第8話

チャールズは自らの傍にそれを置くと、一気に布を剥ぎ取った。


中から現れたのは、一個のだった。


チャールズは、もう一度キャビネットに手を入れ、今度は一本のを取り出す。

見覚えのあるそれは、彼の愛用しているものに間違いない。

そこまで準備を整えると、チャールズは俺に向かって不気味な笑みを浮かべた。


「私は、を自分の子供だと思った事は無い!」


ステッキを振り上げ、憎々しげに吐き出すチャールズ。

もはや、何も隠す気の無い事が見て取れる。


「お前の言う通りさ。ヘンリーには、生まれ持った力がある。目で見たものを頭に思い描くだけで、それが実体となって現れるんだ……お前に分かるか?初めてあの力を見た時の、私の驚きを……あれは、まさに神の力だ!」


チャールズは、天を仰いで叫んだ。

その姿は、怪しげな新興宗教の狂信者を彷彿とさせた。


「ニューヨークにいた時の私は、全く作品が書けなかった。何のアイデアも浮かばず、何を見ても心に響かない。スランプと呼ぶには、あまりに酷い有様だった。それで、気分転換にと、ここに移り住んだんだが……一向に、状況は変わらなかった。毎日、悩んだよ……一体、何が悪いのか……何が自分に足りないのか……そんな時だ。ヘンリーの力を知ったのは……」


真顔に戻ったチャールズが、淡々と語り始める。

俺は、特に身構えもせず耳を傾けた。


「不審な物音がしたので寝室に行くと、なんとあの子の枕元に黒マントの怪異が立っているじゃないか!一瞬泥棒かと思ったが、襲ってくる気配は無い。眠っているヘンリーの傍らで、ただじっと立っているだけだった……そこで私にも、幾分かの観察する余裕ができた。そして、よく見ると面白い事に気付いたんだ。そいつの姿が、私が読んでいた『魔女の家の夢』の【暗黒の男】にそっくりだという事に……」


俺の脳裏に、本の挿絵が浮かぶ。

全身黒ずくめのシルエットに、真っ赤に輝く目──

実際に対峙した時、ヤツの姿は挿絵そのものだった。


「……だがなぜ、コイツは襲ってこない?いや、そもそもコイツは?……湧き上がる私の疑問に答えたのは、ヘンリーの発した寝言だった。あの子は、こう呟いたんだ……【】と……それで私は、ようやく状況を理解する事ができた。コイツは、なんだと……」


夢が実体化──


そう


ヘンリーの場合、このレム睡眠状態が具現化能力のベースとなっている可能性が高い。


レム睡眠では、眠っている間も脳は覚醒していると言われている。

ヘンリーが記憶として脳に刻んだ情報は、己の意思とは関係無く、映写機で投影するかのように体外で視覚化されてしまうに違いない。

普通の映写機と異なるのは、映された映像が、という点である。

そしてこの力こそが、ラブクラフト家に代々伝わる稀有けうな遺伝のあかしなのだろう。


「あの子が、私の借りた本をこっそり盗み見ていたのは知っていた。そのが、あの子の心にインパクトを与え、夢を実体化させたのだと悟った……その翌日、私は急いで興信所を雇い、ヘンリーの身元を調べた。その内容は、先ほどお前が言った通りだ」


そう言って、チャールズは肩をすくめて見せた。


「衝撃だったよ。あの子が、私の敬愛するH・P・ラブクラフトのだったとはね……そして、神の行った運命の悪戯に感謝したものさ!あまりの歓びに、涙さえ流した。なぜだか、分かるかね?……その瞬間に、ようやく悟ったからだよ!私の作品に、何が足りなかったかを……」


チャールズはステッキを俺の方に向け、恍惚とした笑みを浮かべた。

俺には、コイツが今から言う事が、なんとなく想像できた。


「それは、【】さ!ミステリーを書く上で、最も衝撃的で、最も重要なファクターとなるシチュエーションだ!人が死ぬ時の断末魔の悲鳴……絶望に満ちた表情……それらを目に焼き付け、肌で感じてこそ、リアルな描写が描ける。読者を惹きつける作品が作れるのだ!そして、これを実現するのに、ヘンリーの力は実に好都合だった。この実体化した異形を使えば、私自身が手を下す事無く。警察がいくら調べようとも、空想の産物ゆえ捕まえる事はできない。いつでも、好きな時に、のだ!そう……まさに、H・P・ラブクラフトがそうしたように……素晴らしいとは思わないか!」


陶酔したように力説するチャールズの顔は、もはや常人のものでは無かった。

目はうつろで、全く視点が合っていない。

苛烈な言葉を吐くたびに、長い舌がチロチロと動いた。


「アンタ……悪魔に魅入られたな……」


俺は特に驚いた様子も無く、当たり前のように指摘した。


「悪魔……フン、そうかもな……」


チャールズは鼻を鳴らすと、キャリーケースに静かに手を置いた。


「だがそのおかげで、私の作品の人気は一気に上がった。私が描いたリアルな殺人描写に、読者は魅力されたのさ。人は怖いものほど見たがる……おぞましいものほど知りたがる……書く方も悪魔なら、読む方も悪魔って訳だ」


あざけるように吐き捨てるチャールズ。

そのねじれた思想に、俺は苦笑せざるを得なかった。


「さて、解説はここまでだ。そろそろ、最後の仕上げといこうじゃないか……お前の死を、次の作品のかてとさせてもらうよ」


そう呟くと、チャールズはステッキをキャリーケースに近づけた。


コン……コン……コン……


ステッキの打音が、室内に木霊する。


コン……コン……コン……


背後に異様な気配を感じた俺は、咄嗟に振り向く。


そこには、あの見慣れた黒マントの怪物が立っていた。

まさに、降って湧いたとしか思えない現れ方である。


だが俺は、思いの外冷静にその場から退避した。

素早く身をひるがえし、部屋の隅へと移動する。

こうなる事は、すでに予測していた。

コイツが現れるが知りたかったのだ。


「なるほど……それが、この怪物を呼び出す【】という訳か」


俺は、チャールズが抱えるキャリーケースを睨んで言った。


「そいつが用意されているという事は、俺がここに来る事も予測してたんだろ?だから、邪魔なメリンダも屋敷を空にした」


俺の言葉に、チャールズはわざとらしくお辞儀をしてみせた。


「お前が、父の部屋を調べたと聞いた時から分かっていたよ。近いうちにやって来る事はな……メリンダには強力な薬を飲ませてあるから、しばらくは戻って来ないさ」


チャールズが、事も無げに言い捨てる。


「用意周到だな……全く……」


俺は、抑揚の無い声で呟いた。

珍しく、腹の底から熱いものがこみ上げてくる。


ココン……ココン……


不意に、ステッキのリズムが変化した。


それに呼応するかのように、怪物がマントを大きく広げる。

その内側を、俺は初めて目にした。


胴体と呼べる部分にその面影は無く、あるのは不気味に開いただった。

鉤爪のような牙が縦横に並び、赤黒い舌がグネグネとうごめいている。

口の奥には、漆黒の闇が広がっていた。

飲み込まれたが最後、生還の望みの無い空間だ。


さらにその周囲には、無数の触手が蛇のごとくうねっている。

失踪者は皆、この触手に掴まり、馬鹿でかい口へと運ばれたのだ。

衣類も所持品も丸ごと呑み込まれたら、何の痕跡も残らないのは当然だ。


「フハハハっ!どぉだぁぁ!……これが、真のニャルラトホテプの姿だ!ラブクラフトの二つの挿絵が、ヘンリーによりのだ。これこそ、まさに【旧支配者】……【混沌の王】と呼ぶに相応しい姿じゃないか!」


全身を震わせ、絶叫するチャールズ。

血管の切れた両眼から、血の涙がしたたり落ちる。


敬愛するH・P・ラブクラフトの創作物を、今は自分が使役している──


その優越感が、残っていた倫理観を跡形もなく消し去ってしまったようだ。


チャールズ・ミラン・ダルボットは、


だが……今はそんな事はいい。


それより、問題はだ……


じわじわと迫り来る触手を睨みながら、俺は対処法を模索した。

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