第14話 家を出るために


 まず勉強を疎かにしない事。

 これが一つ目の条件。

 バイトだけに力を注いで留年などしていたら元も子もない。だからそれなりの成績を収める事が条件に出された。


 もう一つが、私生活も両立させる事。

 基本的な家事はもちろんのこと、部屋の掃除や洗濯に栄養のバランスを考えた食事を摂る。

 そのためにも、前の家にいた時から受験勉強の傍ら、母さんから事前に色々と学ばせてもらっていた。


 最初は一人暮らしに反対だった母さんも、俺が本気なのを知ってから何かと教えてくれたのが鮮明に記憶に残っている。


 そして、この二つが守れなくなった時。俺は元いた家に帰ると約束をしている。

 家を出て独り立ちするにはまだ早いと自覚させるためにはピッタリの条件だった。


 別に縁を切ったわけではない。

 だから、俺もその条件を呑んだ。


 しかし、戻るという事はこの街にはいられなくなるという事。当然今の高校に通うのも難しくなる。つまり、転校する事になるのだ。


 二人は喜んでまた俺と一緒に暮らしてくれるだろうが、今の俺としては……。


「――そう、だったんだ」


 そこまでの話を聞いて、姫白さんはそう呟く。


「うん。これが高校に進学するのと同時に一人暮らしを始めた理由。勉強とバイトを頑張ってるのは二人に恩を返したいからなんだ」


 俺は出来る事なら、このまま一人暮らしを続けたい。

 もし帰る事になったら俺の目標は遠退き、その分また二人に迷惑をかける事にも繋がる。

 せっかく友達になれた姫白さんとも、お別れをしなくてはならない。


 最初は目標を達成するために友達もいらないとすら思っていたくらいだ。

 でも、クラスで最初の友達になった拓也をはじめ、再会した幼馴染の雪とも簡単には会えなくなる。

 姫白さんとも仲良くなって、余計にこの場所を離れる事を考えるのが辛くなっていた。


「すごいね。大路君は」


「……え」


 初めて人に話して、反応がどう返ってくるのか怖かった。俺に賛成してくれたのは当の二人だけだった。


 実際、中学までの友達や先生をはじめ高校からそんなことして何になると、否定の声も多かったからな。


 でも、姫白さんは。


「本当にすごいよ。頑張ってるんだね大路君」


 俺の話しを最後まで聞いた上で、そう言ってくれた。

 初めて家族以外から自分の意見を否定されずに受け止めてくれた事に、嬉しくなる。


 そして。


「ひ、姫白さん?」


「なぁに?」


「この手は一体……」


 何故か姫白さんはそっと俺の頭を撫でる。

 まるで俺の今までの事を評価したように優しくて心地のよい手だ。


「あっ、ごめん。つい」


「いや、別にいい……けど」


 パッと俺の頭から離された手につい名残惜しく思ってしまった。


「大路君が優しい理由がちょっと分かった気がするよ。ほんと、


 一人暮らしをしたかった理由についてだろうか。

 でも、それと優しい事に何の関係があるんだろう。

 俺は姫白さんの家庭についてはまだ知らない事ばかりで、何を考えてそう言ったのかわからなかった。


「私、なにも知らなかった。それなのに、通いたいなんて迷惑な事」


「そんなに思い詰めないで姫白さん。俺の方こそごめん、急にこんな話しして。聞いてくれてありがとう」


 ぶんぶんと、顔を横に振られる。


「私、これからも本当に大路君の家に通ってもいいのかな?」


 彼女の瞳が少し潤んで見えた。


 俺は、そんな事をいう姫白さんに笑顔でこう伝える。


「いいに決まってるよ。俺が決めた事なんだから」


「大路君……。でも、私邪魔なんじゃない? ただでさえ忙しいのに」


 そんな事など、あるはずがなかった。

 俺は素直な気持ちを口にする。


「俺は、姫白さんが居てくれると嬉しいよ。誰かと過ごす事の楽しさを姫白さんが俺に教えてくれた」


「そんな、私はなにも……」


 今度は俺がそれを否定するように首を振る。


「俺も姫白さんに感謝してるんだよ本当に。だから、これからもおいでよ」


 その言葉に嘘はない。


 自分自身のためにもこれからも俺は、頑張り続けるだけだ。


「それに、一人暮らしだと寂しい時もあるんだ。だから誰かと一緒にいるとそういうのも忘れられるからさ。俺にだって、姫白さんが必要なんだよ」


「!」


 俺を頼ってくれているのと同じように、俺にとっても姫白さんがそういう存在になりつつある。

 ……あれ、でも今のってなんか。


「ふふっ、なんか今の告白みたいだね」


 その結論に至る前に、先に姫白さんが顔を赤くして言った。


「い、いやっ! 今のは違くて! もちろん今言ったことは嘘偽りない事なんだけど。そういう意味では決して」


 俺は必死に今生まれてしまった誤解を取り消そうと試みる。


「へぇー、そっか。大路君には私が必要なんだ」


「うぐっ!」


 なんか俺、弄ばれてないか?


「……否定はしないけど」


 不思議だ……。

 友達になって日は浅いのに、過去について話すどころか、あんな事を口にしてしまうなんて。


 俺、昨日からちょっと変……だな。

 姫白さんを前にすると、気持ちを素直に言いすぎてしまうというか。


「しょうがないなぁ。じゃあ、これからも有り難く大路君の家には通わせてもらうとするかな」


「そうしてくれると助かります」


 俺の話を聞いて迷いが晴れたのか、姫白さんはいつものように笑顔を浮かべる。


 俺としても、姫白さんがこれからも家に遊びに来てくれるのは大歓迎なので、もう来ないと言い出すのではと少し心配だった。


「うん、存分に甘えさせてもらうからね」


 甘っ⁉︎

 ……いや、別に深い意味はなく頼らせてもらうってだけの事だろきっと。


「でもさ、食費ぐらいは私も出した方が良いよね? それに毎回作ってもらうのも悪いし」


 姫白さんは、またご飯を食べ進めながら言う。


「別にいいよ。ご飯くらいはいつでも作る」


 それだけの蓄えはある。いくらお金を貯める目標があっても一人分くらい食費が増えたところで俺はそんなに気にはしない。


「大路君、本当に優しすぎだよ。私……このまま胃袋掴まれちゃうかも」


「えっ、なんて?」


 俺の顔を見て最後にぼそりと何か言ったようだけど、よく聞こえなかった。


「ううん、こっちの話。それにしても、本当にすごく美味しいね大路君のご飯。毎日食べたいくらい!」


 姫白さんは満面の笑顔でそう答えてくれた。


「……ありがとう」


 やっぱり、彼女は笑った顔が一番だ。


 さっきみたいな思い詰めるような曇った表情は似合わない。あんな顔をさせないためにも、俺はこれからも姫白さんとこの楽しい時間を過ごせるように頑張ろう。

 いくら彼女の前で素直に喋りすぎるとはいえ、これ以上は恥ずかしくて本人の前では言えないけどな。


「……私も何か返さないと」


 微かに姫白さんがまた何か呟いたようだけど、それもまた聞き逃してしまうほどに小さな声をしていた。

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