第八話「巨蛸退治」

「櫂休めじゃ、陸付するぞ玉梓よ」


 もう夜は更けて天に星が瞬き波の少ない海面が鏡のように星空を映している。

 昼間は賑わう港もこの時間では、しんと静まり返っていた。


「今は何刻頃かの?」


「夜半頃かと」


「ふむ、もう住民は床に着いた頃か」


旅籠屋はたごやも取れないでしょうな」


「仕方なし、今宵までは船で越すか」


 そうしてシュラは船縁に身体を預け、そのまま寝息を立て始めた。


「大嬢、せめて羽織の一つ位は掛けてくだされ。夜冷えは身体に障りますぞ」


 腕を組み穏やかな顔ですうすうと寝息を立てる主人に呆れながら玉梓はシュラの肩に羽織を引っ掛けた。

 そして自身は大刀を抱え眠りに着いた。



 ﹏﹏﹏﹏﹏﹏﹏﹏﹏﹏﹏﹏﹏﹏﹏﹏﹏﹏﹏﹏﹏﹏﹏



「大嬢様、朝になりましたぞ。起きてくだされ」


 涼し気な柔風の吹く、心地良い朝を迎えた。

 シュラは欠伸一つに眠気眼を擦りながらむくりと起き上がった。


「おはようございます、大嬢」


「おう……何刻じゃ」


「先程遠くに正刻の鐘六つ鳴っておりましたぞ」


「つまりは卯の刻か……」


「漁師は既に仕事を始めておるやもしれません。他の者達もそろそろ起きてくる頃合いかと」


「では、食事処の一つ位は開いておるかのう」


 そう言って立ち上がるとシュラはぐーっと大きく背伸びをした。


「では行くぞ玉梓。儂ァ腹が減って仕方ないわ!」


「食事処は宿屋の傍にあることが多いですので、まずは住民の方に聞いてみましょう」


 玉梓も言葉に首肯で応え、金棒を背に掛け瓢箪片手にずかずかと歩き始めた。

 暫く進むと長屋の並ぶ町並みが目に映った。


「この離れ島は曨の領土で 土岐島ときのしまと云うらしいですぞ」


 曨とは鬼ヶ島より西に位置する島国だ。

 南北に縦長で多くの離島を有し広い領土を持つ国でもある。

 この土岐島もそれ等の一つなのだろう。


「……にしても、人が居らんな」


 伽藍とした通りにそんな言葉が落ちる。


「そうですな……おや?」


「ん、どうした」


「アレはもしや旅籠屋ではないでしょうか」


 長屋通りの奥、一つだけ二階建ての建物が目に映った。


「おお、あれか。よし、向かうぞ玉梓」



 ﹏﹏﹏﹏﹏﹏﹏﹏﹏﹏﹏﹏﹏﹏﹏﹏﹏﹏﹏﹏﹏﹏﹏



 旅籠屋らしき建物の前に着いたシュラは戸を叩いた。

 少し待っていると中からバタバタと草履の音が聞こえてきた。


「お、お客様でしょうか……」


 戸を少しだけ開けて少女が中から顔を出しそう言った。


「朝早くに申し訳ない、わえ等は旅の者にございます」


「旅のお方ですか、部屋は空いております。何泊のご予定でしょう」


「あぁ。わえ等は急ぎの旅でしてな、昼時にはこの島を出るつもりゆえ、食事と暫し休息を取りたいのです」


「では食事と半泊でよろしいでしょうか」


「それで良いですかな大嬢?」


 急に話を振られたシュラはぼうっと空飛ぶ鳥を見ていた視線を玉梓に向けた。


「ん?おぉ、それでよいぞ」


「では、お願いいたします」


 では少々中でお待ち下さい、と少女は玄関を示し二階へ消えていった。

 すると階段の奥の方で話し声が聞こえ始めた。


 玄関に腰掛けて待っていると階段を降りる音が聞こえた。


「旅人の方、お部屋へ案内致します。こちらへ」


 二階から降りてきたのは割烹着姿の女性であった先程の少女は女性の後ろでひょこっと。

 二人の顔立ちに互いの面影を感じる、母娘であろうか。


「おぉ、かたじけない」


 女性の示す先へ向かおうと玄関を上がろうとしたその時。


"ゴーンゴーンゴーン…"

 

 と遠くより鐘の音が鳴り響いた。

 その音を聞いた女性はその顔に恐怖を湛えている。 

 すると戸の外からドタドタと激しい音が聞こえる。

 そしてその音の主が戸の前に着いたと同時、勢い良く戸が開かれた。


タエ!居るかぁ!妙!!」


 音の主は総髪の男。

 濡れた着物とガタイの良さから漁師かと思われる。


「お父さん……」


「ど、どうしたの吉平さん、お客様の前で」


 男の名は吉平といい、あの子の父親らしい。

 吉平はシュラ達に気付いていなかったようで、ハッとしてシュラの方に目を向けた。


「す、すまねぇ。気が動転してた…お客さん、悪い事は言わねぇ。直ぐにこの島を出た方がいい」

 

 吉平は冷や汗を垂らしながらそうまくし立てた。


「ふむ、何やら事件でも起きたのですか」


「海に 巨蛸おおだこが出たんだ!さっきの鐘が聞こえたろ!?ありゃ魔物が出た合図だ!」


「巨蛸……?玉梓よ知っておるか」


「話には聞いております、巨蛸は普段海の奥深くに住んでおるのですが腹を空かすと海面付近に上がってきて船丸ごと海に引きずり込み人を喰らうのだとか。昔から船仕事を生業にする者達から恐れられてきた怪物です。その見た目は名の通りとてつもなく巨大な蛸であるのとか何とか」


「ほう……して、蛸とは何ぞや」


「蛸とは……何と言い表せば良いのか、大きな頭に八本の畝ねる腕を持つ生き物でしてな」


「面妖な奴じゃな」


 して玉梓よ、とシュラは続けた。


「その蛸とやらは美味いのか!?」


 そう目を輝かせ言い放った。

 その問答の様子を見ていた吉平と妙はシュラに言葉をかける。


「お、お客さん。今はそんな話をしている場合じゃねぇんだ……」


「そ、そうです旅人様。どうか早くこの島をお離れ下さい」


「いや、大事な事じゃ。吉平とやら、その蛸は美味いのか?」


「あ、あぁ。蛸はこの辺で沢山獲れるから俺等もよく食ってる、この島の名物だが……」


「ほう!ということは……その巨蛸とやらもさぞ美味かろうな……」


 じゅるっと涎を拭いながらシュラは言う。

 その言葉を聞いて吉平は声を荒げた。


「ば、馬鹿言うんじゃねぇ!巨蛸なんか相手にしたらこっちが先に食われちまう、悪い事は言わねぇから島を出な!!」


「よいよい、心配無用じゃ。して何処に現れたのじゃ?」


「こ、この島から直ぐ西の沖だ」


 その言葉を聞いたシュラは直ぐに外に歩いて行ってしまった。


「お、お客さんどこ行くんだ!」


「大事無いですよ吉平殿」


「てことは逃げてくれたのか!?」


「いやぁ、ウチの大嬢様は食に目がなくてですな……」


「ま、まさか……」


「えぇ、そのまさかかと」


 玉梓の言葉を聞くや否や吉平は脱ぎかけていた草履を履き直した。


「こうしちゃいられねぇ!後を追わねぇと!!」


 そう駆けていこうとする吉平を妙と娘は止めに入った。


「あ、貴方まで何処に行くおつもりですか!?」


「あの人を追うんだ!!これであの人が蛸に食われてみろ!俺が殺したみてぇじゃねぇか!」


「それでは貴方まで……」


「あぁ、大丈夫ですぞ。お二方」


 問答を繰り返す妙と吉平を諌めながら玉梓は割って入った。


「大丈夫って……」


「あのお方が巨蛸如きにやられたりせぬよ、何せあの方は」


 鬼神子ですぞ。



 ﹏﹏﹏﹏﹏﹏﹏﹏﹏﹏﹏﹏﹏﹏﹏﹏﹏﹏﹏﹏﹏﹏﹏



 一方その頃、シュラはというと……。


「おぉ!本当に巨大じゃなぁ!!斯様な物が外にはおるのか!!」


 海面から伸びる巨大な触手に目を輝かせていた。


 港には漁師らしき男達が唖然とその光景を見ていた。

その顔に喜色を湛えた鬼姫、片や絶望を湛え声すら上げられぬ島民達。

 皆巨蛸に気を取られシュラに気付いていない。


「さて、やるかの」


 シュラはぐぐーっと一つ背伸びをしてそう呟いた。


「巨蛸退治じゃ」


 その言葉がしんとした港に落ちた直後、シュラは巨蛸の元へと跳んだ、で。

 港に地を蹴る音が響いた。

 巨蛸に気を取られていた者達も何事かと轟音の元へ視線を向ける。

 そこには土煙と共に大きく抉れた地面があるだけであった。


 島民達が自身の起こした現象に呆気にとられているとは露知らず、巨蛸の上空へと跳び上がった鬼姫は金棒を大きく振りかぶる。


奈落褎曳ならくのそでひき


 その言葉と共に金棒は目にも留まらぬ速度で振り抜かれた。



 ﹏﹏﹏﹏﹏﹏﹏﹏﹏﹏﹏﹏﹏﹏﹏﹏﹏﹏﹏﹏﹏﹏﹏

 


「な、なんだありゃ……」


 結局シュラを追い港に来た吉平は呆然と言葉を吐いた。

 吉平だけでなく、その妻妙と娘もまた同じように沖を見つめていた。

 そこには、海面にぽっかりと空いた巨大な大穴。

 シュラはまだ上空で金棒を振り抜いた格好だ。

 巨蛸の触手が波と轟音を立てながら大穴に沈んでいく。

 シュラもまたそれを追い、穴に吸い込まれていった。


「いや、派手にやりましたな大嬢」


 玉梓だけが喜色を顔に浮かべていた。

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