作戦開始

 あすなの掛け声とともに、操縦席に座る自衛隊員がレバーを掴み、倒した。


 キリンの上半身が海岸の方へ九十度回転する。それと同時に、スプールが回転し、ワイヤーがぎしぎし音を立て、出ていく。ジブの半分ほど出たところで、スプールの回転が止まった。


 ワイヤーの先端にはミミズを模した疑似餌がつけられている。フックと一体化した金属製のワームを地面へ放り投げることで、衝撃で獲物を呼び出そうというわけだ。ミミズの形をしているのはタイコの最後の抵抗だった。


 車よりもずっと重いフックが揺れる。ぶんぶんという低い音は、タイコの不安をますます強めた。


「うわあ!」


 再び、キリンの上半身が動き始める。ゆっくりゆっくりと回転し、同時に、スプールからワイヤーが飛び出していく。


 鉛色のワームがゆるい放物線を描いて、砂丘を飛ぶ。


 そして、落ちた。


 ごうっと地に衝撃が響き、砂塵がパッと舞い上がる。ヒバの木に留まっていたウミネコたちが一斉に飛び上がり、苦情代わりの鳴き声を上げる。


 パラパラと舞い上がった砂が落ち、早朝の静寂が戻ってくる。


 誰も彼もが固唾を飲んで、向こうへ飛んでいったフックに獲物が食いつくのを待っている。騒がしかったのは、今なお文句を口にしていたタイコくらいのものだ。


 ドン。


 突き上げるような揺れにキリンが襲われた。


「な、なんだ!?」


「隊長、あれを」


 自衛隊員が外を指さした。疑似餌が飛んでいった辺りに穴が開いていた。


 黒々として先の見えないほどに深い大穴が一瞬のうちに現れたのである。


「ワイヤー止まりません!」


 別の隊員からの報告に、頭上を見上げる。バシンバシン音を立てて、カーボン製のワイヤーが出ていく。あまりの速さにスプールでは火花が散っている。


 その音は、スケールは違えど、釣りのものと違わない。恐慌状態にあったタイコの頭を強く揺さぶった音は、何よりのカンフル剤となった。


 タイコは己の頬を思いっきり叩いた。


「ワイヤーは何キロ分ありますか」


「え、えっと」


「五キロだよ」


「残りは」


 計器類を確認していた隊員が答える。「ワイヤーの残りは三キロ」


「半分チョットか……」


 タイコは目にも止まらぬ速さで出ていくラインを見ながら考える。


「スプールをロックして巻き上げてください」


「い、今からですか。あんなにワイヤーが出てるのに止めたら」


「いいからやりなさい」


 うむを言わせぬ口調であすなが命令する。


「これがちゃんと設計されているなら大丈夫なはずです。わたしはこういうの詳しくないからわかりませんけど……」


 そう言うタイコの目はワイヤーが伸びる先へと向けられている。あの大穴の暗がりに何がいるのか走らない。どのようなおぞましい存在がワームに食らいついているのか、タイコは考えないようにした。


 操縦席に座った隊員がレバーを動かすと、ゴウンと音を立て、キリンの「クビ」が起き上がる。それと同時にスプールにロックがかかる。


 ピンとワイヤーが張る。テンションがワイヤーから鋼鉄のクビにかかり、曲がる。金属が軋む音が、朝の海に不気味に響く。


 だが、それだけだった。ワイヤーが切れることはなく、ジブがぽっきりと折れてしまうようなこともなかった。もっとも、きしむような音は依然としていたが。


「状況は?」あすなが訊ねる。


「スプールのロック完了。キリンに今のところ問題はありません」


「さて、ここからどうすればいいの?」


「えっと、慎重に巻き上げてみてください。相手の動きがあるまで」


 スプールが動き始め、張りつめたワイヤーが巻き上げられていく。よほど重いものがぶらさがっているのか、その動きは遅々として進まない。


「あの大穴って、自衛隊の方が開けたのですか」


「いや、私たちではないですね。なんか、ワカサギ釣りみたい」


「確かにそうかもしれませんけど、そのドールってやつが開けた穴だとしたら、この辺り穴ぼこになるんじゃ――」


 頭上でアーチ状に曲がっていたジブが、さらに曲がる。トラスに組まれた金属棒が悲鳴を上げるように軋み、巻き上げていたワイヤーが止まった。


「なんだ」


「強い力でワイヤーが引かれています。その張力、一億N!?」


「ワイヤー、出してください」


「ロック解除!」


 スプールのロックが解除されると同時に、ワイヤーがバチンと音を立て、穴の方へと引き寄せられていく。


 テンションのかかっていたクビが勢いよくまっすぐになり、ぶおんぶおんと不気味に揺れた。


 その揺れは、指揮所にいたタイコたちの下まで伝わり、マグカップの冷めたコーヒーが波打つ。


「あれ……」


 出ていく糸を見ていると、穴の中ではなく、その向こう側へと伸びていた。錯覚だろうかとタイコは目をこする。だが、やはり穴の向こうへワイヤーは消えている。


 そのワイヤーから聴力がみるみるうちに失われていく。たわんでいくカーボンワイヤーを見たタイコは、次に何が起こるのかを経験則から察知した。


「出てくる」


 あすなが、タイコの方を振り返った瞬間。


 土煙とともに、それが人々の前に姿をあらわした。

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