2.きみと恋して

七夕の夜、白紙の告白

 テストの終わりを告げるチャイムが鳴った。シャーペンを机の上に転がして、座ったまま目一杯背伸びをした。

 この四日間、勉強という恐ろしい鎖に繋がれて、思うように身動きが取れなかった。それは、クラスのみんなも一緒のようで、解放感からか瞬時に教室が騒がしくなった。


「葵さん、テストどうだった?」


 先生がドアを閉めて見えなくなった瞬間、引き寄せられるかのように、葵さんの席まで行った。


「まあまあかな? 笹井くんは?」

「俺もまあまあかな?」

「ピーピーピー、そこ! 危険でーす。離れてくださーい」


 福居がホイッスルを鳴らすマネをしながら、俺と葵さんの間に割り込んできた。


「えっ、何?」

「何と申せど……いや、わからぬ」


 意味のわからない古そうな言葉を言いながら、でかい身長とでかいアレを俺に擦り付けてきた。しゃーなしにのけぞるような形で足を後退させるしかなかった。


「おい、どこなすりつけてんだよ」


 煙たそうに言ったけれど、そんなことはどうでもいい。葵さんの隣をやすやすと奪われていた。


「姫、今日から一緒に帰れないけど……ごめん……ね」

「誰目線だよ!」


 脇腹を突いてやった。決まったなと、屈みながらガッツポーズをして、ふたりを見た。

 何ともない。手で払い除けられた感はあったけれど、まさかこんな平然と話しているなんて、呆気に取られてしまう。


「ごめん、今話中なんだよね」


 左手で謝るときの仕草をして、軽くあしらうように流された。どうしても優勢に立ちたいようだけれど、フェアじゃない。わざとやっているとわかっていても、多少はムカつく。

 俺は呼吸を整えて、福居の後ろにゆっくりと近づいた。葵さんには人差し指を口の前に立てて、黙っているように促した。そして、勢いよく膝カックンをしてやった。「おうん」と情けない声を出して、福居は膝をついた。


「あれ? 福居どーしたの? 体調でも悪い? 座りなよ」


 わざとらしく心配を装い、葵さんの隣を取り戻した。


「ロカ男、後ろから膝カックンなんてズルないか?」


 ドンっと足音を立てて立ち上がり、高身長を見せつけるように胸を張っている。俺も負けるかと胸を張って対抗をした。


「後ろからやらなかったら、どーやるの?」

「はっ? それは……こうやって、ほら、あの……せい!」


 福居は困惑しながら少し考えたかと思うと、俺の胸にチョップを喰らわした。


「ぅおい! 福居昇流ちゃん、俺のも喰らえ。せい!」


 チョップを返してやった。ふたりとも勢いがついてしまい、「おっしゃ、こい!」

とチョップを打ち合った。

 葵さんが何か言おうとしているのにも気づかずに、ふたりでラリーのように繰り返していたら、突然、脇腹から全身に電気が走った。

 振り返ると、輝紀とみっちゃんが腕を組み後ろに立っていた。


「もっちゃん、ごめんな。ガキみたいなふたりで」

「嫌だったら無視していいんだよ。ふざけてるだけなんだから。そーでしょ?」


 みっちゃんが強めな視線で、俺たちふたりを女豹のように睨みつけた。

 ふたりしてモジモジと煮え切らない感じが、情けなさすぎる。


「今日から部活が始まるんだから、あたしたちがあんたたちを見張ることはできないんだから、もっちゃんに迷惑掛けないように自分たちでなんとかして」

「ゆーても、お前らも今日から演劇部だろ? いつまでもそんなことしてたら、部活にも集中できないぞ」


 何も否定ができなかった。ヒートアップしたおふざけが、きっと葵さんには迷惑でしかないだろう。


「ごめん、葵さん。俺たちバカでしかないみたい」

「姫に迷惑かけるつもりはなくて、面目ない」


 葵さんは優しい笑顔を返してくれた。


「あのね、わたし、ふたりがおもしろいところ好きなの。だから、わたしに変に気を遣わないでほしい。いつもみたいに笑わせて」


 笑わせて……それは今? ここでということでいいのかと俺たちはそう理解した。


「俺は武士、お前は非人!」

「せめて農民にしてください!」

「はい~」


 ふたりで思いっきり変顔で締めた。あははっと笑ってくれたのは葵さんだけだった。輝紀もみっちゃんもやれやれといった感じで、ため息を漏らした。

 そこへ、慌ただしい足音が近づいてきた。みんなわかっているようで、瞬時に前のドアに目を向けると、勢いよくドアを開けて新座が入ってきた。


「みんなまだいたのー? えっ、まさか待っててくれた? もう、お待たせ!」


 新座は決まったとばかりに、得意げな顔でこちらを見た。

 ————。


「えっ? ……ごめん。ついつい何でも演劇に持ってっちゃって。あれっ? もしかして違う?」


 無反応な俺たちに、いても立ってもいられないという感じで、申し訳なさそうにしたかと思えば、ケロッと表情を変えて前のめりになる。

 みっちゃんが目を見開いてうんうんと二回頷いた。新座は何か察したように、とぼけながらみっちゃんの方へと歩いていった。


「これ、いつもの感じだ……ごめん、黙っとく」

「って、別に明歩が黙る必要もないんだけどね」

「えっ、そーなの?」

「そーそー、ただこのふたりのつまんないギャグ? 見てただけだからさ」


 輝紀とみっちゃんは絶対に完成度の低いギャグにいい加減呆れているようだ。

 

 それは、カーテンを揺らすそよ風のように、甘酸っぱいフルーツの香りのように、全身をすり抜けていく。


「みんなそろそろ時間じゃない? 部活頑張って、ねっ」


 声が、心地よさが全身を満たして、別次元にいるような感覚に浸らせる。気づくと、腕に触れた優しい何かが心を熱くする。


「笹井くん、どうしたの? 大丈夫?」


 葵さんが心配そうに俺の腕を掴んでいた。限界に達しそうだったけれど、そんなところを悟られては困る。ごくりと唾を飲み込み、妄想から現実に戻った。


「いや、だだいじょうぶ。あはは」

「よかった。頑張ってね」


 俺だけに向けられた視線、葵さんのキュルンとした瞳の中には、俺だけが映っていて、まるでふたりきりの空間にいるようだ。周りはピンクの花が覆いつくして、愛を語るにはもってこいだ。

 葵さんの手を握り、見つめ合った。細くて柔らかい手が、なおさら可憐に見せる。でも、そんな淡い時間は一瞬にして消え去る。

 福居が俺の手を下から上に「てぇい!」と跳ね除けた。そのまま葵さんの前に立ち、ボディーガードのように手を広げた。


「姫、大丈夫ですか?」

「ふふふっ、大丈夫。みんなそろそろ行かなくていいの?」


 見ると、クラスには俺たちしか残っていなかった。いつの間にいなくなったのだろうか? 今さっきまで、新座が来るまで、数人いたはずなのに、最近覚えた言葉で言えば、まさに閑古鳥が鳴くだ。


「うわぁ、何やっての?」


 突然声がして、そちらを向くと道脇がいた。


「道脇こそ、何してんの?」


 輝紀が眉を細めて返した。


「はっ、何だよ? おれはスマホ忘れたから取りに来ただけだけど……あれっ? 葵さんもいたんだ」

「いちゃ悪いわけ?」


 みっちゃんも眉を細めて言った。


「何だよ、そんなこと言ってねーだろ?」

「どーどー、どーどー」


 福居が大きな動物を静めるように、両手を前に出しゆっくりと上下させた。


「競走馬か!」

「いや、今のこれなら重たい系じゃない? 牛とかなんならサイとかいいんじゃん?」

「そっか、俺としたことが……」


 ここにいる俺たちふたり以外の視線が痛かった。


「さーせん」


 ふたりしてボソッと呟いた。


「マジバカな奴らだな。葵さん、気をつけな」

「ありがとう」

「えっ?」

「あっ」


 葵さんに手を振り道脇は教室から出て行った。じゃあ俺たちもそろそろ行くかと、それぞれの場所へと散らばった。 





「お疲れ様でした!」


 まだ明るい日差しが空に架かって、光の線が遠くまで伸びている。

 太陽がやっと沈み出した頃、今日の部活が終わった。演劇場は全窓を開け、両端から業務用の扇風機をかけて、なんとかジリジリとした暑さを持ち堪えた。

 そんな中の、初の通し稽古、緊張した。額に滲む汗をときより拭きながら、俺は音響を少し震える手で、なんとかやり切った。

 これまではシーンごとに練習をしていた。繋がるシーンを続けてやったりもした。けれど、初めから通したのはこれが初めてだった。大道具などはセッティングせずに、それぞれの動きや、立ち位置、距離感など、どんな雰囲気になるのか見る必要があった。

 俺的には完璧に思えた。けれど、どうやらそうではないようだ。いろいろ課題が見つかったようで、ダメ出しや修正部分が話し合われていた。

 初めてエチュードをやったとき、何もわからなかった。どう話して動いたらいいのか、たったそれさえもわからなかった。今も同じだ。いや、少しは違うか……。先輩たちのダメ出しを聞いて、そうか、もっとこうしたら見ている側に伝わるのかとか、この距離間でその台詞回しは違和感があるとか、言われてみれば頷けた。少し、成長できたのかもしれないと思いたい。

 福居に誘われて演劇部に入部した。すぐに訳もわからぬままオーディションを受けて、配役が決まるはずもなく音響を任された。

 先輩たちはもちろん、福居と新座はよくやっていると思う。時期、部長、副部長と言われているだけはある。話し合いでも先輩たちに負けず劣らず意見を言い合っている。感心してしまう。ちゃんとメモって自分に活かさないともったいない。めちゃくちゃ貴重な意見ばかりだ。

 納得いかなかったり、よくわからなかったり、そんなときは後から必ず福居に聞くようにしている。演劇部だと本当に頼りになるすげー奴だ。





「お待たせー、待った?」

「待ってないよ。ちょうど今着いたとこ」


 帰り道のコンビニだ。葵さんに話したいことがあるから、部活終わってから会えない? とトークアプリのROWでメッセージをもらっていた。何だろうと思いつつも、呼び出すイコール◯◯、口にはできないけれど、それしかないと半ば確信していた。

 電車の中、血管が擦り切れるのではないかと思うほど、鼓動が早かった。まるでこの空間に心臓の爆音が響いているかのように、耳の奥まで轟いていた。

 葵さんに会った瞬間平然を装えた自分をたくましく思う。

 午後八時前になれば、すっかり辺りは夜の静けさが覆いつくす。コンビニの明るさが葵さんを引き立て、暗闇に現れた可愛い天使のようだ。


「なんか買う?」

「ううん、いいの。会いたかったの」

「えっ?」


 ————。

 生唾を飲み込んだ。今確かに会いたかったと聞こえた。俺も会いたかった。昨日まではテスト期間で一緒に帰れていたのに、今日からは別々だ。恋しくて恋しくて堪らなかった。

 歩道を自転車を押しながら、ゆっくりと歩いた。俺の隣には葵さんが並んでいる。


「俺も会いたかったよ」

「そーなの? よかったー」


 葵百彩の……葵百彩ちゃんの、百彩ちゃんの心が弾んでいるのがわかった。やはり、俺たちの考えていることは同じなのかもしれない。福居には悪いけれど、もう一歩進むときが来たようだ。

 俺は、ガードレールに自転車をサッと立てかけ、百彩ちゃんの肩を両手で優しく握り、向き合った。


「葵さん、俺……」


 百彩ちゃんの瞳がキュルンと潤んでいる。吸い込まれそうで、というか、本当に吸い込まれているのか、身体がふらふらして足がよろめいた。


「大丈夫? 笹井くん」


 百彩ちゃんは俺の身体を抱きしめるように支えてくれた。


「えっ、いや、うん。なんか急に眩暈がしたみたい。ありがと」

「うん。本当に大丈夫? 送ろうか?」

「えっ? いやいやいや、そんな女の子に送ってもらうなんて、俺が送るから!」


 任せてと、右手を握り締めて胸を叩いた。強く叩きすぎたせいか、咽せてしまった。


「大丈夫?」


 そう言いながら、優しく背中を摩ってくれた。


「ありがと」


 再び百彩ちゃんの肩に手を置いた。

 今しかないと思った。この雰囲気に乗れば、快く承諾うんと言ってくれるはずだ。

「あの、葵さん、俺葵さんのことが好きだ」


 一瞬、目を見開いて驚いたような表情になったけれど、すぐに笑顔になった。


「ありがとう、嬉しい。わたしも好きだよ、笹井くんもみんなのことも」


 目をくしゃっとさせて微笑んでくれた。……数秒考えた。? どこか違和感があった。

 俺も好きだ。わたしも笹井くんのことが好き。とは、少し違って聞こえる。数秒という短い間で、頭をフル回転させた。

 俺もみんなも葵さんのことが好きだ。だったら、わたしだって笹井くんやみんなのことが好きだよ。

 もしかしたら、こういうこと?

 告白したはずなのに、できてないじゃん! どうしてこうなった? 

 肩から手が外れた。

 とりあえず、苦笑いを返すしかない。

 頭の中が真っ白で、何も考えられない。俺の言い方が悪かったのか、タイミングが悪かったのか、そればかりが頭でぐるぐると永遠に巡っているようだ。


「わたし、何か変なことでもした?」

「えっ、何で?」 


 百彩ちゃんの顔を見ると、ハテナが浮かんでいた。これが本当の天然というやつだ。その中でも究極だ……超絶天然だ。これはきっと一筋縄ではいかないかもしれない。


「あっ、これって——」


 今度は百彩ちゃんの動きが止まった。俺の顔の先を見ているような感覚だった。


「えっ? どーしたの?」

「あっ、ううん、何でもない」


 何かをごまかすかのように、愛想笑いをされた。


「あのねっ! わたし……」

 

 急に大きな声を出されて、少しビクついた。一瞬、全身が小刻みに震えるようだった。


「な、なに、何かあった?」

「ううん、違うの。あのね、わたし、演劇部に入ろうかな? って」


 百彩ちゃんの言葉を、頭の中で三度繰り返した。嬉しすぎるからなのか、頭がテンパってしまったのか、すぐに言われたことを飲み込めなかった。

 本当ならこの場で叫びたいくらいだった。狼のような遠吠えを夜空に向かってしたかった。

 最高でしかない! 転校してきたとき、新座にしつこく勧誘を促されていたのに、自ら入部を希望してくれた。めちゃくちゃ嬉しい。


「大歓迎!」

「そんなに?」


 少し驚いた顔をした後すぐに、ふふふっとツボったように笑い出した。どんな変な顔をしてしまったのか、恥ずかしくて仕方がない。


「百彩ちゃん、そんな笑うのひどない?」

「そんなこと言ったって、絽薫くんが変な顔して、真っ赤になって面白いんだもん」


 何だかこちらまで笑いが伝染して、ふたりして収集がつかなくなってきた。隣は花陽公園だ、手で合図をし合いおひさま宿りのベンチに座った。

 全く無意識だったけれど、百彩ちゃんと手を繋いでいたようだ。ベンチに座り呼吸を整えた後に、初めて気がついた。

 俺は苦笑いでごまかしながら手を解いた。


「気持ちいいね。まだ、夜はそんなに暑くなくて」

「うん」

「みんなにはわたしから言いたいから、まだ内緒にしてくれる?」

「うん、いいよ。きっとみんなも大歓迎だよ」

「うん、ありがと。あっ、今日七夕でしょ?」

「あっ、そーいえば……あれかな? あの光ってる星」

「あれは確か金星だったと思う。今日が一番キラキラと輝く日なんじゃなかったかな?」 


 百彩ちゃんは太ももの横に手をくっつけて、ベンチを握り空を覗くかのように、背筋を伸ばしていた。


「へーそーなんだ。よく、知ってるね」

「うん、前に教えてもらって……先輩に」

「前の学校の?」

「……うん」

「そっかー」


 誰? と聞きたい気持ちもあったけれど、やめておいた。いい雰囲気を台無しにしたくなかったから。


「一年に一度……なんかステキじゃない?」

「一年に一度? 俺は毎日会いたいなー」

「ふふふっ、そーだね。毎日会えるなら会いたいね」

「だよね?」

「うん。でも、織姫と彦星みたいに離れ離れになっても一年に一度会えるなら、わたしはそれでもいいかな、好きな人に……会えるなら」

「その前に俺は離れ離れなんかになりたくないな。離れなくていいように、俺が守ってみせる」


 目を見つめた。百彩ちゃんの瞳に映る俺をどんな風に見ているのだろうか。


「じゃあ、ささ……絽薫くんとならきっと幸せだね」


 今、この空に輝く星達よりも、綺麗で煌めいていて、この世の何よりも大事なんだと、心が全身が、髪の毛先までも言っているようだった。俺のことを、もっと知ってほしいし、百彩ちゃんのことをもっと知りたいと思った。


「絶対幸せにする」

「えっ?」

「えっ?」


 ふたりで笑うしかなかった。自分で言った言葉だけれど、恥ずかしすぎて何の言葉も出なかった。


「そろそろ帰らなきゃ、ママが心配するし」

「そーだね。送るよ」

「うん、ありがとう」


 ベンチから立ち上がり、周りを見ても自転車が見当たらなかった。どうしたっけ? と頭を捻った。……思い出した、白紙になってしまった告白のときに、ガードレールに立てかけたんだったと。これだけ見ると苦い思い出だけれど、結果、最高の時間だった。

 

 百彩ちゃんを送り家に着くと、自転車を止めながら夜空を見上げた。

 どの星なのか自分にはわからないけれど、織姫と彦星は今日一年振りに再開した。でも、また明日になれば離ればなれになってしまう。本当にそれが幸せなんだろうかと、浅いため息を吐いた。


 俺なら百彩ちゃんと一年に一度なんて耐えられない。ずっと今のように会っていたい。

 俺は何があったとしても、百彩ちゃんのことを離さない。

 …………。

 やべー、付き合ってもないのに、俺ストーカーじゃん、と心の中で呟いた。




 


 


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