第9話

「シャァァァァァっ!!」


金属音のような奇声を発し、触手が襲いかかってくる。

反射的にかがんだ俺の頭上で、照明が砕け散った。

逃げ場の無い室内では、こちらが圧倒的に不利だ。


前回の闘いで、コイツに物理攻撃が効かない事は証明済みである。

十字架クロスの直撃を、モノともしなかったからだ。

さらに言うなら、俺の放った精神攻撃の呪縛も跳ねのけてしまった。

つまりは、一切の攻撃が通用しないという訳だ。


さて、どうするか……


床に身を伏せる俺の目に、砕け落ちた照明器具の配線が入る。

俺はそれを掴み取ると、思い切って飛び出した。

次々と繰り出される触手をかわし、距離を縮める。

手の届く位置まで辿り着くと、シルクハットに配線を突き刺した。


「むんっ!」


配線に流れている電流を、俺の力で増幅する。

数万ボルトに達する高電圧が、怪物の体に流れこんだ。


「ヒギャァァァァァっ!」


周囲に苦しげな悲鳴がほとばしる。

無茶苦茶に振り回される触手が、四方の壁を激しく殴打した。


やったか!?


が、俺の期待はあえなく崩れた。

怪物が苦しんだのは、ほんの一瞬だった。

すぐさま触手で配線を引き抜くと、肩をいからせ俺を睨みつけた。


どう見ても、怒り心頭ってツラだ。


と次の瞬間、大きく開いた胴体の口から、とてつもない咆哮が放たれた。


「グウォォォォォォっ!!」


巨大な音量が、まるで深海の水圧のごとく、俺の体にのしかかってくる。

身体能力には自信のある俺も、さすがに回避できず、片膝から崩れ落ちた。


「……くっ!」


俺は思わず絶句し、唇を噛み締める。

全身に足枷あしかせをはめられたように、身動き一つできない。


その機を逃さず、幾本もの触手が俺目がけて襲いかかってきた。

あっという間に、両脚に絡みつき、俺はズルズルと床を引き摺られた。

行き着く先は、言わずと知れたヤツのだ。


「まずいな……これは……」


絶体絶命の状況にもかかわらず、俺は冷静な声で呟いた。


何か、コイツを止める手立ては……


思うように動かぬ体を酷使し、俺は今一度周囲を見回した。


「……!!」


ある一点に、俺の注意が止まる。


俺は、まだ何とか動かせる右手で、胸の十字架クロスを掴んだ。

すると、すかさず触手が手に巻きついてくる。

俺は、咄嗟に十字架クロスを口に咥えた。

触手は俺の両手を掴んだまま、軽々と上に持ち上げた。


手足を縛られ、宙吊りなった俺の姿は、さながらはりつけさらされた囚人だった。


「フハハハっ!無様な姿だな、ナイトメア神父!イエスの野郎も、あまりの情け無さに泣いてるんじゃないかぁ!」


歓喜の声で、キリストの悪口を並べ立てるチャールズ。

吊り上がった口角が、耳元まで裂けている。


「神父が悪鬼に喰われる……ああ、なんと刺激的な光景なんだ!善が悪に屈した瞬間をこの目で見られるとは……まさに、私の作品にピッタリじゃないかぁ!」


そう叫ぶと、チャールズはさらにステッキの打音を速めた。


「シャァァァァァっ!!」


小刻みなリズムに合わせ、雄叫びを上げる怪物。

触手に絡まれた俺の体は、確実に巨大な口へと向かいつつあった。


だが、俺はすでに対抗策を思いついていた。


怪物が飲み込まんと俺の体を水平にした瞬間、俺は素早く照準を合わせた。

そして一気に、十字架クロスを口から吹き飛ばす。

吹き矢のごとく放たれたそれは、見事にチャールズのステッキに命中した。

メッキが剥がれ、もろくなっていたステッキの持ち手部分が砕け散る。


「くっ……!」


チャールズが、驚きの声を上げる。


「き……きさまっ!」


憎々しげに呻き、俺を睨みつけるチャールズ。

俺は、ニヤリと皮肉な笑みを浮かべた。


「それじゃ、……終わりだ、ダルボット」


「シャァァァァァっ!!」


俺の台詞と重なるように、怪物の遠吠えが響き渡る。

何かに苦しむように身を震わせると、俺の体を床に放り投げた。

受け身をとりながら着地した俺は、すかさず体勢を立て直す。

次の攻撃に備え身構えるが、その必要は無かった。


「くっ!?……うわっ!」


短い絶叫が、室内の空気を震わす。

見ると、触手の一本がチャールズの足を捕えていた。


「むうっ!?よ、よせ……やめろ!」


必死に抵抗するが、当然逃がれるすべは無い。

ズルズルと引きずられたチャールズの体は、怪物の眼前で逆さ吊りとなる。


「わ、分からんのか!私は、お……お前の、ご主人様だぞ!」


懸命に叫ぶが、怪物の動きは止まらない。

命令の媒介となるステッキの打音が途絶えた事で、怪物の制御が効かなくなったのだ。

もはや敵味方の判別もつかず、目の前の全員が捕食対象だった。


「や、やめろ!やめ……て……くれ……」


体中に巻きついた触手により、怪物の口内へと引き摺り込まれるチャールズ。

青黒く歪んだ表情が、苦痛の激しさを物語っていた。


下半身……胸……肩……頭……


次第に口の中に吸い込まれていくチャールズの体。


「ぎゃぁぁぁぁぁっ!」


最後に残った手が漆黒の闇に消えると、断末魔の叫びが湧き起こった。


それが……チャールズの最後だった。


捕食し終えた怪物は、満足そうにぶるんと体を揺すった。


そして、次の瞬間……


掻き消すように、姿を消した。


後には、破損した照明と、剥がれ落ちた壁──


それと、信じ難いほどの静寂だけが残った。


「バカめ……は、人や悪魔ごときが制御できるようなモノじゃ無い」


床に転がったステッキの残骸を拾いながら、俺は苦々しく吐き捨てた。


確かに感情を持たないモノは、機械の操作と同じで扱いやすいと思われるかもしれない。

命令には百パーセント忠実だし、決して手を抜かないからだ。


たが、所詮……機械は機械でしかない。


ネジ一本外れただけで、簡単にを起こす。

一歩誤れば、操作者を危険にさらす凶器にもなり得るのだ。


その意味では、チャールズの死は、まさに自業自得と呼ぶに相応しい。


「灰は灰に……あばよ相棒アーメン


俺は、何も無い空間に向かって十字を切った。


そしてステッキを手近のテーブルに置き、キャリーケースに手をかけた。


ゆっくりと寝かし、ファスナーを開ける。


中から現れたのは、うずくまっただった。


笑顔で眠るその表情は、天使そのものだった。



************



ヘンリーには、暗示催眠がかけられていた。


チャールズが使ったのは、【直接暗示催眠】と呼ばれるものだ。

媒介として使われたのが、【音】である。


ステッキの打音によりヘンリーの意識を低下させ、幾つかの指示を言葉で吹き込む。

まだ子どもという事もあり、分かりやすく端的な単語のみを使用する。

たとえば、「食べろ」「消えろ」といったものだ。

それを、ステッキの打音の変調と結び付けて記憶させる訳だ。


元々、祖父ハワードの血を色濃く受け継ぐヘンリーは、人一倍暗示にかかり易かったとみえる。

一つ一つの単語が、彼の中で想像を生み、夢の世界で怪物を動かす原動力となる。

そしてそれが実体化し、でも同様の動きをとっていたのだ。

幼さゆえ、【殺人】そのものに罪悪感を抱く事は無い。

本人は、ゲームでもしている感覚だったのだろう。


俺はこの事を、チャールズの図書貸し出し履歴から知った。

ヤツは、数冊のを借りていたのだ。

恐らく、ヘンリーの特殊能力を知った後、それを操るための方法を模索していたのだろう。

たどり着いたのが、この音による暗示催眠という訳だ。


勿論、ヘンリー本人に催眠にかけられた認識は無い。

不必要な記憶は、暗示により消されるからだ。

チャールズが父親を殺害した際も、ヘンリーの記憶から抹消したに違いない。

だからヘンリーは、いつ顔を合わせても純真無垢なままなのだ。


チャールズの父親は、予想通りシデムシの集まる樹の下から出てきた。

俺の匿名の連絡で、警察が調べた結果だった。

かなり腐敗は進んでいたが、頭部の打撲痕はかろうじて確認された。


勿論、加害者がチャールズだという事は伏せてある。

それを話せば、動機も話さねばならなくなるからだ。

もしヘンリーの血筋が公になれば、世間はよってたかって好奇の目を向けるに違いない。

『呪われた血の惨劇』といった興味本位の肩書きが、終生あの子に付いてまわるだろう。


それだけは、避けたい。


全ては、身勝手な大人たちのしでかした事……


あの子には、何の罪も無いからだ。


それに、当のチャールズも

今さら未解決事件が一つ増えたからといって、さしたる違いは無いだろう。


俺は、今回の件について真実を語る事はやめにした。


呪われた血統など、クソ喰らえだ!



「……神父さまぁ!」



背後で鈴を鳴らすような声がした。

振り向くと、ヘンリーが嬉しそうに手を振っている。

いつもの草原にたたずむ俺の姿が、目にとまったようだ。


隣には、退院したばかりのメリンダの姿があった。

に代わり、これからは一人でヘンリーを育てていかねばならない。

その心痛を察するに余りあるが、この二人ならなんとかやっていくだろう。


俺は軽く手を挙げながら、ヘンリーをじっと見つめた。


この子も、いつかはおのれの力に気付くはずだ。


その時に、はたしてどうするだろうか。


隠し通して、あくまで常人として生きるのか──


祖父のように、自らの欲望のために利用するのか──


いずれにせよ、この子の人生だ。


好きなようにするさ。


だが


もしまた、義父と同じ道を選択したなら……


もし、悪魔に身を売るような事があったなら……


その時は、必ず……俺が……



俺はニヤリと微笑むと、断ち切るように背を向けた。

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