第2話
チャールズ・ミラン・ダルボット。
ミステリーや伝奇ものを得意とする作家だ。
元はニューヨークを拠点としていたが、鳴かず飛ばずの状態が続いた末、ここフォスターに移り住んで来たのが丁度一年前。
豊かな自然が良かったか、閑静な暮らしが向いたのか、移住後に執筆した作品が大ヒットを記録する。
続く二作目、三作目も好評を博し、今や超が付くほどの売れっ子だった。
その彼が、神隠しの被害にあったのは四ヶ月前。
犠牲者は、彼の父親だった。
朝、いつものように散歩に行くと言ったきり、戻っては来なかった。
警察を始め、近隣住民の協力も得て、散歩コースをしらみ潰しに捜索したが発見できなかった。
母親を早くに亡くし、男手一つで育てられたチャールズの哀しみは相当なものだった。
さらにその翌月には、お抱えの運転手が、車のエンジンをかけたまま姿を消した。
そしてつい先月、今度は家政婦が、洗濯物を干している最中に消失してしまった。
いずれも何の兆候も無く、全く理由も分からず、忽然といなくなってしまったのである。
折しも町では、黒マントの怪物による誘拐事件の噂でもちきりであり、ダルボット邸の一件も同類に違いないと噂された。
恐怖と心痛のあまり、ダルボットは屋敷から外に出なくなり、部屋にこもったまま執筆を続けていると聴く。
今は、妻と一人息子の三人暮らしのはずだ。
俺は、事前に得た情報を思い起こしながら、玄関の前に立った。
そのまま、ゆっくりと屋敷を仰ぎ見る。
そそり立つ赤煉瓦の先に、カーテンの引かれた窓が見えた。
今のところ、周囲に悪魔の気配は無い。
「おじさん……ドロボーさん?」
甲高い声に振り向くと、男児が一人立っていた。
歳の頃は五、六才で、ブロンドの髪が端正な顔の上で揺れている。
「やあ、坊や……なんでそう思うんだい?」
俺は、前屈みになりながら言った。
「えとね……ママがね……知らない人は、ドロボーさんかもしれないから……その……ついて行っちゃダメって……」
はにかみながら言葉を
「ママの言ってる事は正しい。だが、オジサンはドロボーさんじゃない。神父だ」
「しんぷ……さん?」
あどけない瞳が、不思議そうに俺を見返す。
まだ、習っていない言葉なのだろう。
「ああ。神父……まあ、神様の友だちみたいなモンだ」
「神サマのオトモダチ……すごい!」
目を丸くして絶賛する幼児の頭に、俺は笑いながら手を置いた。
そして前に向き直ると、改めて呼び鈴を鳴らした。
「……はい」
短い返答と共に顔を覗かせたのは、三十代と
黒髪を束ね、綺麗に化粧はしているが、滲み出る憔悴の色は隠せない。
それがチャールズ・ダルボットの妻、ミランダである事はすぐに分かった。
「まあ、ヘンリー!何してるの?」
俺の横に立つ幼児を見た途端、女性は驚きの声を上げた。
「神父さんとお話ししてたの」
ヘンリーと呼ばれた幼児は、嬉しそうに微笑んで言った。
女性の顔に一瞬、怪訝そうな色が走る。
「本当ですよ。私、神父のナイトメアと申します」
「ああ……あなたが……」
名前を聴いた瞬間、女性の不審そうな表情が一気に緩む。
「お話は
そう言って、女性は俺を招き入れた。
俺の訪問については、
女性の対応の変化が、それを証明していた。
「ヘンリー、あなたはお部屋に戻りなさい」
「はーい……神父さん、バイバイ!」
小さく手を振りながら、ヘンリーは二階に駆け上がって行った。
俺も笑顔で振り返す。
「わたくし、ダルボットの妻でメリンダと申します。今のは息子のヘンリーです。息子が大変失礼をいたしました」
そう言って、その女性──メリンダは頭を下げた。
俺は「いえ」と呟き、手で制した。
「ただ今主人を呼んでまいりますので、こちらでお待ち願えますでしょうか」
俺が通されたのは、窓から裏庭の見渡せる広い客間だった。
壁には年代物の絵画や短剣のエンブレムが飾られ、小ぶりのキャビネットには骨董品が並んでいる。
主人を呼びに行った妻を待ちながら、俺は今一度邸内を探査した。
目を閉じ、屋敷の隅々にまで意識を飛ばす。
人や動物に憑依した悪魔がいるなら、ピンとくるはずだ。
しかし、それらしき気配は無かった。
つまり、今この邸内に悪魔憑きはいないという事だ。
なんでそんな事が、分かるのかって?
そりゃ俺が、誰よりも悪魔に詳しいからさ。
まあ、その話は後でするとして……
「お待たせしました」
戻って来たメリンダの呼びかけに、俺の瞑想は途切れた。
「主人が……チャールズが、部屋で会いたいと申しております。どうぞ、こちらです」
************
チャールズ・ダルボットの書斎は、二階の一番奥まった箇所にあった。
黒く頑丈そうな扉の前に立つと、メリンダが一度だけノックする。
「あなた……神父様をお連れしました」
「……ああ……そうか……ああ……どうぞ……」
扉の向こうでガタガタと二、三度物音がした後、慌てたような声が返ってきた。
「どうぞ」
メリンダは扉を開けると、俺に軽く会釈した。
俺も頷き、襟を正す。
カーテンで遮光された室内は薄暗かった。
巨大な書棚の
そこに、ひとりの人物が座っていた。
「失礼します」
そう言って、俺は中に踏み入った。
「ようこそ、おいで下さいました……神父様。チャールズ・ミラン・ダルボットと申します……さあ、どうぞこちらへ」
椅子から立ち上がると、その人物──チャールズは、ぎこちない笑みを浮かべた。
高身長に不釣り合いなほどの痩身。
心痛のためか、黒髪にはかなり白いものが混じっている。
俺を見る目線は、ひたすら神経質そうに揺れていた。
「このたびは、私どもの身内の失踪事件について調査頂けるとか……誠に、ありがとうございます」
「礼には、およびません。これが仕事ですので」
そうそっけなく返すと、俺はぐるりと室内を見渡した。
「とにかく、あなたの身に起こった出来事を話して頂けますか」
俺のそのひと言で、チャールズの表情が一変する。
「私に起こった出来事……そう……まさに、悲劇だ……」
そう呟くと、崩れるように椅子に腰を下ろした。
机上に置いた手が、ガタガタと震え始める。
「……恐ろしい……全くもって……信じられない……」
チャールズは
俺はチラリとだけ視線を送り、またすぐに外した。
その時すでに、俺の意識は別のモノに向けられていたからだ。
林立する書棚の僅かな隙間──
そこに、押し込まれるように置かれたモノ──
大人の腰ほどの高さで、黒い布で覆われている。
それが、どうにも俺の注意を引いて仕方なかった。
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