エピローグ

「――い。――なさい。授業中ですよ?」


「……あれ?」


 気が付くと、教室に居た。腕の中に居た筈の水無口みなくちさんは居ない。


伊世いせさんが居眠りなんて、珍しい事もあるんですね」


 担任の教師は、それだけ言い残して授業を再開した。

 数学の授業中で、日付を確認すると、九月四日。時刻は十五時。あの部屋で目覚める前の記憶と一致している。


 あれは、夢だったのか?






 ……いや、そんな筈が無い。水無口さんの声、笑った顔、髪に対する拘り、下着の色。俺が知らなかった事まで、鮮明に覚えている。夢な訳が無い。

 俺は、今すぐにでも水無口さんと話したいという欲求をなんとか抑えて、授業を聞き流した。




 ――キーンコーンカーンコーン


 チャイムが鳴り、少しすると廊下が騒がしくなる。他のクラスはホームルームが終わったのだろう。それにも関わらず、目の前では未だに授業が続いている。俺は苛立ちを感じながらも、終わるのを待った。






 ようやくホームルームが終わった。

 俺は鞄も持たずに、廊下へと走る。


「先輩!帰りましょー!」


「あ、依里えり!どうしても外せない用事があるから、先に帰っててくれ!埋め合わせは絶対にするから!」


 教室の扉を抜けると後輩が待っていてくれた。でも、今は水無口と話す事が最優先だ。


「むぅ。後で連絡しますからね!」


「分かった!」


 俺はそう返して、再び走り出す。






 隣のクラスを覗いたものの、残っている生徒は少なくて、水無口さんの姿も見えない。

 昇降口に行こう。下駄箱を見れば、水無口さんがまだ学校に居るかどうかが分かる。


 俺は階段を駆け下りる。他の生徒を次々と追い越して、危ないという教師の注意も無視した。






 一階に着いた。俺は少しだけ息を整えてから、下駄箱を確認しようとして――


 ――後ろから腕を掴まれた。振り払おうとしたけど、銀色の髪が視界の端で揺れた。俺は抵抗を止める。




 そのまま腕を引っ張られて、水無口さんに続いて相談室に入る。


 ――ガチャッ


 水無口さんは後ろ手で鍵を締めた。


「あの――」


 俺があの部屋で起きた事を覚えているかを聞こうとしたら、水無口さんの手に口を塞がれた。緊張しているのか、手が震えている。

 水無口さんはもう片方の手でスマホを取り出すと、ロックを解除して、俺に向かって画面を見せつけた。


〔何でもいいから、食べ物の名前を言って〕


 そういう事か。あの出来事を覚えていれば、一つに絞られる。

 水無口さんの手が離れたので、俺は口を開く。


「シュトーレン。だろ?」






「……良かった。覚えててくれてた!」


 俺を不安そうに見つめていた水無口さんは、返事を聞くと、抱き着いてきた。

 記憶と全く同じ声、匂い、柔らかさ。やっぱり、あれは夢なんかじゃない。


「俺も安心したよ。もし、俺が夢を見ただけだったらって、不安だった」


 水無口さんはまだ少しだけ震えている。あの部屋で起きた事が無ければ、俺とはほとんど初対面なのだ。よほど緊張したのだろう。


「あの約束も、ちゃんと覚えてる?」


「もちろん。わざわざ言うのも変な感じだけど、俺達は、もう友達だよ」


「うん!」


 部屋から出られても、仲良くする。そんな約束が無かったとしても、水無口さんとは色々とあった。その時点で、友達だと思っている。






「水無口さん。あの部屋の事とか、色々と話をしたいから、カフェにでも行かない?」


 俺は、水無口さんが落ち着くのを待ってから、切り出した。


「それなら、一回家に帰って、着替えてからでもいい?」


「え、どうして?」


 俺が理由を聞くと、水無口さんは俯いてしまった。


「……他の人に見られたら、困る」


 そうか。普通に話せているから忘れ掛けていたけど、水無口さんは、学校ではほとんど話さないのだ。


「水無口さんの声は綺麗だよ。誰も悪く言わないし、俺が言わせない。友達と出掛ける時に、人目を気にするなんて嫌だ。俺のわがままを聞いて欲しい」


「で、でも、私なんかが伊世くんと一緒に居たら……」


「平気だよ。あの部屋でも、言っただろ?」


「……守って、くれるの?」


「もちろん」


 やっと、顔を上げてくれた。


「じゃあ、手、繋いで」


 水無口さんと、手を繋いだ。


「行くよ?」


「うん」




 ――ガチャッ




 二人で、部屋を出る。

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