第3話
「あの日……父は、いつものように散歩に出かけました」
顔を
「フォスターに移ってからの日課なのです。ここから三十分ほどの所にある公園まで歩くのが……」
俺は、例の黒布の物体から意識を
室内をゆっくり闊歩し、話に耳を傾ける。
「特に変わった様子はありませんでした。いつものように、ヘンリーと少し遊んだ後、ステッキ片手に意気揚々と出て行きました。そして、それが……私の見た……父の最後の姿でした……」
再び、チャールズの体が震え始める。
指を噛み、必死に何かを
「父が出かけた後、私もヘンリーと外出しました。あの子が、蝶を見たいと言ったので、二人で森に行ったのです。夕方帰宅すると、まだ父は戻っていませんでした。往復一時間ほどのコースなのにおかしい……何かあったのではと心配になりました。そこで、探しに行く事にしました。途中、呼びかけながら懸命に探したのですが……どこにもいなくて……そうしたら……こ、木陰の草むらに……お、落ちていたのです……アレが……」
そこで言葉が途切れ、チャールズは両手で顔を覆ってしまった。
そのまま、重苦しい沈黙が続く。
「一体、何を見つけたのですか?」
俺は、静かに先を促した。
チャールズはハッとしたように顔を上げると、しばし俺の方を眺めた後、ようやく口を開いた。
「……す……ステッキです……真っ赤な血のりの付いた……父の……」
チャールズは絞り出すように言った。
それが誰の血痕であったかは、あえて確認しなかった。
「それで、警察に連絡したのですね」
「……はい……近隣の方々も手伝って頂き、散歩コースを中心に広範囲に
俺の問いに答えると、チャールズは下を向いてしまった。
机上に乗せた
すでに警察による鑑識で、血痕は父親のものと判明しているのだろう。
安否までは分からぬが、少なくとも無傷で無い事だけは確かなようだ。
俺は特に同情するでもなく、ただ事実を知る事のみに徹した。
「運転手と家政婦の方はいかがですか?」
その事務的な口調が意外だったのか、チャールズの俺を見る顔が、一瞬唖然となる。
だがすぐに視線を
「……どちらも、この地に来てから雇い入れた者たちです……屋敷が大きくなった分、妻の負担も増えましたし……私も忙しくて……送迎を必要としましたので……」
ポツポツと語り出すチャールズ。
俺は黙って、話すに任せた。
「運転手は──五十代の男性でした──あの日、私を町の図書館に送る予定でした。今執筆中の作品の下調べをするつもりだったので……しかし、外に出てみると車はありませんでした。いつもは、玄関先で待っているはずなのです。それでしばらく待っていたのですが、一向に現れません。さすがに不審に思い、車庫に行ってみました。すると、車はまだそこにありました。しかも奇妙な事に、運転席のドアが開いており、エンジンはかかったままでした。なのに、運転手の姿はありません。屋敷中を探したのですが、どこにもいませんでした。彼とは、それっきりです……勿論、警察にも連絡しましたが、今だに
そこで一旦言葉を切ると、チャールズは大きくため息をついた。
疲弊した顔には、幾筋もの皺ができている。
「家政婦がいなくなったのは、つい先月の事です。父に続いて運転手まで失踪した事で、私もかなり滅入っていました。行方不明者の頻発する家になどいたくないと思うのが普通ですが、彼女は気丈な女性でした。
そう言って、チャールズは悔しそうに頭を振った。
「彼女がいなくなった状況も、運転手の場合と同じです。朝食の準備ができていない事を不思議に思った妻が呼びに行ったのですが、どこにもいなくて……私も加わって探したところ、裏庭の物干し竿に洗濯物が半分掛かった状態になっていました。勿論、家政婦の姿はありません。まさに、煙のように消えてしまったのです。あんないい人が……全く……なんで……」
言葉を詰まらすチャールズ。
目には薄っすらと、涙が浮かんでいる。
「……教えてください!神父様!私は……この家は……呪われているのでしょうか!?」
俺の顔をキッと見据え、チャールズは叫んだ。
抱きつかんばかりの勢いだ。
「それは、まだ分かりません。しかし、できるだけ調べてみるつもりです」
俺は表情を変えることなく、淡々と返した。
「……そうですか……どうか……お願いします……」
その言葉を最後に、チャールズは黙り込んでしまった。
深い失望感と虚脱感が、全身から滲み出る。
俺はその様子を、ただじっと眺めていた。
************
ダルボット邸を後にした俺は、その足で残り十人の被害者宅を訪れた。
親子、兄弟、友人など、失踪者の形態は様々だが、一つだけ共通点があった。
いなくなったのはいずれも、失踪者が一人でいる時である。
深夜の街路、繁華街から外れた裏道り、田園のあぜ道、登山道……
失踪した者は皆、これらを一人歩きしている最中に姿を消してしまったのだ。
この事実だけ見ると、失踪が当人の意思によるもので無いとするなら、やはり通り魔などの賊による犯行と誰もが思うだろう。
しかしこの考えは、警官の目撃証言により簡単に
黒いマントにシルクハット……
実直で勇敢な警官の話を、町の者は受け入れざるを得なかった。
そして今、猜疑と畏怖の念に駆られながらも、皆どうにか日常を維持しているのだ。
俺が、最後の聴き取り対象──目撃者である警官のいる交番に着いたのは、夕刻もかなり回った頃だった。
「彼なら、ただ今巡回中です」
交番で机に向かっていた別の警官が、事務的に答える。
こんな時間に、神父が何の用だと言わんばかりの表情だ。
俺は、それなら結構ですと言い残し、交番を離れた。
一旦立ち止まって、周囲を見回す。
ほどなく狙いを定めると、町外れの方に足を向けたのだった。
巡回するなら、ここもコースに入っているはずだ。
探せば、必ず目的の警官に出くわすに違いない。
そんな、根拠の無い自信が俺にはあった。
超自然の気配を察知した時の、身体的反応だ。
逆立った頭髪が、その原因となるものの所在を探る。
……あそこか!?
俺は、古びたビルとビルの間にある間隙を凝視した。
そこから
俺は、迷う事無く駆け出した。
ビルの隙間に到達した俺の目に、息を呑む光景が飛び込んで来た。
狭く、真っ暗な間隙は、人ひとりがやっと通れるものだった。
その中ほどに、ソレはいた。
黒いマントにシルクハット──
真っ赤な眼球は、血に飢えた肉食獣のごとくギラついている。
そして更に俺の目を引いたのは、マントから突き出した若い男の頭部だった。
官帽を被った男の表情は、恍惚に酔いしれ、涙とヨダレに
それが、探していた警官である事は、すぐに分かった。
これは……!?
俺は、一瞬息を呑んだ。
話に聴いていた黒マントの怪人物を、今目の当たりにしたのだった。
幻覚や見間違いでは無い。
コイツは確かに存在している!
だが、俺に考えを整理する余裕は無かった。
大気を切り裂く斬撃音と共に、何かが俺目がけて襲いかかってきたからだ。
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