ。


「心配しなくても俺はシルディア一筋だ」

「疑ってるわけじゃないわ。わたしが……なんだか傍にいたかっただけよ」


 オデルは口元を手で覆い、はーぁと大きなため息をつく。

 怒らせてしまったかと、シルディアはぎくりと体を強張らせたが、続いた言葉に杞憂だったと知った。


「っ、シルディアは俺をどうしたいの? 可愛すぎ」

「え? えっと、あれ? ヒルスさんは……?」

「警備に戻ったぞ。見てなかったのか?」

「だ、だって、なんだか嫌だったから見てなかっ、た……」


 思ったままを口に出していた途中で、はたと自分が何を口に出したのか理解してしまった。

 尻すぼみになった言葉をちゃんと拾ったオデルは、シルディアの腰を抱いて会場の出入口に向かって歩き出す。


「あんまり可愛いこと言わないでくれるないか?」

「べつに意識して言ってるわけじゃ」

「あー……そうだろうな。まったく、なんでつがいの証が出てないのか分かんねぇ」

「?」

「俺のこと、意識してるだろ?」

「そ、そんなこと」

「俺がシルディア以外と話してるの、面白くなさそうに見てたのに?」


 クスリと笑われ、シルディアは息を呑んだ。

 追い打ちをかけるようにオデルは言葉を続ける。


「幼い頃に会ってるって思い出して俺の信用度上がったみたいだな。……幼い俺に嫉妬しそうだ」

「……自分に嫉妬しないでよ」

「昔会ってるってだけで懐柔されてる自覚は? 俺はあの頃シルディアに優しくした覚えはないんだがな?」

「クッキーをくれたわ。それに、毎日会いに来てくれた。わたしはそれだけで心躍ったわ」

「本当、可愛いね。……壊してしまいたくなる」

「え?」


 ぼそりと呟かれたが、隣にいるシルディアの耳には聞こえてしまった。

 聞こえていると気が付いたオデルはバツの悪そうな顔する。


「悪い。冗談だ。シルディアを一度傷つけてしまった俺が言う資格はないと思うんだが言わせてほしい」

「それはもう終わったことで、解決したことよ。オデルが気にすることはないわ。それにそのおかげで記憶が戻ったんだもの。今更責めたりしないわよ」

「ふっ。男前だな」

「前向きって言って欲しいわね。それで、何を聞いて欲しいの?」


 重厚な扉の前で立ち止まったオデルを見上げる。

 今まで見た中で一番真剣な顔つきをした彼と目が合い、シルディアは思わず見つめ返した。

 からかいの色が一切感じ取れない赤色の瞳から目が離せない。


「今の俺を好いて欲しい。俺はもう、あの頃みたいなガキじゃない。あの頃のままだと侮っていたら、痛い目に会うぞ?」


 放たれた彼の言葉は、とても真剣な声色をしていた。

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