創作論……らしきもの。『設定』は大事なれども

 皆様、ごきげんよう。


 私は『設定』厨とエッセイで自己紹介代わりに書いたので世界観や登場人物の『設定』に拘りたい派です。

 『設定』厨の人間によくありがちな話として、ノート一冊につらつらと意味もなく『設定』を綴るのが好きで『設定』を考えるのが好き。

 大いにあると思います。


 ただ、創作論として考えるとこれが足枷にともなります。

 『設定』を本当に生かし切れているのか?

 読んでいる人にも分かるのか?


 神話や言語体系まで考えてある作り込まれた世界観。

 凄いのは分かります。

 その労力たるやどれだけかかるのかも分かります。

 でも、それを果たして生かしきれる物語が書けるのか。

 ここが問題になってくると思います。


 どんなに『設定』を深く作り込もうとも読んでいる人が、理解してくれない限りはさして意味を成さない書いた人間の自己満足で終わってしまうからです。

 読んでいる人の理解力が足りないとか、読解力が低い人間には分からないなんて、単なる言い逃れに過ぎません。

 『設定』は伏線を張り、まさかこれがあのような展開に繋がると驚かせる仕掛けの為にあるのだと考えてもいいかもしれません。


 さて、それでは『設定』はこれがこんな風になっているとの説明を長々とするべきなのか。

 由々しき問題であります。

 こればかりは物語を紡ぐ書き手の力量に左右されると言うべきでしょうか。


 でも、実は『設定』はあれこれどうのこうのなんて、解説する必要が必ずしもないのです。

 作者の頭の中やプロットにいくら『設定』が詳細に書き込まれていようとそれを全て、知っているのは作者だけ。

 読んでいる人に全てを伝えきるのはまず無理と言えます。

 そんな詳細な解説がどーんとプロローグにあったら、見なかったことにして帰る現象、いわゆるブラウザバックされるのがオチです(´・ω・`)


 そして、物語とは必ずしも『設定』を読んでいる人に明らかとする必要性がありません。

 まず、登場人物自体が『設定』について、知らない可能性がある点を忘れてはいけません。

 主人公や語り手となる人物が神などの理を知る者とでも言うのならば、「君達に伝えよう」で『設定』を語ることが可能かもしれません。

 でも、世界を形作る歯車の一つに過ぎない者だとすれば、そもそもが語れないのです。

 知らないことを語ったら、それこそおかしなお話になってしまいますしね?


 さらに言うのなら、『設定』をわざとぼかしたり、隠すことで物語をより深く、興味深いものに見せることも可能でしょう。

 無理に『設定』を前面に出さない=主人公が一切、何も知らない。

 つまり『設定』が明かされないまま、展開されても多くの人々の興味を引く物語は多いのです。

 ホラーやミステリーによく見られるのではないでしょうか?


 敢えて、『設定』を知っていることを前提として、それを序盤に置き克明に描いていくのも手法としてはありだとは思います。

 コロンボや古畑任三郎がこのタイプですね。

 最初から知っているのでその結論までいかに物語を展開させるのかが鍵になっています。


 長々と意味の無い例を挙げましたが、『設定』が独りよがりで『設定』したことで満足してはいけないのではないか。

 そういうことなんだと思います。

 どんなに『設定』が深く、優れていようとも物語がそれを生かしきれないのでは意味がありません。

 結局のところ、食材が一流であっても調理する料理人の腕が伴わなければ、最高の料理とはならないってことですね。

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