第17話「闇夜に輝く」
バルコニーを包む優しい夜風すらも煩わしいほど、シルディアはオデルの口から出た言葉に動揺していた。
オデルが、もうすぐ魔力暴走を起こす。
そう本人の口から確証が得られてしまったのだ。
それゆえにシルディアの心は波立ち騒いで落ち着かない。
「痛みで寝れないのはわたしにつがいとしての自覚がないからで、オデルを好きになってもらう試練だって……」
「うん、言ったね」
「その痛みは魔力暴走と関係があるんじゃないかって聞いた時、オデルはわたしの思い違いって言ってた」
「うん、それも言ったね」
「わたしがオデルを好きになるまで、何年、何十年でも待つって嘘だったの?」
死がすぐそこまで迫っているというのに、オデルはなんてことないと笑っている。
大事なことを言わない彼を睨んでしまうのは仕方のないことだろう。
「わたし、言ったよね? 夫婦はお互い尊重し合い、話し合うものだって。なのに……どうして話してくれないの?」
思わずオデルの手を握りしめてしまった。
しかし、オデルは困ったように眉を下げるだけだ。
何も言わない彼に苛立ちを隠せず、シルディアは言葉を続ける。
「わたしに好きになってって言うのなら、ちゃんと包み隠さず話してほしい」
「シルディアに心配をかけたくないんだ」
「あなたはそればっかりじゃない。他人から聞くより、オデルの口から聞きたかったわ」
「それは……。ごめん」
素直に謝罪をされ、シルディアは毒気が抜けてしまった。
「謝罪がほしいわけじゃないの。わたし達は夫婦になるのよ? 夫婦は支え合わないと。だから、ちゃんと話して?」
「夫は妻を守るものだよ。二度と愛する者を手放さないために尽力するんだ」
「……まったく。わたしは守られるだけの非力な女じゃないわ」
「そうだね。でも俺は魔力暴走するつもりなんてないんだ。一度だけ起こされてしまったけど、その後二十五歳まで魔力暴走してないよ」
「起こされてしまった……?」
「そもそもシルディアを愛するのは俺の役目だからね。この役目だけは誰にも譲らない。それに、何十年だって待ってみせるって言葉に嘘はないよ」
気の抜けたように笑うオデルに、シルディアも同じように笑って見せる。
「わたしはね、オデルが抱えている重荷を半分肩代わりしたいって考えているわ」
シルディアなりの、精一杯の誠意だ。
子が親に抱く愛情のように、無償で与えられてばかりではいられないとシルディアは思い始めていた。
黙ってしまったオデルの手を握ったまま下へ降ろす。そしてもう一度オデルの手を握りしめた。
願わくば、夜風で冷たくなってしまった彼の肌に自分の体温が移ればいいと。
されるがままだったオデルがくすりと笑った。
「それ、俺と共に生きるって言ってるようなものなんだけど……わかってる?」
「ひゃっ!?」
握っていた手がいつの間にか離され、オデルのしなやかな指が手の甲を撫でた。
僅かに触れた指先が手の甲から腕を上り、肩に流れる白髪を払われる。
不意に外界に晒された背中を覗き込んだオデルが独り言のように呟く。
「んーでも、つがいの証が出てないから自覚、ではないね。いうなれば決意表明みたいな感じかな?」
「もう! いきなり触らなくても、見せてって言えばいいでしょ! びっくりしたじゃない」
「ごめんね。つい、嬉しくて」
「……そう」
「たとえ嘘でもこれほど嬉しい言葉はないよ」
「嘘じゃないわ。それに、さっきの言葉の意味も、理解しているつもり」
「!」
「そ、そもそも、アルムヘイヤに帰れって言われても帰れないんだから、その……」
視線を逸らし口ごもるシルディア。
オデルはそんな彼女の態度を一切気にしていないようで、耐性のない者が見れば卒倒しそうなほどとろけた笑顔を浮かべていた。
先程からチラチラとこちらを覗く令嬢達の倒れた音がする。
その音に我に返ったシルディアは夜会から抜け出してきたことを思い出した。
(っと、もうそろそろ戻らないといけないわね。なら最後に話すべきことは……)
幸せそうな彼に申し訳ないと思いつつも、今ならと意を決して口を開く。
「上皇陛下はアルムヘイヤに来たことがないって言っていたけれど、本当は一度だけあるわよね?」
オデルは一瞬目を見開いたがすぐに真剣な顔になり、少し考えるように手を顎に添えた。
「……思い出したんだね。いつ頃かな?」
「湖で死にかけた時に夢で見たの」
「なるほど。それで魔法の効力がなくなった、と。ありえない話じゃないね。俺との思い出全部思い出したのかな?」
「えっと、帰国まで毎日遊んだところまで思い出したわ」
「そっか。嬉しいよ」
オデルは愛おしそうに笑う。
彼の態度にシルディアは拍子抜けしてしまった。
「封じてた記憶なんだから、もう一度忘れさせられるかと思ってた」
「そんなことしないよ。せっかく自力で思い出してくれたんだから。ねぇ、思い出した感想はない?」
期待に満ちた眼差しを向けられ、シルディアは苦笑する。
(昔から顔の良さは変わらないし、優しいのも変わりはない。突出して言うことは別にないのだけど……)
数秒の思案の後、ふと気になったものに対して言及した。
「口調が」
「口調?」
「昔と違うなって」
「シルディアは俺の好い人だからね。少しでも取っつきやすくしたいなって思ってね」
「それ喋りにくくない?」
「全然? それに、シルディアのためなら口調ぐらい矯正するよ」
「わたしのためにそこまでしなくても……。喋りたいように喋って?」
「……じゃあ言葉に甘えよう」
頷いたオデルがふっと笑った。
先程までの口調の時には見せたことのない笑みだ。
その微笑みにドギマギしてしまう。
シルディアはこれは心臓に良くないと直感で悟った。
「もしかして、この口調の方が好みか?」
目敏くシルディアの機微を感じ取ったオデルが揶揄うように首を傾げる。
気取られたことに驚き、シルディアは動揺を隠そうと捲し立てた。
「い、いや、そういうわけじゃないんだけど、口調が違うのが、ちょっと、気になっただけっていうか……。あの、さっきまでの口調に、戻ってもらってもいいかなー、なんて」
「ふぅん? この口調だと恥ずかしいのか。可愛いな。いくらシルディアの頼みでも、こんな愛い反応をされてやめるなんて俺にはできないな」
「っ、意地悪だわ」
「意地悪な俺は嫌い?」
「……嫌いになるわけない」
「ん。安心した。正直、幻滅されるかと思っていたんだ」
「そんな些細なことで? ありえないわ」
「あぁ。俺の愛したシルディアはそういう娘だ」
夜空に晒されて冷たくなってしまった肩にオデルの頭が乗った。
ぐりぐりと頭を擦り付けられ、彼が弱みを見せようとしているのだと悟った。
「そもそもあいつの言葉に惑わされる俺の弱さが原因だな。シルディアがこんなことで幻滅するはずがない」
「わたしの評価が高いのはいいのだけど……あいつって?」
「竜の王の意識」
「!」
「あいつ、人を惑わすのが上手いんだよ。何人の皇王が犠牲になったか。正直、理解しているにも関わらず手玉に取られる自分にも怒りは沸くがな」
顔を伏せられているため顔が見えない。
しかし、自嘲気味に笑っていると分かってしまった。
「オデル、口は上手そうなのに」
「口八丁で勝てる相手じゃない。それにこちらが弱っている時にしか出て来ない、ずる賢い奴だ」
「常時いるわけではないのね」
「あぁ。まっ、今はシルディアに受け入れられて絶好調だからな。魔力が安定していなくても出て来ないさ」
「いいのか悪いのか、分からないわね」
「いいんだよ。全部シルディアのお陰だ。まぁそんなことなくても、ずっと愛してるけどな」
「そういうことをいきなり言うのは反則よ」
「心の準備ができるまで待っていたら、いつまでも愛を囁けないだろ」
「それは……そうかも」
「ほらな」
肩口で笑うものだから、息遣いがダイレクトに伝わってくる。
くすぐったさに身をよじれば、満足したのかオデルが顔を上げた。
「そろそろ戻るか」
「そうね」
「好きな酒はあるか?」
「特に好きなお酒はないわ。……なんで?」
「体が冷たくなってしまったからな。酒を飲めば少しは体温が上がるだろ」
オデルに言われ、シルディアは初めて自身の体が冷え切っていることに気が付いた。
バルコニーにいた時間は十分にも満たないが、晩冬の夜だ。寒空には変わりない。
隣に移動したオデルに腰を抱かれる。
「じゃあイチゴのお酒がいいわ」
「あぁ。用意させよう。もしかしてイチゴが好きになったのは……」
「あのクッキーまた食べたいわ」
「! もちろんだ。シルディアのために腕を振るおう」
「あれも手作りだったの!?」
シルディアは衝撃の事実に驚きつつも、オデルのエスコートに従い足を進める。
視界の端で、黒い影二つ動いた。
(今、庭園に誰か通った? 逢引かしら?)
夜会で、未婚の男女が逢引をすることは珍しくない。
シルディアは特に疑問を持つこともなく、オデルと共に会場へと戻った。
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