第38話 好きな人のお姉さん


 俺は今までに見たことがない悲しそうな目を茜さんから向けられた。


「ねぇ、大路君」


「はい」


「あたしがこれから話す事。他言しないって約束できる?」


「誰にも……ですか?」


「そうだよ。麻帆にも、あたしらのお義母さんにも。……あと、雪にもね」


「!」


 雪にも。茜さんは確かにそう言った。


 それはつまり、心を開いている雪にも話した事がない事を伝えようとしてくれているという事。


 それだけ大事な話をこの俺に。


「……」


 俺は、息を呑んで小さく頷く。


 それでも、知りたい。


 茜さんが少しでも麻帆の事を嫌いなだけでなく、他の感情も抱いているのであれば、俺はそれを知りたい。


「うん、いいよ」


「あの、でもそんな大事な事をどうして俺なんかに?」


「……どうしてかな。まだ会って日が浅い君だからかもしれない」


 だからって、俺に打ち明けても良いのだろうか……。

 いや、深く考えるのはよそう。


「分かりました。絶対に他言はしません」


「……うん、ありがとう」


 俺は覚悟を決めて次の茜さんの言葉を待つ。


「これから言うことは、他言無用だけど。当然、途中から聞き流してもらっても構わないから」


 その言葉に、ただ俺は頷く事しかできなかった。


 麻帆や雪とは仲が良くても、俺と茜さんの関係なんて、友人のお姉さん。あっちからしても、妹もしくは親友の知り合い。それくらいの関係だ。

 そんな俺だから、茜さんは愚痴でも溢すかのように俺を吐口に選んだのかもしれない。


「……あたしさぁ、中学くらいまでは割と真面目だったんだよね」


「えっ、今も成績優秀だって聞きましたけど……あっ」


 つい口から思った事を喋ってしまい、咄嗟に口を塞ぐ。

 一つだけ質問に答えるという約束なのに、追求するような事を聞いてどうする。


「い、今のは……」


「それ、麻帆から聞いたの?」


「あ、はい。すみません」


 話を途中で止めてしまった事に反省する。

 幸い茜さんも気にはしていないようだけど、今のはちょっと失敗だな。


「別に怒ってないよ。ただ、君が信頼されてるんだなって思っただけ」


「信頼……」


 ……そう言われると、少し照れる。

 長年家族でいる茜さんにもそう思ってもらえるのか。


「まぁ、確かにあたしの取り柄って言ったらそこしかないんだけどね。でも、今言ったのはそういう事じゃなくてさ……」


 そうして、自分の髪の毛先をくるくると指先で巻き始めた。


「これとかの話」


 どこか寂しげな顔で茜さんは言う。


「髪……ですか」


「うん、そう」


 そういえば、絢爛女子に通う生徒の中にもギャルみたいな生徒がいるんだなと、初めて茜さんを見た時に感じた。


「んで、これが少し前のあたし」


「えっ」


 そして茜さんにスマホの画面を見せられる。

 そこに映っていたのは黒髪清楚な女の子。


「これが、茜さん?」


「あははっ、今と全然違うでしょ」


 確かに髪色や服装の着こなし方は現在とはかけ離れている。

 それでも、顔は今と変わらないままでよく見れば同一人物である事はすぐにわかった。


 今とは違う制服を着ているから中学の時の写真だろうか。


「これはね、あたしの中学卒業の時の写真」


 そして、隣に映っているのは同じ制服に身を包む麻帆の姿もあった。少し、今よりも幼い彼女と二人で並んでいる画像が俺の目に映る。


「確か、茜さんは生徒会長をしていたんですよね」


「そうそう、……って麻帆そんな事まで話したの?」


「え、ええ、まぁ」


「ふーん」


 危なかった。ついこの前聞いたことを持ち出すのは控えた方がいいみたいだな。

 なにせ、麻帆が茜さんの事を今も好きでいることは内緒なんだから。約束をしたからには気を付けないと。


「で、見ての通り今はこんなだけどね」


 あはは、と笑う茜さん。

 血の繋がりはないとはいえ、笑い方とかは二人ともそっくりなんだよな。

 それだけ一緒にいたのに、どうして茜さんは麻帆のことを嫌うんだ。それに、今見せてくれた写真だって二人ともあんなに笑顔だったのに。


「これはさ、あたしの唯一の抵抗なんだ」


「抵抗?」


 その言葉が俺の中で引っ掛かる。


「麻帆から聞いたかもしれないけど。あたしのお父さんがさ、何かとあたしらに期待を寄せてるんだよね」


 お父さんが自分たちに対して勉学に期待をしていたと、麻帆も言っていたな。


「でも、あたしはともかく、麻帆が途中からついていけなかったんだよね」


 茜さんの表情がより寂しさを増す。


「頭が悪いってわけじゃないんだけど、それ以上にあたしらの環境はレベルが高くて」


 この感じ、やっぱり茜さんは……。


「もちろん得意不得意はあると思うよ。でも、あたしも一杯一杯でさ、お父さんに見放された麻帆が正直羨ましかったんだ」


「……茜さん」


「不謹慎かもしれないけどね」


 笑顔を俺に向けるが、その表情は俺からしてみれば心から笑っているようには見えない。


「自分だけ結果を求められて。麻帆はなんのお咎めもない。あたしにとってはそれが甘えに感じた。だから、麻帆のことを


 茜さんにも、やっぱり抱えているものがあったんだ。


「髪を染めたりしたのは、あたしを自由にしろって意思表明だったんだけど。お父さんは勉学を疎かにしなければ問題ないって言い張ってばかりで、相手にもしてくれなかった。内申点とかは気にせず勉強さえできればって感じで」


「あっ……」


 麻帆も勉強さえしていれば何も言われないって言ってたけど、そういう事があったからなのか。

 もしかして、麻帆が夜出歩く事に目を瞑っていたのも……。


「あたしが麻帆と距離を置くのはそういう理由だよ」


 ようやく、点と点が繋がった。


「どう? 少しは答えになったかな」


「……はい」


 けど、俺はもう一つ確かめたい事があった。


「さっき、麻帆のことを恨んでたって言ってましたけど」


「……」


「今はどうなんですか?」


 俺は、先程茜さんが呟いた言葉を聞き逃さなかった。

 明らかにあの言い方は過去形の印象だった。


「あたし、そんな風に言ったかな」


「はい、そう俺には聞こえましたけど」


 もし今も、麻帆のことが嫌いならそんな言い方はしない。


「……ノーコメントで」


 そして茜さんは鞄を持って立ち上がった。


「っ! 茜さん!」


 何も答えずに席を立つ茜さんを俺は呼び止める。


「すみません、怒らせたのなら謝ります! でも!」


「言ったはずだよ答えるのは一つだけって。さっきのは言葉のあやで考えすぎだよ大路君」


「っ!」


 茜さんの後ろ姿からはもう何も話さないとの確固たる意思が感じられた。


「……大路君」


「はい」


「麻帆のこと、お願いね」


 こちらへと振り向かず伝えられた言葉は、どこか二人の母親である妃咲さんから言われた言葉と似ているような気がした。


「……待ってください。茜さん」


 そして、俺はもう一度だけ去り行く背中へと呼びかける。


「言ったでしょ。もう話す事は、」


「最後に一つ、お願いがあります」


 俺は、茜さんの言葉に屈する事なく、一歩前へと足を進める。


 俺が麻帆のためにこういう事をするのは、友達だからってだけじゃない。きっと、彼女のことが好きだからなんだろうな。


 最後に、一呼吸おいて茜さんに向けて俺の想いを語った。

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