第九話「蛸宴」
「
シュラの放った衝撃は
轟音と共に現れた大穴に吸い込まれていく巨蛸。
「……お?まさかもう終わりかの…?」
そう言ってシュラは自身の空けた大穴に飛び込んだ。
底では息絶えた巨蛸が力無く斃れている。
「何じゃ、つまらんのう。もうちっと耐えてみせぬか」
シュラは巨蛸の前に行くと眉を顰め、残念そうに零した。
「では、島に持っていくとするか」
玉梓の奴なら捌けるであろう、と巨蛸の下に潜り込んだ。
そしてそのまま、巨蛸を
「ぬ?こ、この!上手く掴めぬ、ぬるぬると滑りおって!」
そう愚痴を漏らしながら上手いこと立ち上がったシュラは巨蛸の触手を引っ掴み、半ば引き摺るようにして背負い、一気に跳び上がる。
﹏﹏﹏﹏﹏﹏﹏﹏﹏﹏﹏﹏﹏﹏﹏﹏﹏﹏﹏﹏﹏﹏﹏
その頃、土岐島の港は混乱に包まれていた。
玉梓と共に港に駆けつけた吉平達は眼前に広がる光景に言葉を失ったままだ。
「いやはや、派手にやりましたな大嬢」
皆が愕然とする中、呆れた様子で呟く。
そんな玉梓に吉平は詰め寄った。
「お、おい!あの人は何をしたんだ!?」
「何をって……巨蛸を退治されたのです」
「そんな馬鹿な……」
「申した筈です、あのお方は鬼神子だと」
「な、なんだよその鬼神子ってのは…」
「あの方の容姿とその言葉を結べば自ずと答えは出るのでは?」
「容姿って……」
そこで吉平は思い返す、シュラの見た目を。
暗褐色の肌に赤い目。
「ま、まさか…鬼……?」
吉平の言葉に頷き返す。
その様子を見た吉平の娘が玉梓の足元から物言いたげに見上げてくる。
娘と目が合うと彼女は意を決したように口を開いた。
「鬼って人を食べるんですか……?」
彼女がそう問うてきた理由に、玉梓は思い当たる節があった。
鬼族はその奇異な容姿から人喰いだの人里に現れては女子供を攫うだのと謂れのない
しかし最近では鬼ヶ島を訪れた冒険者達が鬼族の話を広めてくれた事により、以前より幾許かマシになったのだが、やはり土岐島の様な離島や都から遠い田舎ではまだまだ虞られてしまう。
「鬼は人喰いの怪物、それは間違いですよ」
「本当?」
彼女は首を傾げながらそう返す。
「ご安心を、彼等鬼はそんなに怖い者達ではありませんから」
玉梓は少女の頭を撫でながらそう言った。
すると、吉平が突然声を上げた。
「お、おい!あれ!!」
彼の指差す方へ目を向けるとそこには、海に空いた大穴から巨大な影が飛び出してくる様子が見えた。
そのままその影は放物線を描きながら港付近の浅瀬に大きな音と水飛沫を上げ落ちてきた。
何事かと皆がそこに顔を向ける。
「あれは……」
落ちてきたのはつい先程まで沖で触手を畝らせていた巨蛸の骸であった。
そしてその骸の下に人影が現れる。
それは巨蛸の骸を引き摺り始めた。
見上げる程に巨大なソレが地を擦る音が周囲に響く。
人影はこちらに手を振って声を上げた。
「おーい!玉梓よ、コイツを捌いてくれ!」
瓢箪を煽り、その顔には笑みを浮かべて鬼神子シュラは侍従を呼ぶ。
玉梓は主の呼び声に呆れた様子で従う。
「大嬢、あまり無茶をなさるのはお止め下され」
「無茶などしとらんぞ」
巨蛸を港に引き揚げながら、心外だとばかりに首を傾げるシュラ。
「あの程度の魔物、わえでも仕留められますゆえ」
玉梓の言葉に軽く鼻を鳴らすと再び酒を煽る。
「儂の糧になるものならば儂の手で仕留めるのが礼儀であろう」
「全く……して、この蛸はわえが捌くのですか」
「儂は魚を捌いたことは無いのだ、お主に任せた方がよい」
では任せたぞ、とシュラはその場にどかっと胡座をかいて瓢箪を煽り始めた。
「承知致しました。ではわえがこれを捌いている間は、あまり暴れねぬようお願い致します」
「それでは儂がいつも暴れておるようではないか」
「実際暴れておりますゆえ」
「あ、あの……」
シュラと玉梓がくだらない問答をしていると吉平の娘が声を掛けてきた。
「ん?どうした童よ」
「助けて下さりありがとうございます」
そう言って深く頭を垂れた。
シュラは何を言われたのかわからない様子で首を傾げ玉梓に目をやる。
「儂はお主を助けた覚えはないぞ?」
「大嬢、彼女は巨蛸を退治してくれたことに感謝しておるのですよ」
「お?……ふむ。
「……へ?」
「じゃから、名を申せと言うたのじゃ」
「あ……き、桔梗です……」
「ほう、桔梗か。良い名だ」
そう言われた少女は嬉しそうにはにかんだ。
「そして、鬼である儂に臆しながらも物を言えるとは、人間の童にしては良い胆力じゃ」
酒を煽りながらそう言うと、シュラは桔梗の頭に手を乗せた。
「桔梗よ、お前が気に入った。何か有事の時は儂を頼れ」
「へ……?」
「さて、玉梓よまだ捌き終わらんのか」
「いえ、今終わったところです」
玉梓の背後にはバラバラの解体された巨蛸であったであろう物体が転がっていた。
「おお、よくやった。して、コレはどのようにして食うのじゃ?」
「刺身でも焼いてもよいでしょうな」
そうか、と言ってぶつ切りにされた巨蛸の足を一つ持ち上げそのまま食らいついた。
「うわいなほれ(美味いなこれ)」
「大嬢、口に物を入れながら喋るのはお止め下さい、行儀が悪いですぞ」
「おぉ、そうじゃ桔梗よ、お主も食え」
急に話を振られた桔梗は慌てた様子で玉梓の方に視線を移す。
「蛸はお嫌いですか桔梗さん」
「い、いえ……」
「ならば食え食え、どうせ儂一人では食い切れぬ。ほれお主らもこちらへ来んか」
そう言って吉平と妙、そして港に集まっていた野次馬に向かい手招きする。
野次馬達はお互いに顔を見合せざわざわと話を始めた。
しばらくすると野次馬の中から杖をついた老齢の男が出てきた。
「旅のお方、この度は巨蛸を討ち取って下さり誠にありがとうございます」
老人はシュラの目の前に来ると先程の桔梗と同じように深く頭を下げながらそう言った。
「なに、儂が勝手にやったことじゃ。して翁よ、お主がこの島の長かの?」
「えぇ、私がこの土岐の長を務めております。源之助と申します」
「そうか、儂の名はシュラ。鬼神子じゃ」
「鬼神子……やはり、貴方は鬼族なのですね」
「その通りじゃ、怖くなったか?人間共は鬼は人喰いの化け物だと言っとるらしいが」
酒を煽り、そう返す。
「……確かにそう言われておりました。しかし、命の恩人に対しそのような無礼を行う程、我等は堕ちておりませぬ」
源之助はシュラの目を真っ直ぐ見つめそう言いきった。
「どうか気の済むまで島に滞在して頂いて構いませぬ」
「そうか…しかし儂らまだ旅の途中、どうせ昼刻にはこの島を出るつもりじゃ。安心するがよい」
「そうですか……」
「だからこそじゃ、この巨蛸を儂一人では処理できぬ。お前達も食え食え」
そう言って再び瓢箪を煽り蛸を頬張る。
「ではお言葉に甘えて……」
源之助がそう口にした所で玉梓が切り分けた蛸の身を差し出した。
「おぉ、忝ない」
そう言って差し出された蛸の刺身を一つ口に入れる。
「おぉ、これは……」
「美味かろう?」
「えぇ……私達が普段口にしている蛸より美味いですな」
「そうかそうか、儂は普通の蛸を食ったことないからのぉ、お主が言うならそうなのだろう。ほれ他の者達にも食うように言え、全員で処理せねば腐るぞ」
「そうですな……」
そう言って源之助は背後の島民達に目を移した。
「ほらお前達もこちらに来なさい、恩人の計らいです」
島の長である源之助にそう言われては拒否する訳にはいかないのだろう。
島民達は一人また一人と巨蛸の近くに寄ってきた。
「では玉梓よ、皆に巨蛸の身を配ってくれ」
「承知致しました、では皆様お並びください!」
"じゃ、じゃあ俺から……"
最初に出てきたのは桔梗の父吉平だ。
吉平は蛸の身を口に入れた。
「美味ぇ!妙、桔梗!お前達も食いな!」
そう催促された妙と桔梗も恐る恐る蛸を口にした。
「「美味しい……!」」
そう言って笑顔で食べ始めた。
それを見た島民達も一人一人と玉梓の前に並び始める。
皆美味そうに蛸を頬張り、港はちょっとした祭りの様な喧騒に包まれる。
すると源之助がシュラの隣に座った。
「どうした、島長よ」
「シュラ殿はこれからどこへ向かうのでしょうか」
「ふむ、どうするかの……玉梓、この島を出た後は何処に行くのだ」
「このまま東に進んでも海しかありませぬゆえ、鬼ヶ島の南部を回り曨に向かおうかと思います」
「私が協力できることはありますかな?」
「では長旅用の船と食糧を分けて頂きたい」
「お易い御用です」
そう言って源之助は近くにいた男に何やら耳打ちし、男はシュラの方を一瞥すると数人の男衆を連れてどこかへ行った。
「今漁師達に船と食糧の用意を命じました、昼頃には港に停めておきますのでご自由にお使いください」
源之助はそう言った後、つかつかと何処かへ消えていった。
その後しばらく土岐の港では巨大な蛸を囲い宴が開かれていた。
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