Reborn

Unknown

Reborn

 私は「愛莉」としての仕事を辞めて、東京のアパートを退去して、栃木の実家に帰ってニートをしていた。今まで数年間、ずっと風俗で働いていた。風俗で働くことは自傷と何も変わらない。私は自分のことがどうでもよかった。私なんて死ねばいいと思っていた。たまたま私には金が無かったし、他にも色々あった。だから、自傷で金を稼ぐことにした。手にタコを作りながら、食べ物を吐きながら、血を吐きながら、水を吐きながら、手首を切りながら、太ももを切りながら、精神病を抱えながら頑張っていた。


 頑張ったのだから、少しくらい休んでもいいだろう。


 父にも母にも妹にも友達にも、私が風俗で働いていたことは言ってない。自殺した彼氏にすらずっと隠していた。こんなこと、言えるはずがない。最近チャットで知り合ったYという男の人にも、自分の職業を看護師だと嘘をついた。ちなみにYは私と同い年だが“引きこもり”だそうだ。普通なら1番隠したいであろうことを、なんで平然と言えるのだろうと私は不思議だった。おそらく自分の弱さを晒すことに抵抗が無い人なんだ。私はプライドが高いから、自分の弱みを他人に見せたくない。


 私が風俗を辞めたのは、本当にやりたいことを見つけたからだ。


 今、私には無謀な夢がある。


 小説家になることだ。


 小説なんてろくに読んだことないし、文才だってない。でも本能で書いてみたくなった。この日本のどこかの誰かに私の気持ちを伝えたかった。遠い誰かに私の事を知ってほしかった。


 私が小説を書きたくなったのは、たまたま見つけた、とあるネット小説に影響を受けたからだ。


 unknownという男の人の小説だった。年齢は20代半ば。私と大して変わらない。


 小説の内容はもう、今となってはよく覚えていない。たしか暗い内容だった。全く人気ではなかった。


 でも心が救われたことだけは覚えている。生きるのが辛い時期に読んで、私は間違いなく救われた。


 unknownはもうネット上のどこにもいない。アカウントを消してしまったからだ。「自殺する」と言い残して、消えてしまった。


 私は一度も彼にコメントしたことがなかった。後悔した。一度くらいは送っておけばよかっただろうか。


 どんな人なのだろう。


 どんな顔なのだろう。


 会うことはない。


 だが、私に夢を与えてくれた。夢とは、生きる希望だ。unknownが消えた今、私は私の言葉で文を書いてみたくなった。誰かを救えるような文。私に書けることは一体何だろう。


 ◆


 俺は『愛莉』さんという女性とチャットで知り合い、ラインを交換したが、愛莉という名前には見覚えがあった。そして、顔にも見覚えがあった。だから最初は驚いた。


 まさかとは思うが、この愛莉さんとは、俺が東京のソープに行って童貞すてた時の、あの愛莉さんじゃないのか。


 送られてきた顔の写真を見て確信した。あの時の愛莉さんだと。


 初めてやった相手の顔を忘れるはずがない。ましてや、あの日の俺は自殺する以上の勇気を出して風俗に行ったのだ。


 だが俺は愛莉さんに聞けずにいた。聞けるわけない。「もしかして俺たち風俗で会ったことありますか?」なんて。愛莉さんは看護師をしていると言っていた。おそらくこれは嘘だ。風俗で働いていたことを後ろめたく思った愛莉さんは、看護師だと嘘をついているのだろう。


 でも一応聞いてみよう。


 俺は確信を持ってラインを送った。


『もしかして俺たちどこかで会ったことありますか?』


 ◆


『もしかして俺たちどこかで会ったことありますか?』


 パソコンに向かって小説を書いてたら、いきなり、そんなラインがYさんから来た。私はYさんの顔の写真を見ながら思い返してみたが、この人と会ったことはない。

 私は返信した。


『え、どこで会いました?』

『なんか、そのへんで』

『そのへん?』

『すいません。なんでもないです』


 一体どこで会ったんだろうと私は思った。

 会うとしたらどこだ?

 まさか風俗?

 いやでも、ぶっちゃけ客の顔なんていちいち覚えてない。特徴的な客とか、リピーターとか、不快だった客のことはよく覚えてるが、さすがに全員の顔は覚えてない。

 私はYさんの顔を見ても何も思い出せない。

 どこで会ったのか、一切思い出せない。


『多分わたしたち会ったことないですよ』

『そうですか。なんか昔関わりのあった人にすごく似てたので』

『誰に似てるんですか?』


 ◆


『誰に似てるんですか?』


 やばい。なんて言えばいいんだ。風俗嬢ですなんて言えない。もう本人なのは完全に間違いないのだが、愛莉さんにとって風俗の話題はタブーだ。なら、ここはもう適当に誤魔化すしかない。


『俺が看護師だった頃に入院してた患者さんとすごく顔が似てたのでもしかしたら本人なんじゃないかって思ったんです』


 俺はデタラメな嘘を送った。よし、割と上手く誤魔化せてる気がする。

 やがて、愛莉さんから返信が来た。


『あ、じゃあ人違いです。私今までの人生で一回も入院したことないから』

『わかりました。なんかすいません』

『世界には自分と同じ顔の人が3人いるって話、有名ですよね』


 たしかによく聞く。だが、これはもう明らかに愛莉さん本人だった。どんな確率だよと思った。


 ◆


 私は、少し不審に思っていた。

 最初は、「そのへんで会った」と言っていたのに、最後は「病院で会った」に変わっている。最初から「病院で会った」って言えばいいのに。

 もしかして何かを隠そうとしてる?

 まあ、別に気にすることでもないか。

 私は、Yさんから送られてきた顔の写真をもう一度眺めながら、記憶を掘り起こした。

 この人は一体誰だ?

 思い返せ。


「……」


 私の痛々しい過去が走馬灯のように蘇る。

 だが、じーっと写真を見てても、全く思い出せなかった。

 まあいいや。


 ◆


 就活を始めた俺は、面接で何度も落ちた。

 当然のことだ。何年も引きこもってた男をわざわざ採る企業なんて少ない。しかも今はコロナ禍ということもあり、ただでさえ絞られている。

 こう何度も不採用が続くと、永遠に俺は採用されないのではないかという疑念が湧いてくる。

 現実は厳しい。

 今まで現実と向き合わなかったツケを払う時が来た。

 俺はそんな現実を一時的に忘れるために、自分の部屋の中で、スマホをいじって小説を書き始めた。

 一度はアカウントを消してしまったが、結局俺は文章を書く以上の暇潰しが思いつかなかった。書いてて楽しいから書いてるだけであって、それ以上の意味は無い。バイクに乗るのが楽しければバイクに乗ってるだろうし、絵を描くのが楽しければ絵を描いているだろう。それだけのことだ。俺にとってはギターと並んで単なる暇潰しだった。

 アカウントの名前はunknownだった。

 結局またunknownという同じ名前で登録し、俺は生まれ変わった。

 そんな自分が嫌になった。結局やめられない。


 ◆


 私は1日のうちに1回は「unknown」を探していた。

 カクヨムで。小説家になろうで。

 サイト内でunknownと検索すれば、もしかしたら見つかるかもしれない。しれっと何か投稿してるかもしれない。誰にも読まれない文を投稿してるかもしれない。

 俺は生きてる価値がないだとか、死んだ方がマシだとか、そんなつまらないことをまた書いてるかもしれない。

 どうしても彼にお礼が言いたかった。

 あなたのおかげで救われたのだと、あなたのおかげで夢を見つけたのだと。

 でもどうせ見つからないだろう。

 unknownの精神が不安定なのは文を見てればすぐ分かる。unknownは自殺すると言い残し、アカウントを消した。今までunknownなりにずっと苦しんできたのだろうし、だから「自殺する」と聞いても何もコメントしなかった。死にたいなら死んで楽になってもいいと思った。

 でも、もしかしたら生きてるかもしれない。

 また懲りずに何か書いてるかもしれない。

 私はunknownと打ち込んで、カクヨムでユーザー検索した。

 すると、unknownという名前が出てきた。作品投稿数は1。

 まさかと思い、開いてみた。

 Rebornというタイトルの小説が投稿されている。

 私はそれをクリックして、読んでみた。

 内容は、明らかにunknownが書いたものであると分かった。ああそうか、結局死ねなかったのか、と思った。


 ◆


 その日、私(俺)はお互いにラインのやり取りをした。


『私の彼氏が自殺した理由ですけど、結局わかりません。でも一つだけこれじゃないかなって思い当たることがあるんです』

『そうなんですか』

『私本当は看護師じゃなくてずっと風俗で働いてたんです。もしかしたらそれを彼氏は知ってしまって、ショックだったのかもしれない』

『それが自殺した理由?』

『わかりません。でもそれも理由の一つなんじゃないかって思うんです。Yさんはどう思いますか。もし付き合ってる彼女が自分に隠れて風俗で働いてたら』

『俺は特に何も思わないです。やめられるんならやめてほしいとは思うけど。愛莉さんは今もまだ風俗で働いてるんですか?』

『今は実家でニートをしてます。小説家になりたいんです。貯金はあるし、しばらくは家でだらだらしたいと思います』

『小説家ですか。素晴らしいと思います。どんな小説書きたいんですか?』

『現実が舞台の小説ですね。現実で苦しんでる人を救えるような小説が書きたいです。私自身が生きてて苦しいから、まずは私が救われるような小説が書きたいな』

『素晴らしい志ですね。実は俺もネットで小説書いてるんです。俺はプロになりたいとか一回も思ったことなくて、単なる暇潰しですけど』

『そうなんですか。どこで書いてるんですか?』

『カクヨムってサイトです。unknownって名前でやってます』

『え、unknownってあのunknownさんですか!?』

『俺のこと知ってるんですか?』

『はい。いつも読んでました』

『そうなんですか。世界は狭いですね』

『自殺するって言ってアカウント消しましたよね?』

『あ、自殺は失敗しました。また死ねなかったのかと思って涙が出ましたよ。情けないです』

『生きててよかったです。情けなくてもいいから生きててください。実は人って死んだら終わりなんです』

『ありがとうございます』

『さっきReborn読みました。unknownさんって風俗で童貞すてたんですね』

『ふと思ったんですよね。童貞のまま死ぬのめっちゃ嫌だなって。自殺する勇気あるなら何でも出来るだろと思って、死ぬほど勇気振り絞って行きました』

『どうでしたか?』

『なんかよくわからなかったです。あれ以来一度も行ってないし。でも行ってよかったです。あれから世界の見え方が変わって俺の見た目も変われたので』

『よかったですね。そういうのが一番嬉しいかもしれない。たまにそういう女性経験の無いお客さん来ますけど、私がきっかけで良い方に変われたんだったら、私の仕事にも大きな意味があったのかもしれない』

『そうですよ。俺はあの日の風俗嬢にとても感謝してます。あの人のおかげで今の俺があるから』

『ちなみに、なんていう名前の女の子でしたか?』

『愛莉っていう名前です』







 終わり

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Reborn Unknown @unknown_saigo

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