現れた怪物

 その冒涜的な生物は、古文書の絵と瓜二つだった。いや、あちらの方がディテールが荒かった分、幾分か嫌悪感を抱かずにすんだことだろう。


 朝焼けをバックに飛び上がったそれは、細い体を三日月のように曲げていた。日に照らされたその体にはひだがあり、腹部には車ほどの足が無数に存在している。


 それはまさしく、イモムシのようである。その巨大さゆえに、遠近法が狂ってしまったかのようにさえ見えた。


 隊員の一人が金切り声を上げて、その場に倒れたが、彼の無事が確認されるのは、もう少しの後のことである。


 その場に居合わせた人々は、今まさに落下している超巨大イモムシに釘付けとなっていた。


 ぬらぬらとした液体にまみれた白い頭が地面とぶつかる――土煙があがり、またしても地面が揺れた。


「ちょ、張力が復活しました」「大丈夫ですか!? 呼吸は!」「待機している戦車隊が対応を求めていますっ!」


 指揮所の中は騒然としていた。隊員の声が乱れ飛び、誰も彼もが混乱しているかのようであった。タイコもまた、実物を見たことで抑え込んでいた恐怖に体が硬直していた。


 不意に、銃声がした。


 パンっと一度だけ鳴り響いた音は、あすなの手にしていた9mm拳銃から発せられていた。


 硝煙をくゆらせている拳銃をホルスターに戻したあすなは咳ばらいを一つする。


「落ち着いて、ね?」


 声がやたらめったら飛び交っていた指揮所の中に、隊員たちの「了解」の声が揃った。誰も彼もが、あすなにビビっているような感じさえあって、脇で見ていたタイコは驚いた。


「う、撃ったんですか……?」


「空砲だから安心して」


 空砲ならいいのだろうか、なんてタイコは思いながらも、あすかに頷く。それから、視線を巨大魚の方へと向けた。


 砂の下に潜ってしまった巨体は見えなかったが、ワイヤーは移動し続けている。獲物は砂丘の下を移動しているらしい。


 ワイヤーを地中へと引っ張りこみながら砂の中を縦横無尽に泳いでいるドールを観察しながら、あすかが口を開く。


「戦車並みの速さか。こりゃあ何とかして動きを止めなきゃね。……何か方法ってある?」


「わたしに聞いてます?」


「そりゃもちろん。アドバイザーじゃないですか」


「戦車のこととか作戦とか全然これっぽちも詳しくないんですけど」


「いいですって。専門家としての一意見を口にしていただければそれで。それを作戦にするのが私の役目なんだから」


 にこにこと笑っているあすかだったが、先ほどの発砲を思い出すと、彼女が内心で何を思っているのかわかったものではない。


 へまをしてしまったら、あの銃口は自分へと突きつけられるのではないか――そう思うとタイコは必死になって何かいい方法はないかと考える。


「ジャンプしたところを狙うとか」


「狙ってジャンプさせられるのか?」


「ファイト中ならあるいは。狙ってというわけじゃないですけど、頻度は増えると思います」


 タイコはシーバスとの戦いを思い出しながら言う。シーバスは時折ジャンプすることがある。強く引いている時は特にジャンプしやすい。


「あの勢いを見るに、砲撃は間に合わないから、飛行隊には機関砲の準備をしてもらうかな」


「機関砲?」


「あそこで待ちくたびれてる戦闘機が積んでるんだ」


 あすかが指さした先には飛行機雲が何重にもできている。基地から飛んで来た彼らは、ゆっくりと大きく円を描くように上空を旋回していた。かれこれ一時間ずっと。


「ほんとは対地ミサイルでもあればよかったんだけどねえ」


「大変ですね」


「いやいや、大変なのはこっちだってばー。あの人たち絶対攻撃されないんだよ? 安全圏にいるくせに大変なわけないじゃん」


 と、その時、ドールが姿を現した。背中だけを砂丘へ出して、うねるように進む姿はジョーズかあるいはアナコンダのよう。


 消えては現れ消えては現れるその巨体が、海岸線へと向く。グロテスクな頭が戦闘機の編隊へと向けられ、その口から何かが飛び出した。


 透明な液状の物体が、矢じり型の編隊へ飛ぶ。戦闘機たちは散開。その中の一機が態勢を崩し、煙を吹く。


「飛行隊からの報告、アルファ3が被弾、不時着を敢行するそうです!」


「あの飛翔体によるものか。飛行隊はなんと?」


「ゲル状のものが飛んで来たと」


HESH粘着榴弾か? どっちにしても前言撤回しなくちゃだね。安全な場所なんてないらしい」


「あ、あれこっちに飛んで来たら……」


「一応防弾ガラスだよ。まあ、巨大生物の攻撃にどれだけ耐えられるかわかったものじゃないけどさ」


「ううっ、こんなとこ来なければよかった」


「ここまで来た以上は受け入れて」あすながタイコの肩を叩く。「先ほどの指揮はかっこよかったですよ」


 お世辞なんだろうな、と思いながらもタイコは勇気づけられた。


 俯いた顔を正面へと向けると、砂上にドールの姿はない。わずらわしい羽虫を一機撃墜したことに満足しているかのように、比較的静かに潜行を続けている。


「早く釣り上げましょう」


「そうだね。あれが粘着物なら、私たちべとべとになっちゃう」


 あすなの軽口に、タイコは苦笑いで応じた。


 周囲を見回したあすなは笑みを浮かべながら、手を叩いた。


「みんな、やるよ」


「はい!」


 タイコと隊員たちの威勢のいい声が響いた。

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