第十二話「曨國」

 ここは曨國オボロノクニ、世界の極東に位置する島国。

 多民族との関わりが希薄なため、固有の文化が残されてきた。

 時には武者の国と呼ばれ、曨の戦士の武勇は他国にも伝播している。



「おぉ、人が沢山居るのぉ」


 土岐を出てから夜を二度越し、遂に辿り着いた。

 曨國の玄関口、 暘港ひのでみなとに降り立ったシュラ一行。


「流石は曨最大の港ですな」


「わぁ……!」


 土岐からシュラの従者として旅仲間に加わった少女の桔梗は行き交う人の多さに感嘆を受けている。


「桔梗よ、そんな大口を開けておると虫が入るぞ」


 呆ける桔梗の顔を見て、可笑しそうにからからと笑う鬼姫。


「して、都に向かうのだったな」


 シュラは広げた絵図と睨み合う玉梓にそう声をかける。

 玉梓は絵図に落としていた視線を持ち上げ、周りを見回して何か納得した様子。


「ええ、都の冒険者組合で登録をする予定にございます」


 冒険者とは主に民間の依頼をこなして生計を立てている者達だ。

 腕っ節一つを武器に生きている者が大半なため、荒くれ者ばかり。


「都ってどんな所なんですか?」


「儂も知らぬ、初めて来たからのう」


「曨の都はここから北西に三里程の場所です」


 曨の国土は南北に縦長の形をしており、都は中心から若干北寄りに位置している。

 暘港は曨に出入りする人間全てが通る関所も兼ねているため、年中人が溢れかえる。


「では早速行きましょう」


 そう言って歩き始める玉梓に倣って進む。

 都まで三里、この国での移動手段など専ら徒歩しかない、近年は他国から馬車も使われるようになってきたらしいがそれは一部の金持ちしか使えない。

 武士や商人、足腰の弱い年寄りなんかは駕籠かごを使うこともあるが…。


「それにしても……」


 シュラは周りを一瞥すると低い声色でそう切り出した。


「ジロジロと見おって、気分が悪いわ」


「まぁ、鬼は珍しいのでしょうな」


 すれ違う人間に奇異の目を向けられ苛立ちを見せるシュラ。

 鬼族と曨は盟友の仲だが、それはあくまで国の上層部と鬼神が繋がっているというだけ。

 


「大嬢、抑えて抑えて……あまり街の者を威圧するのはお止めくだされ」


 そう言いながらも主人を不快にした者達へいい気はしない。


「あわわ……」


 怒気を隠す気のないシュラの様子に慌てる桔梗。

 殺気に当てられた人間達は更にシュラ一行に注目する結果になってしまった。


「……ふん。まぁ、仕様無しか」


 溜息一つにそう吐きながら瓢箪を大きく煽り息をつく。

 周りの視線に辟易しながらも関所を潜り都を目指して歩を進める。



 ﹏﹏﹏﹏﹏﹏﹏﹏﹏﹏﹏﹏﹏﹏﹏﹏﹏﹏﹏﹏﹏﹏﹏



 暘港を出て暫く、都へ繋がる旅路にはもう他人と会うことも少なくなった頃。


「何じゃ、全然人が居らぬようになったな」


「関所で足止めを食らっているのでしょう」


「私達は関所の度に玉梓さんがあの札を示すだけで通過させて貰えてますけど、他の方々は関銭を払ったり所持品を確認されたりと時間かかってましたからね……」


 桔梗の言う"あの札"というのは、通過手形の事だ。

 曨の盟友である鬼族は関銭無しで顔を見せるだけで通過できるが、その従者や連れに人間がいる場合は人間の人数分関銭を払わねばならない、しかし玉梓の通行手形は国が関所を素通りさせて良いという許可証であるためシュラ一行は全員何の謂れも無く関所を通れている。


「便利じゃのうそれ」


「念の為持っておいて正解でしたな」


 そんな雑談ながらに森の中の旅道を行く一行。


"キャアアアアアアア!!!"

 

 平和な空気の流れるそこに突如耳を劈く悲鳴が響く。


「なんじゃ今の悲鳴は」


「……っ! 大嬢、アレを!」


 そう指された先には、遠くに半壊した馬車が見えた。

 その馬車は何者かに襲われている真っ只中であった。


「彼奴は……」


「シュラ様助けま……アレ?」


 桔梗がシュラを振り返るとそこには誰も居ず抉れ土道が残されていた。


「へ……?」



 ﹏﹏﹏﹏﹏﹏﹏﹏﹏﹏﹏﹏﹏﹏﹏﹏﹏﹏﹏﹏﹏﹏﹏



「キャアアアアアアア!!!」


 曨の都へ向かう馬車の中、突如響く悲鳴と破壊音。

 馬車の後窓から黒く大きな影が一瞬見えたかと思うとバキバキと木が砕ける音と共にソレが顔を覗かせた。


「レッドグリズリー……!? お嬢様!!」


「リリイ!!」


 私のメイドがそう叫ぶと同時、ソレは私に赤い剛毛を纏った腕を伸ばしてきた。


「ーーーーーー!!!!」


 声にならない叫び声を上げるも効果はなし。

 とうとうソレの腕が私に届くと思ったその時……。


「よお子赤熊、お主いい肉付きじゃの。美味そうじゃ、儂が喰ろうてやろう」


 威厳のある低声、だがよく通る。

 そんな声が聞こえた。


''GAAAAAAAAAAAA!!"


 馬車を襲ったレッドグリズリーはその声の主に大きく吠えると、その巨体で以て飛び掛る。


「お?力比べか?」


 そう言って彼女は背の武器をレッドグリズリーの鼻先に当てた。

 

 そんなことしたら吹き飛ばされて……


「……へ?」


 吹き飛ばされる、それは当たり前の結果のはず。

 そうなるはず、なのに……


「おいおいどうした、儂ァ何もしとらんぞ?」


 彼女は余裕綽々と言った様子でレッドグリズリーの突進を片腕で受け止めていた。


「嘘……」


「無事かシャルロット、それに何者なんだ彼女は……」


 同乗していた父がそんな言葉を吐く。

 私も同じ気持ちだ、あの人は一体何者なのだろう。


 "GU...GAAAAAAAAAA!!!"


 そんな事を考えているとレッドグリズリーが再び吠えた。

 そしてその鉤爪を彼女の腹部に向けた。

 鉤爪はブンッと重たい音を立てて彼女の腹を叩いた、はずだった。


「……なんじゃこの爪は、楊枝かなんかか?」


 彼女はそう言って振るわれた鉤爪を掴んだ。


「え、掴んだ……?」


 そして数秒その爪を睨んだ後。


「……つまらん、弱すぎるわ」


 そう言ってレッドグリズリーの鼻に当てていた武器を振り被り。


「ほれ」


 そんな軽い言葉と共に振り抜いた。


 "GUOOOOOOOOO!!!!"


 打ち抜かれたレッドグリズリーはその巨体で周りの木々をなぎ倒しながら吹き飛んでいく。


「そんな馬鹿な……レッドグリズリーは小規模災害級の魔物だぞ……」

 

 父は唖然とそんな言葉を吐いて、目の前の光景から目を離せないでいた。

 私もまたその謎の救世主様から目が離せなかった。


 彼女は吹き飛ばされたレッドグリズリーを一瞥すると、私達の馬車に向かって歩いてきた。


「お嬢様、こちらへ」


 メイドのリリイが私を背に庇う様に立つ。

 それを見た謎の女性は軽く鼻を鳴らして笑った。


「ほう、主をその身で以て庇うとは。中々気概のある従僕じゃな」


「……貴方は何者ですか、名乗りなさい」


「ん?……儂はシュラ、鬼族じゃ」


 "鬼族"、その言葉が落とされると同時に皆が息を飲む音が聞こえた。

 先程はレッドグリズリーの襲撃で気が動転していたため気が付かなかったが、彼女の容姿には彼女が鬼族であることを示す要素がいくつか見受けられた。

 それに何よりレッドグリズリーの突進を片腕で止め、ひと薙ぎで吹き飛ばすその怪力こそが彼女を鬼族であることを証明していた。


「お主等、見た所この辺の人間ではないな。他所から来た者か」


「……ああ、我々はシルヴァリオン王国から来た」


 彼女の問いに父が声を震わせながらも何とか答える。

 彼女は父の返事に興味無さそうに鼻を鳴らして返すと、レッドグリズリーが吹き飛んで行った方に目を向けた。


「それで、先の子赤熊は儂が貰うぞ」


「え…あ、ああ。構わない」


 そう言って彼女は行ってしまった。

 それを見送ると父は私達に振り返り心配そうに。


「シャルロット、リリイ。怪我はないか」


「う、うん…大丈夫」


「旦那様もご無事ですか」


 リリイの言葉に首肯で返すと父は御者に何やら話した。


「この馬車はもう使えそうにないか」


「え、ええ。車輪が完全に壊れてしまって……それに馬達も怯えて動けなくなっております」


 父は御者の言葉に頭を抱える。

 こんな道の真ん中で立ち往生してはまた魔物に襲われかねない。


「どうしたものか……いや、今は無事であったことを喜ばねば」


 そう言って父は馬車から降りて再び御者と話し始めた。

 そんな時。


 "あの〜……"


 「ひっ」


 突然誰かに声をかけられた。

 振り返るとそこには私と同い年位の女の子と大きな剣を持った女性が立っていた。


「な、何者だ!」


 御者と話していた父が慌ててこちらに戻ってきた。


「ああ、驚かせたようで申し訳ない」


 女性は軽く頭を下げてそう言った。


「わえ達はシュラ様の侍従。名を玉梓と申す」


「あ、私は桔梗です!」

 

 シュラ様、先程助けてくれた鬼族の方の侍従だという。

 すると、シュラが戻ってきた。


「おお。玉梓、桔梗」


「大嬢、急に一人で走り出すのはお止めくだされ……」


 溜息をつきながら玉梓という女性は言う。


「はぁ……それで、その赤熊はどうするおつもりで?」


「食う」


「……夕餉は熊鍋にしますか」


 私はその様子を見て、居ても立っても居られず馬車を降りた。


「あ、あの…先程は助けて頂き、ありがとうございました!」


 そう言って私は深く頭を下げた。


「お嬢様!?」


「貴方が居なければ私達はあの熊に殺されていたでしょう」


「そうだな……鬼族の方、私はガストン・ワイルダーと申します。こちらは我が娘シャルロット、そしてメイドのリリイ」


 父が私達を紹介し始めたので慌てて再びお辞儀をする。


「そうか、まあ無事で何よりじゃ。儂等は先を急ぐのでな」


 そう言って彼女は私達に背を向けた。


「お、お待ちください!」


「……なんじゃ」


 若干鬱陶しげに眉を顰め彼女は振り返る。


「貴方々はどちらへ向かっておるのでしょうか」


「わえ等は曨の都への旅の途中にございます」


 父の問いに玉梓と言う女性が前に出て答える。


「そうでしたか、実は私達も都へ向かう途中なのですが。ご一緒させては頂けませんか」


「何故じゃ」


「見ての通り私達の馬車は先の襲撃で使い物になりません、再び魔物に襲われればひとたまりもないでしょう」


「つまり、儂にお主等の用心棒になれと申すか」


 彼女から殺気が溢れる。

 そして、私の意識は途絶えた。



 ﹏﹏﹏﹏﹏﹏﹏﹏﹏﹏﹏﹏﹏﹏﹏﹏﹏﹏﹏﹏﹏﹏﹏



 「端的に言えばそうなります」


 シュラは目の前に立つその男を観察していた。

 金髪に碧眼、大きな体躯。

 自身の発した殺気に当てられ冷や汗を流しながらも威厳を失わないこの者を。


「儂の気を立って凌ぐ、か。お主程の強者ならばここらの魔物ごとき恐れることは無いと思うが」


「……私一人ならばそうかもしれません。しかし、娘と従者二人を魔物から守るとなると……くっ……」


 男は地に膝をつき、それでも何とかシュラに強い意志の宿る目を向け続ける。


「……はぁ。これで断れば儂が悪者の様だな、良かろう」


「では……!」


「玉梓、桔梗!後ろで気を失っておる者達を起こせ」


「「(ぎ、)御意に」」


「ほれ、何時まで膝をついておるつもりじゃ」


 そう言ってシュラはガストンに手を差し伸べた。


「あ、ああ……」


 恐る恐るといった様子でその手を掴むガストン。

 そして一気に引き上げられる。


「おお!」


 勢い余って倒れそうにながらも何とか立ち上がるとシュラの顔が自身の目線の下にあった。


「ガストン、といったな。儂はお主が気に入った、お主等四名を都に送る任、受けてやろう」


 その言葉に安堵した様子を見せるガストン。

 背後では先程気を失ったシャルロットとリリイ達が玉梓と桔梗に目覚めさせられている所であった。


「では改めて、儂の名はシュラ。鬼神子じゃ」


「鬼神子……?」


 聞き慣れない言葉に困惑していると玉梓がシャルロットを支えて戻ってきた。


「貴方々に分かりやすい言い方をするならば、シュラ様は鬼族の王女となります」


「な、なんと……!?」


「そんな事は良い。娘とその侍従よ、歩けるか」


「う、うん……」


「まだ膝が震えておりますがなんとか……」


 二人の言葉にからりと一笑いするとシュラは都へ続く道へ視線を移す。

 そして道端に放っていたレッドグリズリーの死体を軽々と持ち上げた。


「では行くぞ、日の出ておる内に都に着きたいのでな」


 そう言ってずかずかと背に大熊を背負っているとは思えない程軽い足取りで歩き始めてしまう。


 その行動に呆気にとられていると長刀を持った玉梓が「置いていかれますぞ」と肩を叩く。


 ガストン、シャルロット、リリイ、御者。

 シュラ一行は四人の同行人を連れ道を進み行く事となった。


「(守るものが多いと動きづらくて敵わん)」


 当の本人はそんな事を考えながら歩を進める。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る