好きが加速していく
「お疲れ様でした!」
百彩ちゃんが演劇部に入部してから、五日が経った。平日はキャスト、演出とスタッフに分かれて別メニューで練習をした。だから発声やエチュードなど基礎練習は一通りやった。
恥ずかしがりながら、顔を赤くしていた百彩ちゃんは、本当に尊い。
「葵さん、どう? 慣れた?」
そう優しく声をかけたのは、部長の本田先輩だ。
「はい。でも、まだ難しいです」
「そーだよね? 俺たちも基礎やれたらいいんだけど、なかなか大会の練習抜けられないからさ」
「はい。でも、絽薫くんがいろいろ教えてくれるから」
「笹井が? そっか、頼もしいじゃん。なっ? 笹井」
本田先輩が爽やかな笑顔でこちらを向いた。アニメなら絶対に歯がキラリと光っているはずだ。
「いや、そんな……俺は先輩たちに言われてきたことを言ってるまでで、頼もしいなんて……」
わざとらしいと言わんばかりに腰を低くして、ごまをするかのように上目遣いをした。
「そう謙遜するなって!」
肩を叩かれた。痛くはないけれど重みがあって、床に足がめり込むかと思った。
「大山先輩、強いっす」
「何、情けねーこと言ってんだよ?」
副部長の大山先輩、決して大きくはない声で、彼女の前で彼女の前でと肘で脇腹を突いてきた。ヒソヒソ話風に口元を手で隠していたけれど、何のことはない、丸聞こえだ。
「大山先輩、彼女じゃないっす」
「また謙遜かー?」
「大山、そんなからかうなって」
「えーっ、そんな、な?」
「えっ? いや……」
百彩ちゃんがすぐ隣にいる手前、何とも答えにくい。俺は彼女になってほしいし、彼女ですと先輩達に宣誓したいくらいだ。そんなことを考えていると、一年生と話している福居とチラッと目が合った。苦笑いをしてみせたのに、何のリアクションもなく目を逸らされた。
最近、また福居の様子が少しおかしい。何となくよそよそしいと言うか……いつも通りノリツッコミ的なやつの息は合っているし、バカ喋りもする。ただ、ふとした瞬間に、福居と距離を感じる。
♤ ♤ ♤
土曜、日曜と雨が降り、まだ梅雨明けが発表されていない。今日も雨予報だったけれど、朝、目が覚めれば、窓の外は夏晴れの空が、光を透かして真っ青に輝いていた。
休日明けの学校は行く気がしない。でも、百彩ちゃんに会えると思う度、胸が高鳴って心がサッカーボールのように飛び跳ねそうだ。
いつも通りの時間に家を出て、自転車を走らせた。昨日までの雨のせいか、日差しを取り込んだ空気が少し重くなり、暑さを増長させる。
額に汗を滲ませながら、駐輪場に自転車を停めて駅の入り口まで小走りした。湿気って薄暗く感じる階段をリズムよく降りていき、その先のトイレに入った。時間に余裕があったので、髪を直したかった。花陽公園の前で会ったときのような、ダサい髪型でいたくない。梅雨明け前の天パの髪はワックスもスプレーも気休めにすぎないから。
ついでに小も済まし、手を洗い、ズボンのポケットのところで水気を拭き取った。誰もいないので、最後にキメ顔を練習してトイレを出る。
改札の方に目を向けていたせいで、出入り口付近に人がいることを気づいていなかった。色の違うタイルの境目を越えて、誰かにぶつかりそうになると、いい匂いが鼻を通して頭まで充満させた。「わっ」と声が出たと同時に、「すいません」と頭を下げながら謝っていた。
「あっ、絽薫くん」
聞き覚えのある声、聞くとすべてが反応してしまう声、それが目の前からした。顔をゆっくり上げると、百彩ちゃんが立っていた。
「百彩ちゃん。あれっ、いつもよりも遅い?」
「うん。昨日、ずっと考えてて、いつみんなに言おうかなって。そしたらアラームかけ忘れちゃった」
「かわいい」
「えっ?」
心の声がダダ漏れだ。やる気スイッチが完全なるオフだからか、言葉の制御がうまくいかない。
「いや、その通りなんだけど……今日も可愛い」
照れながらチラッと視線が重なった。百彩ちゃんの柔らかそうな頬が、薄ピンクに染まっていく。
「……あの、あの……ありがと。嬉しい」
百彩ちゃんが照れて、少し困ったような表情でこちらを見た。
「んっ?」
「あの、行こ?」
「そーだね」
改札の電子掲示板の時計を見ると、いつもの電車が到着する時刻だった。「あっ、やべ。行こ」と小走りで改札を抜けて、ホームまでの階段を降りて行った。発車のベルが鳴り出して、間一髪のところで飛び乗れた。
「大丈夫?」
「うん。絽薫くんは?」
「俺も……あっ」
知らぬ間に手を繋いでいた。
まただ。
金曜日夜、百彩ちゃんと会ったときも手を繋いだ。こんな偶然ばかり続くものだろうか?
俺は百彩ちゃんのことが好きだから、そうしたいと思う気持ちがあるのは当然だ。でも、百彩ちゃんは……。
百彩ちゃんを見た。目の奥を覗くように見た。キュルンとした瞳には俺が映っていた。もしかしたら、百彩ちゃんも? 勝手な妄想かもしれないけれど、どうしてもそう考えたくなってしまう。
「んっ? 何かついてる?」
「えっ? いや、何もないよ」
ハハハッと笑ってごまかした。はっきりさせたいと思う気持ちもあるけれど、今ここで考えていることを言えるはずもなくて、レモンを丸ごと齧ったかのように、苦くて酸っぱくてもどかしい。
周りから見たらどんな風に見えているのだろうか? 恋人同士に見えているのか、ただの友達に見えているのか、少しは気にしてしまう。
キョロキョロとしていると、誰かの視線を感じた。目を向けると「よっ!」と手を挙げてこちらへと近寄ってきた。
「ろくん、久しぶり! 元気してた?」
「うん。しょうちゃんも元気?」
「うん」
「あれっ? 朝練は?」
「寝坊。絶対、午後しごかれる」
「それな」
「って、彼女?」
「えっ? いや、その、なんてゆーか……」
しょうちゃんは片手を俺の肩に置いて、ゆっくりと首を振った。
「ろくん、わかった。相変わらずだな」
「あっ」
何も言えない。こういうことになると、いつでも口ごもってしまう。何とも情けない。
察してくれたしょうちゃんは頑張れよと手を振って、途中の駅で降りていった。百彩ちゃんが不思議そうな顔をしていたので、俺たちの関係を要約して話した。
小学校、中学校が同じで、俺が怪我をして辞めるまで、部活のチームでサッカーをしていた。しょうちゃんの入学した高校は、サッカー強豪校だ。そこでレギュラー入りして、プロまっしぐらと言われている。
学校の最寄り駅に着いた。薄暗い地下から階段を並んで歩く。ふたつの足音が重なったり、少しズレたり、ふたりだからこそ奏でられるリズムが、確実に恋人だと錯覚させる。外が見えてくると、階段横にある白い看板に光が反射して、花道を照らす照明を思わせる。まるでふたりきりを強調しているかのようで、この偶然に感謝しかない。
ふたり揃って二度目の朝日を浴びる。少し気温が上がったようで、地下鉄に入る前よりも暑いのか熱気がムワッと顔に絡みつく。それとも百彩ちゃんといるせいで熱くなっているのか……きっと両方なんだと思いたい。
コンビニに立ち寄った。寝坊して慌てたせいで、お弁当を持ってくるのを忘れたらしく「なら、コンビニ寄ろっ」となった。
ポプラ並木を横切り西門を抜けると、後ろから「おーい」と声がした。ふたりして振り向くと、福居が長い足を大きく開きながら、瞬く間にこちらへと走ってきた。
「おは……」
「姫、ご無事ですか? こやつに何かされてませんか?」
朝の挨拶よりも百彩ちゃんの隣を確保するのかよと、鼻くそほどイラッとした。
「朝からなんだよ」
「何だよとは……んっ? コンビニの袋?」
俺と百彩ちゃんを交互に見ていると、福居の目が見開いて、フリーズした。
「おい、どーしたの? おーい」
福居の目の前で手をパラパラと振った。
「だーっ!」
「何?」
「ロカ男と姫はもしや、ふたり仲良くコンビニに寄ってきたのか?」
「まあそーだね。百彩ちゃんお弁当忘れたみたいで、じゃあ、コンビニ寄ろって」
「そーなの。絽薫くん、優しくて」
百彩ちゃんは俺に視線を向けた。目が合うと、照れ笑いというか、何となくお互い笑顔になってしまう。
「あっ、あっ——あー、それな! そーだよな! じゃあ、お二人様参りましょう!」
福居は少し何かを考えた後、突然、テンション高めに話し出した。
「えっ、あー。行こ」
「うん」
「さー、我らの城はあちらでございます!」
♤ ♤ ♤
「あれっ? そーいえばさ、ロカオンともっちゃんって名前で呼び合ってたっけ?」
「名前……?」
部活の帰り道だ。ポプラ並木を四人横並びに歩いていると、新座の嗅覚が反応したらしく、くすぐったいところを突いてきた。
「苗字じゃなくて、名前、ファーストネーム?」
「欧米か!」
「なついな!」
俺と福居は自分たちのツッコミに満足げに顔を合わせて頷き合った。
「えっ、あっ、そーゆーことね」
新座は百彩ちゃんを頭のてっぺんから爪の先までゆっくりと見ると頷いた。
「そーゆーこと?」
百彩ちゃんは首を傾げた。
「あっ、やっぱり。もっちゃんは天然だから……ロカオンよくやった! あっ」
俺に親指を立てた後、福居を見て顔を背けた。よくやった? 俺は何もしていないし、できてもいない。新座は何を勘違いしているのか、惨めになるからやめてほしい。
「あっ、あっ、はー? な、何だよ新しい座長!」
「福助、テンパんないで。青春って甘酸っぱいものなの」
新座は立ち止まった。それに釣られて俺たちも立ち止まった。台詞のような言い回しは、恋愛を熟知した者のように貫禄さえも見えてくる。
「わたし知ってるよ。ファーストキスはいちごの香りとか、レモンの香りとか」
自信満々に人差し指を立てて、百彩ちゃんは新座に笑顔を向けた。
「ああ、天然記念物」
祈るように胸の前で両手を握って目を瞑った。黙っていたのも三秒ほどで、新座は目をキラキラとさせて、百彩ちゃんに擦り寄った。
「で、どうだったの? その感想は? あのうちはまだなんだよね? でも内緒だよ? で、ロカオンと」
「えっ?」
「えっ? じゃなくて。いいんだよ、ここでは」
「新座待った」
新座の肩に手を置いた。
「何? そんな遠慮しなくても……」
「してない。何もないし、そこまでいってない」
俺は真顔なり、目に渾身の力を込めて新座に向き合った。
…………。
新座の顔がみるみるうちにドン引きしていった。
「あら、あらららら。あの、うち何言ってたっけ? あっ、そうそう帰らなきゃ。もっちゃん、行こ」
「うん」
とぼけた後、わざとらしいけれど雰囲気をがらりと変えて、百彩ちゃんと先を歩き出した。
「よっ! 俺、福居昇流、よろしく!」
「よっ! 俺、笹井って、いきなり何どーした」
「えっ!」
福居はオーバーリアクションで、後ろにのけぞるように驚いて見せた。
「驚きが尋常じゃない」
片膝立ちになって両脇腹を突いてやった。「おうん」と声を出して福居も片膝立ちになった。目を向けると、お互い半笑いした。
「強ない?」
「あえて」
「福助、ロカオン、何やってんのー?」
新座の俺たちを呼ぶ声がした。ふたりで行くかと視線を合わせて立ち上がり、全力疾走した。ほんの数十メートルの距離、福居の速さは半端なかった。先にふたりのもとに駆けつけて、出迎えるように構えていた。
「お待ちしておりました、代官様」
「あれっ? 成長してない? 前は非人とか言ってたよね? ね? ロカオン」
「まあ、わかればいいのだ。苦しゅうない」
胸を張り腕を組んで頷いた。
「冗談だろ! 俺は武士お前は非人!」
「せめて農民にしてください! ってこのくだり必要?」
福居とその後ろに立っている百彩ちゃんと新座に視線を向けた。すると、何のことはない。満了一致、真顔で頷かれた。
「すいませんでした!」
西の空に夕日が差して、ほんのりとオレンジ色を漂わせる。雲間から見える日差しが影と光のコントラストを生み出し、その後ろを青と少しのオレンジがスクリーンのように広大に映し出されて、まるで芸術作品を見ているようだ。
ポプラ並木を過ぎようとするとき、自動車のエンジン音が徐々に近づいていた。自然とみんなで道路の端に避けた。見ると軽トラが速度を落として、俺たちを追い抜かそうとしていた。
突然だった。頭の中でポンっと音がしたような感覚があった。
自分でもよくわからなくて、なんでそんなことをしたのかわからないけれど、軽トラが目の前に来たとき、「危なーい!」と駆け出して跳んでいた。地面に転がって、腕と脚に擦り傷を負った。肘を強く打ったようで、血が滲んでジンジンと痛かった。
「ごめんなさい」
自分を含め呆然とする中、百彩ちゃんはすぐに寄り添って、手を掴み起こしてくれた。
痛さを紛らすように、制服についた砂埃を払った。
「いってー」
「ごめんなさい。わたし……」
百彩ちゃんは泣きそうな顔をしていた。
「なんで百彩ちゃんが謝るの? 俺が勝手にやっただけだし」
「……うん」
「そーだよ。姫が謝る必要なんてない」
「ロカオン、もしかしてなりきっちゃった? まだ爪が甘いかな? いい? プロならもっと飛び込めたはず。 大体めちゃくちゃ低くなかった?」
「確かに。ボールでも拾うのかよって感じだったな」
「そこ批判する必要あるの? 俺の怪我、心配するとかさー」
「あのね、プロの世界にも怪我はつきものなの」
「ゆーてまだド素人ですけど!」
福居が変なポーズをした。それに合わせて反射してしまった。
「演劇部にドはいらねーよ! いってぇ」
「大丈夫? ふふふ」
百彩ちゃんは心配しつつも笑ってくれた。
「絽薫くん、軽い怪我でも無理しないで」 「うん、ごめん」
「あー、何だな! やってらんねーぜ!」
「何だよ急に」
「まーでも、なんかうちもわかるわ。いちいちイチャつかれるとね」
「いや、別にイチャつくとかじゃないし」
「わたし……ううん、何でもない。帰ろ」
日差しが欠けても、まだ暑さが残っている。うっすらと汗ばんだ肌に、電車内のエアコンが心と体を潤した。
軽トラが過ぎたときにしたことは、最寄り駅に着く頃には、忘れたわけではないけれど、全く気にならなくなっていた。どうしてそんなことをしたのか、あのとき、頭の中で今と何かが重なって見えた気がしたけれど、それさえも景色がぼやけるように、よくわからなくなっていた。
「送ってくれてありがとう」
「うん。こっちこそ、これ、ありがと」
肘を見せた。
地下鉄に入り、電車を待っていた間、百彩ちゃんがウェットティッシュで傷を拭いて、絆創膏を貼ってくれた。
「ちゃんと洗って新しい絆創膏付け直してね」
「う、うん。でも今日はこのままでいっかな」
「えっ?」
「いや、ちゃんとお風呂で洗って、明日会うときには新しいの貼っとくから」
「うん」
「うん。じゃあ、明日。後でROWするね」
「うん。待ってる」
ニコッと笑顔が、今日イチ最高だった。朝から夜まで、こんな長く一緒にいるなんて、もはや、恋人以上じゃんと、ニヤけてしまう。けれど、学校と部活、何よりもふたりきりではない。いらん妄想をして自分を傷つけるのはやめようとは思った。
ゆっくりと自転車を走らせながら、やはり、百彩ちゃんのことを考えてしまう。
どんどん好きが加速していく。きっと誰にも止められない。
今はそう思える毎日が当たり前だった。
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