3話

 俺が理解する事を諦めてベッドに腰掛けると、水無口みなくちさんが近づいてきた。


伊世いせくんさ、眠くないの?」


「ああ。俺は二日位なら寝なくても平気だし、少なくとも今は寝ないよ」


 俺が寝ても水無口さんが絶対に安全だと確信してからじゃないと、眠れそうにない。


「それなら、と、隣、いい……?」


「うん、いいよ」


 俺の返事を聞くと、水無口さんは一人分の隙間を空けて座った。


「……あのさ、伊世くんのあの噂。本当なの?」


「どの噂か分からないけど、だいたい誇張されてるぞ」


 俺は色々と噂されている自覚があるけど、どれも尾ひれが付いている。


「じゃあ、バスケ部に1on1で勝ったって噂は……?」


「確かに勝ったけど、バスケが上手い訳じゃ無いからな?」


 フェイントを使い、身体能力の差もあったから勝っただけで、技術なんか無い。勧誘はされたものの、本来の集団戦になれば俺は役に立たないだろう。


「本当だったんだ。じゃあさ、人を助けて警察に表彰されたのは本当?」


「あー、本当だよ」


「え、すごい。じゃあさじゃあさ、強盗に襲われても撃退しちゃったって噂も本当なの?」


 その後も、興奮した様子の水無口さんに、噂の真偽を聞かれ続けた。






「あ……ごめんなさい。私、噂のことばっかり聞いちゃって。嫌だったよね……」


 ふと我に返ったのか、水無口さんはそれまでのはしゃぎっぷりとは一転、負のオーラを纏い始めた。


「全く嫌じゃなかったよ。でも、水無口さんがこんなに話すのは、意外だったかも」


「私、普段は喋らないように気をつけてるから……」


 水無口さんは俯いてしまった。意外とか、言うべきでは無かったな。昨日も声について気にしていたし、何か嫌な事があったのかもしれない。


「俺は水無口さんと話してて楽しかったし、ここから出られたとしても、話したいな」


「……ほんと?」


「本当だよ」


「……何で?話し相手ならいっぱい居るでしょ……?」


「まだ質問されてばっかりで、水無口さんの事を聞いてないだろ?」


「………じゃあ、私のことを教えたら、そこで終わりだね………?」


 悪いが、水無口さんがなんと言おうと俺は終わりにしないぞ?


「何を言ってるんだ。むしろ、そこがだよ。その先は、友達としてもっと仲良くなりたいな」


「……………変、なの。疲れたから、寝る」


 水無口さんは顔を背けると、横になって、毛布を頭まで被ってしまった。


「……約束。ここから出れても、絶対に仲良くしてよ」


「おう、約束だ」






「あ、待って水無口さん。またシュトーレンが出てきた」


 水無口さんが布団に篭ってしまったので、ふと部屋を見ると、シュトーレンがあった。


「……もう!タイミングっ!!」


「ほんと、そうだよな」


 俺と水無口さんの笑い声が部屋に響く。水無口さんが声を出して笑うのを、初めて聞いた。


「お腹は空いてないかもしれないけど、ちょっとだけでも食べた方がいいと思う。一緒に食べよう?」


「……うん。でも、ちょっとあっち向いてて。顔洗ってくる」


「分かった」


 俺が壁の方を向くと、扉の音がして、水道の音がした。もう振り向いて食べ始めてもいいとは思うけど、せっかくだし待つか。






「あ、ごめん。待ってたの?」


「一応な……って、大丈夫?」


 水無口さんの目元が赤くなっている。


「だ、大丈夫。ちょっと擦っちゃっただけ。痒かったの」


「痒かった?ちょっと、よく見せて」


 この部屋は、ただでさえ妙なんだ。悪化してからだと、手遅れになるかもしれない。


「だ、だめ!ほんとに、そういうのじゃないから!」


「ちょっと見るだけだから。な?」


 俺が近づくと、水無口さんは後ろに下がった。でも、壁に背が当たると観念したのか、目を瞑った。


「ちょっと触るね?」


 俺は少し屈んで、目の下を優しく触る。腫れているけど、張っている感じはしないな。


「目、開けてくれる?」


 水無口さんは、ゆっくりと瞼を開いて、じっと俺を見つめた。瞳は潤んでいるし、顔は真っ赤で、変な気分になる。

 目も少しだけ赤いけど、それ以外に気になる点は無い。


「うん。ちょっと腫れてるけど、異常は無さそうだな」


「だからそう言ったでしょ……男の子に顔を触られたの、始めてかも……」


 水無口さんは顔を覆うと、床に体育座りをして、小さくなってしまった。


「……ごめん、悪かったよ」


 俺としては心配だっただけだし、普通に触ってしまったけど、水無口さんにとっては違ったらしい。


「別に嫌じゃなかったし、謝らなくていいよ。でも……、せっかくなら責任を取ってもらおうかな」


「せ、責任?」


 大した事では無いと思うけど、責任と言われると、つい身構えてしまう。


「うん。ここから出られたら、一緒に、お出掛けしよ……?」


「なんだ。そんなの当たり前だろ?毎日でも出掛けようぜ?」


 それなら、元々そのつもりだったからな。せっかく知り合えたんだから、もっと仲良くなりたい。


「本当に伊世くんは……って、シュトーレンはまだある?」


「あ……!あ……。もう無くなってる……」


 慌てて振り向くと、シュトーレンはもう消えていた。


「ごめん。私のせいだよね……」


「違う。気付くのが遅れただけだよ。それと、俺に謝るのは禁止な?」


「え、何で?」


「俺は、謝られるのが苦手なんだよ。謝られても、お互いに気を使うだけだろ?」


「……でもさ、絶対に私が悪いって時は?」


「そういう時は、許してくれてありがとう。だな」


「……?許してくれる前提なの?」


「もちろん。俺は大抵の事は笑って許すし、どうしても許せない事は、最初からさせないよ」


 俺はナイフで襲われても笑って許した男だ。心の広さには自信がある。


「……伊世くんらしい。分かったよ、気を付けるね」


「うん、ありがとう」


「私の方こそ、ありがと」


 水無口さんは顔を上げて、微笑んだ。やっぱり、お互いに謝るよりもこっちの方がいい。

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