終わりに
そして今、俺はイルゼに言われたとおりにシュルツ卿をつけている。夜半に人目を忍んで出ていく卿は、下水管のマンホールを開けて中に入って行った。
俺はマンホールの換気口に管を差し込み、ラッパのようになった片側を片方を自分の耳に近づける。
「…いよいよ…の時…明後日の…必ずや…」
それだけで十分だった。
王城に走り帰り、今日は珍しく一人で健やかに寝ていたイルゼを叩き起こす。
「おい」
「…なによ、い」
「明後日だ」
「…そう、意外と早かったのね」
「来い」
俺はイルゼの腕を引きベッドから引きずりだそうとする。
「嫌よ」
彼女の発したその言葉に、膝が
「意地張ってんじゃねえ、来い」
「あたし、あんたとは行かないわ」
「じゃあ誰と行くんだ!」
「家族と」
その言葉にとうとう力が抜ける。この期に及んで、あれを家族と呼ぶのか、お前が。
「ああ、違うわ。…罪と。私の罪と、逝くわ」
何も言えなくなる。お前は何も罪なんて犯してないだろう、そう言いたかった。
「あんたは今日でクビね。隣国の寒村に家を用意してあるから、そこに行きなさい」
イルゼは流れるようなしぐさで文机の引き出しを開けると、その中から更に小箱を取り出し、中に入っていた紙片と鍵を俺に手渡す。
「おわかれね」
言うイルゼはどこまでも無表情だった。
「俺と来いよ」
「嫌よ」
「なんで」
「私、一応こう見えて王女なの。犬とは一緒にいられないわ」
「…なあ…!」
「やめて頂戴。しつこいのは嫌いなの」
あんた、あたしに、この汚れた体のまま生きて行けっていうの。
それがとどめだった。
俺はもう何も言えずに、彼女を抱きしめた。彼女も何も言わない。そのまま、彼女の額に、髪に、頬に口づけをする。そして許しは請わずに唇を奪った。唇を舐めてついばんで、彼女の息が上がったところで口の中に忍び込んだ。そっと彼女の舌先に触れる。彼女が引かないことを確認して、もっと深く絡め合う。
「…やめて」
俺をほのかな力で拒んだ彼女が言う。
「そんなふうにしないで」
瞳が揺らいでいる。
「…俺と来い。頼むから」
「行かないと決めたの」
「なぜ」
「私は、せめて民の礎にならなければ。民が私たちを殺すことで、この国はきっと豊かになる」
僅か十四の少女が言うセリフではなかった。それに、二十二の大人が何もしてやれないなんて。
「…ごめんな」
「やめて頂戴。あたし、あんたがいて結構楽しかったわ」
もう一度口づけをしようとすれば、さっきみたいなのはやめて、と釘を刺された。
「いいだろ、お前もう死ぬんだから。…最期くらい何も考えずに、俺に抱かれとけ」
そうして、俺と彼女のつながりは断ち切れた。俺に抱かれる間、彼女はこれまでの享楽ぶりが嘘だったことを明らかにするように静かに吐息を吐くばかりだったが、その息は熱く、口づけに応じる舌は柔らかだった。
「…サジ…」
最後には俺の名を密やかに呼んで果てた。
◇◇◇
その家には必要最低限の物しかなかった。しかし、必要なものはすべて揃っていた。
家の裏には畑があった。土を掴んでほぐすと、よく肥料と混ざって良い野菜が取れそうな土になっていた。
そして鳥小屋もあった。中では立派な鶏たちが気ままにコココ、と鳴いている。
料理に必要な道具も、裁縫に必要な道具も、すべてが揃えられていた。
やっと、あの意味の分からない生意気な少女が言ってきたことの意味がわかった。
国王家一族は予定通りに起こされた革命で根絶やしにされたらしい。
せめてその革命が、本当に良い治世の幕開けになることを俺は祈った。
ある日、文机の引き出しを開けた俺は一通の封筒に気づく。
『あんたがくれたピーマンは甘くて美味しかったわ。本当よ。
あんた、人を殺すよりも、野菜を育てて生きていく方があっているわね。
サジ、あんたの人生が豊かで美しいものであるように。愛してる』
【完結】放蕩姫の暗殺者はクローゼットを出て @amane_ichihashi
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