第20話 バイトしてみない?


「ただいまー」


大路おおじ君。おかえりなさい」


 バイトから帰るといつものように姫白ひめしろさんが出迎えてくれる。


 やっぱり誰かにおかえりを言われるというのは嬉しいな。


 そんな一連の流れが俺の密かな楽しみでもある。

 扉を開けて笑顔で待ってくれる相手がいると思うとバイトも頑張った甲斐があるというものだ。

 まさに世の夫婦とはそういうものなのだろう。

 俺たちは夫婦ではないけども、なんとなくその気持ちがわかった。


「おっ、良い匂い」


「今日はポトフを作ってみたんだ」


「それはすごいな。楽しみだよ」


 部屋に入ると、美味しそうな匂いがキッチンの方からしてきた。

 鍋の中にはホクホクの美味しそうなジャガイモとニンジン、玉ねぎなどの具材が入っていた。


「くうぅぅ」


 俺が椅子に座るのと同時に姫白さんのお腹の音が鳴る。


「ご、ごめん……」


「ははっ、気にせず先に食べてても良かったのに」


「だ、だって、一緒に食べたかったんだよ? その方が美味しいし」


「っ!」


 なんだよその可愛い理由は。

 姫白さんと過ごす時間が増えて、彼女の人間性にはどんどんと惹かれていくばかりである。


 一匹狼の印象から、今はもはや小動物のようなイメージしか湧いてこない。

 『お昼時のシンデレラ』が、実はこんな人だと知るのが俺だけだなんて。すごく贅沢だよな。


 と、今はそんな事を言っている場合ではなかった。


「姫白さん、ちょっといいかな。話があるんだけど」


「えっ、なに? くうぅぅ……」


「実は今日さ、」


「きゅるるるる」


「……先にご飯にしようか」


「う、うん」


 姫白さんは恥ずかしそうな表情で首を縦に振った。



 ****



「ふぅ、今日も美味しかった。姫白さん日に日に料理スキルが上達してるよね。俺が作るのよりずっと美味しいや」


 ポトフは作ったことないけど、たぶん俺が作ってもこうはならない。


「そんな事ないよ。私は大路君の作ってくれる料理の方が好きだな〜」


 バイトが休みの時は俺が、そうでない時は姫白さんが夕飯を作る。

 気が付けば、その流れが自然となっていた。


 拓也から同棲してるのかと聞かれた時、違うと答えたけれど。こうしてみると、実際似たようなものだよな。


「それで大路君、さっき何か言いかけてたよね。話ってなに?」


「あ、そうそう」


 先程は姫白さんのお腹の音に阻まれてしまったが、食後のお茶を飲む最中、通学用鞄から一枚のチラシを取り出した。


「これなんだけど」


 俺はそのチラシが見えるようにテーブルの上に置く。


「これって、アルバイト募集のチラシ?」


「うん、俺がバイトしてるスーパーのなんだけど」


「あそこってバイト募集してたんだ」


「前まではしてなかったんだよ。最近辞めた人がいて、新しく募集する話しを店長から聞いてさ」


 チラシを眺める姫白さんを見て言う。


「良かったら、姫白さんどうかなって」


「えっ、いいの⁉︎」


「良いも悪いも姫白さん次第だよ」


 目をキラキラとさせ、興奮気味に身を乗り出して姫白さんは答える。


「やりたい!」


「ほんと?」


「うん! でも、どうして私に教えてくれたの?」


「姫白さんバイトしてみたいって言ってたよね。日頃の感謝というか、喜んでくれるかなって」


「もしかして、それで紹介してくれたんだ」


「……うん」


 つい先日、料理や家事までしてくれる姫白さんに何かお礼をできないかと拓也に相談した。

 その時に閃いたのがこれである。


 バイトを紹介するくらいなら、姫白さんも気を遣わないだろうし、彼女にとっても嬉しい事だろうと思ったのだ。


「えーっと、仕事内容は商品を売り場に補充する仕事です。……あれ? これって」


「うん。俺と同じ仕事になっちゃうんだけど」


「えっ、やった! むしろ大路君が側にいてくれた方が心強いよ!」


 女の子だったらレジ係とかの方がいいかもしれないと後から思ったが、心配する必要もなかったみたいだ。紹介して正解だったな。


「よかった。それと、前に抜けた人が俺と一緒の時間に働いてた人なんだけど。その人の後継人ってことで、新しく入る人は俺とほぼ同じシフトの日程にしてもらえるみたいなんだ」


 今回辞めた人というのは、俺とよくバイト先で顔を合わせる大学生のアルバイターさんだった。

 つまり、必然的に新しく入る人はそこに充てられる事になる。


「えっ、じゃあこのバイト募集も一人しか雇わないってこと?」


「そうかもしれない」


 店長は何人か雇うと言ってたけど、場合によっては一人決まれば締め切る可能性もある。


「どうしよう早くしなきゃ!」


「大丈夫だよ。店長がまだ広報誌にも載せてないって言ってたから知ってる人は少ないと思うよ。今日までで応募者もいないみたいだし、俺も友達に宛があるって言ったら待っててくれるって話になってるから」


 もし本当に一人だけしか雇わないのだとすれば店長が待つと言ってくれた時点で、これはもう姫白さんのためだけのバイト募集みたいなものだけどな。


「さすが仕事が早いね大路君。抜かりない!」


 まるで上司のような褒め方をする。抜かりないなんてあまり使わないのに、姫白さんのワードチョイスは一体何処から出てくるのだろう。


「でも姫白さんがやるって言うことが前提だけどね。もし気が変わったら、」


「もちろんやるよ! それに私が入ったら、大路君がバイトある日でも終わるまで一緒ってことだよね」


 そう、俺はバイトを紹介するにあたり、もう一つの考えがあった。もちろん、お礼が本命だが、姫白さんにとってもメリットとなる事がもう一つ。


「そうだね。それに、シフトが同じなら二人で帰れるから」


 姫白さんは明るく振る舞ってくれているけど、やはり俺の自宅の鍵を預けられることに少し責任を感じてしまっているところがあった。

 部屋に一人でいる間も、きっと暇だろう。


「今より家事を手伝ってもらう時間は減っちゃうけど、どうかな姫白さん。一緒にバイトしてみない?」


 俺は姫白さんが理解してくれたところで、バイトの募集に応募してみないかと切り出す。

 今までの反応なら答えは決まっているようなものだけど。


「……うん、それでも私やってみたい。もちろん家事を手伝うのも変わらないよ」


「俺はどっちでもいいけど、無理だけはしないでね」


 姫白さんはただでさえ睡眠時間が短い。学校で寝て夜は目が冴えていたとしても、机で寝るのと家で寝るのとでは天と地の差だ。

 バイトを紹介する事に不安があるとすれば、それくらいだ。


「大路君。本当に何から何まで、いつもありがとね」


「!」


 対面に座っていたはずの姫白さんが俺の横に来て手をぎゅっと握る。


「えっ、姫白さん?」


「あはは、ごめんね。ついこうしたくなっちゃって、理由はわからないんだけど」


「それはどういう……」


「言ったじゃん。わかんないって」


 そう言われると、これ以上聞きようもないな。


「で、でもそんな、大したことじゃ」


 急な事に声が上擦った。


 格好悪いな……。


 少しは慣れてきたと思っていたのにな。こうして至近距離にまで近づかれると、やはり意識してしまう。


「ううん、大路君には感謝しかないから」


 俺からの感謝のつもりが、逆にお礼を言われてしまった。

 でもまぁ、彼女が乗り気なのは実に良い事である。


「それで、私はこの後どうしたらいいんだろう」


「えっと、その募集用紙の裏面が必要事項の記入欄になってるから、書いてくれたら俺が店長に渡しておくよ」


 うちのバイト先の店長は優しい人だから、他に希望者がいたとしてもこちらを優先してくれるはず。もしくは他の応募者も含めて雇うかだ。


「うん、わかった」


 姫白さんの手が俺から離れる。そしめ、つい感触を確かめるかのように掌を見る。

 姫白さんの手、柔らかくて暖かかったな。前に繋いだ時も思ったけど、女の子の手ってやっぱり小さいんだな。


「じゃあさっそく……、」


 と、裏面を見たところで姫白さんの動きがピタッ止まる。

 明るかった表情も、一気に深刻そうな顔色へと変わった。


「どうかしたの姫白さん?」


「……大路君。私、応募できないかも」


「えっ! な、なんで⁉︎」


 あんなに喜んでくれていたのに、一体どうしたというんだ。


 しかし、姫白さんの次の言葉を聞いてそれを瞬時に理解した。


「私、高校生だから、バイトするのに親の同意が必要だって……」


「あっ……」


 そこで俺は致命的な問題を忘れていた事に気がついた。

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