第7話
室内の空気が一気に凍りつく。
息を呑むチャールズの顔を、俺は
「当然、アナタはご存知だったはずだ……いや、知ったのはある事が起こった後でしょうか」
俺の言葉に、チャールズはびくんと肩を震わせる。
「……ある……こと……?」
無機質な声で繰り返すチャールズ。
その表情は、懸命に何かに
「
解説しながら、俺は
H・P・ラブクラフトは、軟体動物に対して異常なまでの嫌悪感を抱いていたと言う。
それゆえ、彼の作品には触手を有する怪物が多く登場する。
怖いからこそ、見たい──
生理的な恐怖や畏怖の念が、逆に創作意欲を駆り立てる原動力となっていたのだ。
自分の生み出した怪物を前に、嬉々として筆を走らせるH・P・ラブクラフトの姿は、まさに怪物そのものと言えそうだ。
「ヘンリーの力を恐れた父親は、焼身自殺を計り、呪われた血筋を絶やそうとした。だが運命の悪戯か、あの子だけが生き残ってしまった……」
俺は、表情を変えること無く続けた。
これらの情報も、チャールズにとっては既知の事柄に相違ない。
有能な興信所を雇えば、あらかたは調べがつくからだ。
「私は図書館で、アナタがラブクラフトの二つの作品を借り出した事を知りました。恐らく、執筆の参考にでもするつもりだったのでしょう。だがある時、その本がヘンリーの目に触れてしまった。いや厳密に言えば、本の挿絵が目に止まったのです。それをキッカケに、ヘンリーの内に眠っていた【具現化能力】が発動するようになった。ひょっとすると、ハワードの作品に一族の血が反応したのかもしれません……さぞや、アナタも驚いた事でしょう。なにせ、挿絵と同じ怪物が実体として出現したのですから──『壁のなかの
俺は、やや語尾を強めて言い放った。
チャールズの表情が、見る見る険しくなっていく。
「ヘンリーの特殊な能力を知ったアナタは……あろうことか、彼の力を利用しようと考えた。そして、ある方法を用いて、怪物を操れるようになったのです。その後、一連の失踪事件が起こり始めた。そう……アンタが、その犯人──この化け物騒ぎの首謀者という訳さ、ダルボット!」
俺は口調を変え、そう叫んだ。
同時に、チャールズの鼻先に激しく指を突きつける。
「あなたは……何を言ってるんだ……?」
チャールズは呻くように呟いた。
見ると、額から汗が滝のように流れ落ちている。
「失礼にもほどがあるっ!私の……私の父も、犠牲者なんだぞ!」
チャールズの態度も一変する。
眉が鋭角に吊り上がり、目には怒りの炎が燃え上がる。
「確かに……そこだけが、他の事件とは異なるところだ。失踪者は皆、ヘンリーが具現化した【黒マントの怪物】=ニャルラトホテプに襲われた……これは、俺自身もヤツと対峙したので間違い無い。だが、アンタの親父さんの場合は違う」
「一体、どこが……何が違うと言うのだ!?」
チャールズが、問い詰めるように叫ぶ。
荒々しい言葉使いに、もはや敬語は見当たらない。
「親父さんを殺したのは、怪物などでは無い……アンタがあの日、散歩に出かけた父親を殺害したんだ!」
俺は、平然と受け答えた。
「お前は……自分が何を言ってるのか、分かってるのか!?」
チャールズは、唖然とした表情で言った。
俺は、軽く肩をすくめてみせる。
「俺が最初に不審に思ったのは、親父さんのステッキだ。これまでの失踪者は皆、現場には何の痕跡も残っていなかった。実際、例の警官が襲われた際も、現場には何も……一滴の血痕すら残っていなかったんだ。なのに、親父さんの場合だけステッキが──それも、血のりが付着した状態で残されていた……どう考えたって、おかしいじゃないか」
俺は抑揚の無い声で、淡々と語った。
「そこで、ふと思いついたのさ……親父さんは怪物に襲われたのでは無く、自分のステッキで撲殺されたんじゃないか、とね。もしそうなら、血のりの付着も説明がつく。だが、なぜ犯人は凶器であるステッキを持ち去らずに残したのか……これについては、すぐにピンときた。本当の殺害現場を隠すためにそうしたんだ。つまり……」
俺はそこでひと呼吸置くと、チャールズに向かって両手を広げた。
獲物を追い詰める高揚感が、静かに湧き上がる。
「親父さんが殺されたのは、日課の散歩コースでは無かったのさ。彼は……アンタとヘンリーが蝶を見に行く、あの草原で殺されたんだ」
「馬鹿馬鹿しい!話にならない……一体、なぜ私が、実の父親を殺す必要があるというのだ?」
チャールズは即座に否定すると、苛立たしげに室内を
俺は、その様子を面白そうに眺めた。
「親父さんが、アンタの凶行に気付いたからさ。そしてそれを止めようと、アンタを拳銃で脅したんだ。彼の机にあった拳銃のケースが空だったのは、このためだよ」
俺は父親の部屋を調べた時の状況を、かいつまんで説明してやった。
チャールズは黙秘したが、その唇は明らかに震えていた。
「こいつは想像だが……親父さんは、夜な夜な屋敷を抜け出すアンタを見かけたんじゃないか。あの部屋からは、裏庭が見下ろせるからな。たぶん、不審に思って後をつけたんだろう。そこで、アンタの凶行──怪物に人を食わせている現場を目撃したんだ」
俺は半ば楽しむかのように、笑みを浮かべて言った。
そしてチャールズと同様、ゆっくりと室内を闊歩した。
「まとめると、俺の推理はこうだ……あの日、アンタはヘンリーを伴って草原に行った。すると突然親父さんが現れ、拳銃で威嚇してきた。アンタらが草原に行く事は、前日に二人が約束しているのを聴いて知っていたからな。だから散歩に行くと称して、実際は草原で待ち伏せていたんだ。親父さんはアンタに、凶行をやめて警察に自首するよう迫った。だが、アンタはそれを拒否し、ついに揉み合いとなった。親父さんの手から滑り落ちたステッキを拾い上げたアンタは、彼の頭目掛けて殴りかかった。恐らく、一撃で親父さんは絶命したのだろう。そしてアンタは、親父さんの亡き骸を隠した……」
俺の説明を聴きながらも、チャールズは歩みを止めようとしない。
その姿は、さながら檻の中の肉食獣を想起させた。
「その後アンタは、ヘンリーを使って運転手と家政婦をも手にかけた。勿論、自分に向けられる嫌疑の目を
「いい加減にしろっ!」
俺の話を遮るように、激昂するチャールズ。
怒りに歪んだ顔に、もはや以前の面影は無かった。
「私が殺したというなら、その証拠はどこにある?全ては、お前の想像じゃないか!」
チャールズは、口から泡飛沫を飛ばしながら喚き散らした。
血管が切れたと見え、眼球が真っ赤に染まっている。
「証拠か……」
俺は、何食わぬ顔でポツリと返した。
当然、その質問が来る事は想定済みだ。
「覚えてるかい?ヘンリーが草原で見つけた、あの奇妙な虫を……」
そう言って、俺は人差し指を立てた。
「あれは【ヨツボシモンシデムシ】という、シデムシの一種だ。そして、シデムシには面白い習性があってね……彼らは、死肉を好んで食べるんだよ。それで別名、【死出虫】とも呼ばれている。それがなぜ、あの樹木に密集していたのか?昆虫好きのヘンリーでさえ、初めて見たと驚いていた……なぜ、あんなものが急に現れたと思う?」
試すような俺の問いに、チャールズは口を曲げたまま押し黙る。
「答えは一つしかない。あの木の根元に死体が埋まっているからさ。そう……アンタが殺した父親の死体だ。掘り返してみたら、きっと打撲痕があるだろうな。アンタがステッキで殴った痕が……」
そう言って、俺は
その得意げな顔を、チャールズは穴のあくほど睨みつけた。
「フン……たいしたものだな……」
やがて、押し殺した声でチャールズが囁いた。
気付くと、激しかった体や唇の震えが収まっている。
「お褒めに預かり光栄だね……付け加えるなら、アンタがどうやって怪物を操ったかも、おおよその察しはついている……ただ、分からないのはその動機だ。なぜ、こんな事をした?大事な自分の子供まで利用して……」
俺は、いつになく真剣な顔で詰問した。
草原で感じた、チャールズの俯瞰的なニュアンスが脳裏に蘇る。
コイツが見せた我が子への愛情は、嘘だったのか……
無邪気なヘンリーの笑顔が、俺の中で走馬灯のように揺らめいた。
「動機か……教えてやるよ」
そう呟くと、チャールズはキャビネットへ歩み寄り、中から何かを取り出した。
現れたのは、書斎にあったあの黒布の物体だった。
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