8話
ドライヤーも終わったので、俺は天井を眺めていた。今日は色々としているけど、赤い光は来ないし、突起は緑色だ。
俺が立てた仮説、二人が喋ると赤くなるというのは、正しかったと考えてもいいだろう。
――コン、コン
シャワーが止まり、カーテンの音。そして、扉を叩く音がした。
――ガチャ。
扉が少しだけ開くと、手が出てきた。指で扉をなぞっている。
『Ђ Ғ Ѱ』
意味不明すぎる。
指先で小さく書いていたので、全く分からなかった。しかも、
俺は水無口さんが何を伝えたかったのかを、限られた情報の中で考える。聞こえた音。指先で書かれた三文字の言葉。少し濡れている扉。
……タオルを取って欲しいのか!
昨日も取って欲しいと言われたし、わざわざ指先で書いていたのは、体を隠す為だろう。
――コンコン
今度は、俺が扉を叩いた。
カーテンの音が聞こえたから平気とは思うけど、今の水無口さんは、恐らく下着すら着けていないのだ。最大限の配慮と注意をしたい。
――ガチャ……
念の為にもう一度叩いても特に反応が無かったので、目を瞑り、ゆっくりと扉を開ける。そして、何も起きないのを確認してから、俺は薄目を開いた。
良かった。水無口さんは居ないし、カーテンも閉まっている。
俺は目を開いて、乱雑に積まれている制服と、その上に乗っている下着をなるべく見ないようにしながら、タオルを取る。そして、迷った末に下着の上に置いた。
他に置く場所が無かったし、見てしまった事実は変わらないからな。
――バタンッ
俺は合図の為に、音を立てて扉を閉めた。
無事にタオルを取れて、本当に良かった。
――コンコン
……今度は何だ?
少しすると再び扉を叩く音が聞こえたので、俺は身構えた。
――ガチャ
扉が開くと、白い腕が伸びてきて、文字を書き始める。
『ド ラ イ ヤ ー』
あ……。お風呂の順番だけを考えていて、渡す必要がある事を完全に見落としていた。
今回は腕を出して普通に書いていたので、読む事が出来た。出てこないのは昨日と同じで、まだ下着姿なのだろう。
水無口さんが腕を伸ばしていたから、俺は扉を壁にして、水無口さんの体が見えないように気を付けながら、ドライヤーとヘアオイルを渡した。
それから時間が経って、ようやく水無口さんが部屋に戻ってきた。本当に色々とあったので、とても長く感じた。
水無口さんの足取りは弾んでいて、とてもご機嫌な様子だ。髪がサラサラしていて綺麗だから、それが嬉しいのだろう。
そのまま俺の隣に一人分の隙間を空けて座ると、ベッドに文字を書き始めた。
『あ り が と』
タオルやドライヤーの件だと思う。あれは事前に防げたし、下着を見てしまった罪悪感もあるけど、素直に受け取っておこう。
『ど う い た し ま し て』
俺がそう書くと、水無口さんは頷いて、すぐ隣に詰めてきた。
髪が揺れて、いい匂いがする。今は俺と同じ物を使っている筈なのに、何故こんなにも動揺してしまうのだろう。
どうしたんだ?
俺が考えていると、水無口さんが遠慮がちに手を触ってきた。何か用がある訳では無さそうで、ただ興味深そうに弄っている。
俺は特にスポーツをしていないけど、水無口さんにとっては、男の手というだけで物珍しいのかもしれない。
指や手の平を揉まれて、徐々に触れる面積が広くなっていき、全ての指を絡められる。俗に言う恋人繋ぎというやつだけど、水無口さんはその事を知らないのか、気にしていないのか、楽しそうにしているだけだった。
シュトーレンが現れたので、俺がその事を伝えると、水無口さんは名残惜しそうに手を離した。
よく分からないけど、何か繋いでいたい理由があったらしい。
シュトーレも食べ終わり、寝る準備も終わった。
水無口さんはまだ扉の向こうに居るけど、俺は一足先にベッドに横になる。俺が既に眠っていれば、今日の朝のように、 一緒に寝ようとはしないだろう。
俺は天井の突起が緑色だと最終確認をしてから、目を瞑った。
――ガチャ
水無口さんが戻ってきた。俺はまだ起きているけど、全身の力を抜いて、寝たフリをする。
微かに聞こえる足音が近づいてくる。
水無口さんの吐息を感じる。
毛布をゆっくりと捲られる。
ベッドが少し沈む。
水無口さんの髪が肩に触れた。
胸元に頭を預けられて、背中には両手が回される。水無口さんに抱き着かれた。
俺の左腕が水無口さんの胸に当たっていたので、起き上がろうとしたけど、諦めた。水無口さんは力いっぱい抱き着いていて、絶対に離さないという意思が伝わってきたのだ。
俺は迷った末に、腕を動かして、水無口さんを抱きしめた。一瞬だけびくっとしていたけど、その後は特に反応が無い。
水無口さんが腕の中に居る。もし眠っても、何かあればすぐに分かる。この部屋で目が覚めてから初めて、心の底から安心していると思う。
俺は、眠りについた。
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