放蕩姫にはピーマンを

その日を境に、イルゼは放蕩姫として社交界に密やかに名を馳せるようになった。

ほぼ毎日のように誰かを寝室に引き込んでは、街の噂や貴族たちの動向の聞き込みを行う。意外にもこの前のようにその場で相手を殺すことは滅多に無く、またよほどイルゼの身体が美味いのか、男たちはイルゼに踊らされて話をさせられていることにも気づいていないようだった。

イルゼの行動にも納得がいった。国王一家の暗愚さは愚王の見本市のようだった。東に珍しい生き物ありと聞けば多額の金を投じて探しに行かせる。西に絶世の美女ありと聞けば無理やり王城に召し抱え、飽きたら家臣への褒美として捨てる。第一王女は着道楽で三部屋を埋め尽くすほどの衣装を持ち、第二王女は食道楽で一日中食べては吐き、食べては吐いている。

どいつもこいつも、国を収める気などない。金は湯水のように湧き出ると本気で思っているのだ。すぐその足元で死んでいく民がいることも知らずに。


その一年後、死ぬ思いで一通りの勉強を終えた俺に、イルゼはこう告げた。

「野菜を育てて」

「…はあ?!」

「庭師に庭の一角を開けるように命じておいた。詳しくは彼から聞きなさい」

「おい…意味が…」

「わかる必要があるの?あんたに説明して、その貧弱な頭で理解できるかしら」

「やる気にかかわる」

こいつの嫌味な言い方にも慣れてきた俺はボサボサの頭をかきながら挑発に乗らずに返した。

「…美容を維持するには新鮮な野菜が必要なの」

「…そのうち、鶏育てろとか豚育てろとか言い出さねえだろうな」

「あら、珍しくいいカンしてるじゃない。じゃあついでだから養豚と養鶏も勉強してきなさい」

「おい…」

「嫌なら出ていけばいいわ。主の健康のために良い食材を調達するのも従者の仕事よ」

もうこうなったら取り付く島もない。俺は黙って庭に向かう。


そして半年間、俺は土いじりをしたり鶏に突かれたり、豚の糞に塗れながら過ごした。

その間もイルゼの嬌態を見る日々は続いていた。睦ごとの合間に語られる話は、市民たちが夜な夜な会合を開いているようだとか、貴族派の誰が市民に寝返ったとか、大量に銃器を購入したらしい噂を聞いたなど、段々とキナ臭い内容が多くなっていった。

半年後、俺はようやく収穫を終えた大量のピーマンをイルゼに献上した。それを見て彼女の眉が一ミリだけ下がったのを見逃さなかった俺は、隠しもせずにニヤリと笑ってやった。


◇◇◇



ピーマンを大量に育てたことへの意趣返しか、その後イルゼから言われた命令は「全部やれ」だった。

「おい、毎度のことながら意味が分かんねえ」

「全部よ。料理も、掃除も、裁縫も。ああ、建物の修繕もいいわね。とにかく、あんたが暇そうにしてたらなんでもいいから仕事を与えるように家中の執事とメイドに言っておいたから」

「あー…主様?」

「何よ、犬」

「…この前のこと、お怒りでいらっしゃる?」

じょりじょりと無精ひげを撫でながら顔を歪めて言った。その俺を見て、イルゼは初めて、特別きらびやかな余所行きの笑顔を俺に向けた。

「そんな、怒るだなんて滅相もございませんわ。サジが育ててくれたおかげで、私、ピーマンが大の好物になりましたの。感謝してもしきれませんわ」

その、薄っぺらさを強調するような言いっぷり。穴が開くほど見つめてやっても、貼り付けた笑顔を一切崩さないイルゼに俺は腹を抱えて笑ってしまった。

「はっ、はははは!ああ、腹いてえ。…ぷっ、くくく…。なあ、もう一回言えよ『ピーマンが大好物だ』って…ふふふ」

「犬、調子に乗るんじゃないわ」

いつもの無表情に侮蔑を足した顔に戻ったイルゼが言う。

「ああ、そうだな、悪い。今度は全部だって?ホント、主様は人使いが荒いぜ」

十三歳になってもピーマンが嫌いな主の頭をポンポンと撫でてやった。

「…犬。もう一度言う。調子に乗るんじゃ、無いわ」

上目に俺を睨みつけながらこれまでに見たことが無いような怒気を孕んでイルゼが言った。

おお、怖え。と俺は嘲るように言ってやった。思い知れ。お前は所詮、男に抱かれるしかできない少女で、俺に敵うはずがないってことを。

「なあ、主様よ。犬をしつけるには、芸が出来たら褒美をやるもんだぜ」

「…」

「俺にも褒美をくれよ」

「あんたがここで生活できることが褒美でしょう」

「そう言うなよ。この犬、結構頑張ってると思うぜ?もうちょっと手心加えてくれよ」

「…あんたがあたしに交渉できる立場だと思ってるの?」

「…俺が出てったら、誰がお前を犯してるやつを殺してくれるんだろうな?」

「お前の代わりなんていくらでもいるのよ。犬の分際でうぬぼれるな」

イルゼの目は、ベッドから『セルジュ』を呼ぶときのそれと同じ瞳の色をしていた。興味の無くなったものを捨て去るときの目。ああ、そろそろ潮時か。

「口づけを許可していただけませんか?我が主」

俺は最初の一年で叩き込まれた、騎士としての礼をしてイルゼの手を取る。

「私が、貴方のご期待に沿う働きができた時には」

「…よい。許可する。ただし、二度と私を侮辱することは許さない」

はいはいと心の中だけでつぶやいて、俺はイルゼの手に口づけた。

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