第2話 ガムとジュースを携えて
いつも通りの日常を過ごし今まで通りの学校での一日を終えて、俺はアルバイトへ直行した。
そして今現在、普段とは違う仕事を任されている。
「ありがとうございましたー」
本来なら自分の役割は店にある商品在庫の品出しをする係なのだが、今日は途中からレジ係の応援としてヘルプで入る事に突如予定が変更したのである。
うん。なんとか無事終わりそうだな。
バイトを始めたばかりの頃、一度研修でやらせてもらったこともあり、今回は俺に声がかかった。
少なからず経験もあったため、そこまでの不安はなかったものの、やはりお客さんを直接前にすると緊張するんだよな。
いつもならお客さんとすれ違い様に挨拶をしたり、商品の場所を聞かれるくらいで、さほど気にならないんだけど。
レジの担当をする責任感たるや、なかなかのプレッシャーだ。
おかげでレジに入ってから最初の三十分くらいは戸惑ってしまっていた。
「ふぅ……」
俺はひと段落した事に安心し、天井を見上げる。
慣れない事をしたからか疲れたな。今日も帰ったらそのまま寝てしまいそうだ。
「いやー、お疲れ様大路君。今日はありがとね」
「店長! お疲れ様です」
俺が担当した最後のお客さんを流したところで様子を見に来てくれた店長に声をかけられる。
「夜のパートさんが急に出れなくなってね。君が入ってくれて本当に助かったよ。まだバイト初めて二ヶ月なのに、申し訳なかったね」
「いえ、力になれて良かったです」
「さすが南沢高校の生徒さんだね。一度教えたことはちゃんと覚えてくれているし。また何かあった時は頼らせてもらうよ」
高校に入学してすぐの頃、バイト経験のない俺を快く採用してくれたのが店長だ。
感謝もしているし、お給料も頂いているわけだから、今回の事については当然の事をしたまでである。
「この時間だと、お客さんも落ち着いてくるだろうから、あと十分くらいしたら上がってもらって構わないよ」
「分かりました。ありがとうございます」
店長が立ち去った後、店内を見渡せばお客さんの数はちらほらとしか残っていなかった。
レジにいる間は、レジ打ちの仕事に集中していたせいで周りを見ている余裕などなかったからな。
俺はレジカウンターを備え付きのタオルで拭き、バイトを終える下準備へと入る。
「すみません。これ、お願いします」
「あっ、いらっしゃいませ」
俺は目の前にガムと紙パックのジュースを置かれて再び顔を上げた。
「……っ!」
俺は一瞬言葉を失う。
目の前に立っていたのは、俺が通う高校の制服を着た女子高生。
明るく長い髪を携えて、すらりとした体型に目鼻立ちの整った綺麗な顔をした子が商品をレジカウンターに載せていた。
「……? あの」
固まっていた自分へ、目の前の女子高生が声をかける。
「お会計、お願いしたいんですけど」
いつまでも手を動かそうとしない俺に向けて彼女はそう言った。
「あ、申し訳ありません! ただいま!」
俺は慌てて商品をスキャンする。
今まで通りにしていればなんて事ない商品の数なのに、今日の業務の中で一番緊張している。
「えっと、二百十八円になります」
「ん、はい。これで」
女子高生はスカートのポケットから小銭を取り出して、コイントレーの上へと載せる。
俺はすぐに精算して、レシートとお釣りを手に取った。
「こちら、二円のお返しになります」
「はーい」
差し出された掌に俺はゆっくりとお釣りとレシートを置く。
彼女の柔らかい掌の感触が指先を通して伝わる。
って、早く手を離さないと。
俺はパッと手を引っ込めて目の前の女子高生の顔を見た。
こうして緊張しているのには理由があった。
うちの学校の生徒が来るだけなら問題ない。ただ、目の前にいる女生徒には見覚えがあったのだ。
普段は、こんな風に顔を合わせる事すら少ない人物。
友達ではないし、一度も言葉を交わした事もない。
でも、同じクラスで席が隣り。
そんな彼女の存在を俺はよく知っている。
「姫白、さん……」
「え、うん」
小銭をしまい立ち去ろうとする彼女の苗字を思わず口に出してしまう。
咄嗟に口を手で隠すがもう遅い。
すでに彼女は俺の呼びかけに答えてしまったのだから。
高校で初めて同じクラスになって、席は隣りなのに挨拶すらした事のない。クラスメイトの
彼女が今、俺のバイト先にお客として現れたのである。
「も、申し訳ございません……っ」
俺は慌てて頭を下げた。
いくら知っている相手とはいえ、今はバイトの最中。
しかも、相手から声をかけられるのならまだしも、自分から声をかけてしまった。
一度も話した事すらないのに。呼び止めてどうするつもりだったんだよ俺は!
「? あれ? ……あっ、もしかして
「えっ……あ、はい」
俺の顔をじっと見てから気づいた素振りを彼女は見せる。
正直、めちゃくちゃコミュ障な反応をしたと思う。いや実際そうなんだけど。
「え、何してんのこんなところで」
「何って、バイトです。俺、ここで働いてるので」
「ふーん、そうなんだ。てか、どうして敬語なの?」
「一応、バイト中だし……あ」
「あははっ、全然駄目じゃん?」
悪戯に揶揄われているような……。
ていうか、なに普通に会話とかしちゃってんの俺。
「大路君バイトしてたんだね。いいなー、この辺に住んでるの?」
「うん。歩いて十五分くらいかな」
「へぇー」
姫白さん俺の名前知ってたんだ。
俺は一方的に彼女を知ってはいるけど直接名前を教えたことはないし、関わりもない。
いつも教室で寝ている彼女からしてみれば、せいぜい顔を見た事がある人、くらいが俺への認識だと覚悟していたんだけどな。
まあでも、さすがに同じクラスで二ヶ月も過ごしていれば覚えられるか。
……ちょっと嬉しい。
「ねっ、バイトって何時までなの?」
「あと十分くらいだけど……」
「ふーん。分かった」
何を理解したのだろう。
彼女はスマホの画面を見てなにかを確認した後、俺の顔を見て言った。
「じゃ、またね」
ひらひらと手を振り、姫白さんはレジから離れていった。
ほんの少しの時間だったけど、彼女の珍しい一面を見れた気がする。
普段の姫白さんはあんな感じなのか。
いつも眠ってばかりの彼女からは想像すらできない。
今の出来事を誰かに言ったところで信じてもらえないだろうな。それだけ先程の彼女はレアだった。
もう二ヶ月も隣の席なのに、ちゃんと話してる声も、あんな表情を見るのも今日が初めてだった。
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