第26話 言い出せなかった事


 アルバイトの後、いつものように姫白さんの門限までの時間は俺の家で過ごすことになったのだけど……。


「……」


「……」


 空気が重い。部屋には静寂が続く。

 ソファーに腰を掛ける姫白さんも何も喋らないままだ。


 いつもなら、明るい表情で話題を振ってくれるのに、今日はその姿も微塵のかけらもなかった。


「姫白さん。はい、お茶」


「……ありがとう。大路君」


 ようやく出た言葉は小さくて弱々しい。普段の彼女からは想像もできない。


「とりあえず、ご飯にしようか。お腹空いたでしょ?」


「……うん」


 よし、今日は姫白さんが喜んでくれた肉じゃがを作ろう。

 それで、少しでも元気になってくれればいいのだが。


「ねぇ、大路君」


「ん? どうかした?」


 キッチンへと向いた足が姫白さんに呼び止められる。


「何も、聞かないの?」


「……」


 お姉さんである茜さんとの間に義理の姉妹以外にも何かがあるのだとスーパーでの事があって理解した。

 姫白さんが元気がないのも、きっとお姉さんが原因なのだろう。


 今まで姫白さんが自宅に居ようとしなかった理由が家族にあると思ってはいた。けれど、姫白さんはお母さんである妃咲さんとは仲が良いみたいだったし。

 だから、お父さんと何かあるのかもしれないと考えていたのだけど、この変わりようだ。

 お父さんの方ではなく、お姉さんの事があったからなのだろう。お姉さんがいる事を聞かされていなかったから、その考えはなかった。


「……姫白さんが話してくれるなら聞くよ。でも、辛いなら無理しなくていい。だから俺からは聞かない」


 姫白さんが辛いのに聞き出そうとするのは、俺も本心じゃない。気にはなるけど、無理に詮索するような事じゃないのは充分理解している。だから、急ぐ事ではない。


 俺は、姫白さん自身が話そうとするまではいつも通りにしようと決めていた。

 普段の彼女に戻るかはわからないけど、話してくれなくたって俺と姫白さんの関係が変わるわけじゃない。

 もちろん、俺が姫白さんを見る目も変わりはしない。ただいつも通りに接してあげる事が今の俺にできる精一杯の事だった。


 俺までしんみりして気にかけるのは余計に彼女に負担をかけるに違いないからな。


「じゃあ、今から夕飯作るから――」


「待って」


 今度こそキッチンへ行こうとした俺の手を姫白さんはそっと掴む。


「聞いて……貰いたい。大路君に私の話」


「……いいの? 話したくない事は言わなくても、」


 俺の言葉に姫白さんは首を振った。


「大路君は私が外を出歩いてた時、ちゃんとした理由も話さなかったのに暖かく迎え入れてくれた。私の我儘だったのに、こうして毎日一緒に居てくれて。だから、大路君にも知っててほしい」


「……わかった。聞くよ」


 俺はソファーに座る姫白さんのすぐ隣に腰を下ろす。

 掴んだままの手に、きゅっと少しだけ力が入った。


「ゆっくりでいいから」


 俺も優しくその手を握り返す。


「本当に優しいね。大路君は」


「そんな事ないよ」


「ほら、いつもそう言う」


「姫白さんがいつも俺の事を優しいって言うのと同じだよ」


「ふふっ、それもそうだね」


 姫白さんが笑った。

 まだ本題に入ったわけではないが、彼女の表情が少し柔らかくなったのを見て少しだけ安心した。


「少し長くなるけど、いい?」


「構わないよ。時間はあるから」


 姫白さんの門限まではまだ一時間以上ある。

 夕飯の時間も後にはなってしまうが、この時間以上に優先すべき事など今はない。


「そうだなぁ。じゃあ、まず私の両親の事からなんだけど」


 そうして、姫白さんの口から今まで知らなかった家庭環境が語られる。

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