第5話「離宮と荒れ果てたお庭」



そのあと、ヴォルフハートの馬車は王都を目指して走り出した。


ジャネットの体はまだカタカタと震えていた。


馬車は何事もなく進み、数時間後には無事に王都に着いた。


馬車を降りる時、誰もエスコートしてくれないので転びそうになった。


そのときはフェルが助けてくれた。


王太子殿下は「明日は式だ、今日は休め」そう言って、去っていった。


一度も目を合わせることもなく、声もとても冷たかった。


兵士たちの態度もよそよそしい……というより、敵意に満ちている。


それはそうだ。命がけでモンスターを倒したのに、「化け物」と呼ばれたら、誰だって気分が悪くなる。


「化け物」と叫んだジャネットは、ヴォルフハートの王宮を見て、「ノーブルグラント王国とは比べ物にならないくらい、狭くて汚い王宮ですね」と言っている。


お願いだからこれ以上、好感度を下げるようなことはしないでほしい。


「あいつに喋れ無くなる魔法をかけようか?」


フェルにそう言われた時、ちょっとだけお願いしたくなってしまった。


「ノーブルグラント王国の王女様ですね。お部屋までご案内いたします」


ヴォルフハート王国のメイドさんが話しかけてきた。


茶色い髪を後ろで綺麗に束ねた、若くして、仕事のできそうなメイドさんだった。


「アリアベルタ・ノーブルグラントです。こちらでお世話になります」


私の名前を聞いて、メイドさんの眉頭ピクリと動いたのを私は見逃さなかった。


やはりみな、異母妹のシャルロットが嫁いで来ると思っていたみたいだ。


「わたしの名前はクレア、王女様付きの使用人です。ご用の際はなんなりとお申し付けください」


クレアも私に仕えることになって不服だろうに、顔に出さずにいる。プロの使用人だわ。


「なら、早速だけど、荷物を部屋まで運んでくれる!それから喉が乾いたらから部屋に行ったら冷たいジュースを出して!」


ジャネットが偉そうに指図している。


ジャネットはどの立場から物を言っているのかしら?


「あいつの口を糸で縫い付けたいのだ」


思わず、フェルの意見に同意してしまいそうになった。


ジャネットには結婚式の衣装の着付けをしてもらわなくてはいけない。


「ジャネットは明日か明後日には国に帰るから、我慢して」


フェルにだけ聞こえるように、ぼそっと囁いた。







クレアに通されたのは、宮殿の外れに立つ建物だった。


まだ正式に王太子妃になっていないから、結婚前は離宮に住めということだろうか?


私としてはそれでも別に構わない。


あとで離宮の庭がどんなふうになっているか見に行こう。


畑を作れるほど広いお庭だと理想的だ。


ヴォルフハート王国の離宮は、ノーブルグラント王国の離宮よりも、広くて片付いていた。


ジャネットがクレアさんの用意してくれたジュースを飲みながら、リビングで寛いでいる。


私は寝室に移動した。


寝室には天蓋付きのベッドと、落ち着きのある家具が備え付けられていた。


今日は色々あった。


結婚相手に会ったり、モンスターの襲撃に遭ったり、メイドの失言にハラハラしたり……。


部屋で休んでいると、ジャネットがやってきて「夕食です」と言ってパンを一つ投げつけた。


「文句ならこの国のメイドに言ってくださいね! わたしだってパン一つで我慢してるんですから! 食事のあとは入浴です! 結婚式に備えて準備してください!」


それだけ言って、ジャネットは部屋を出ていった。


「見てフェル! 白くてふわふわのパンよ。こんなの食べるの何年ぶりかしら?」


「今日はごちそうなのだ!」


私はフェルと半分個してパンを食べた。


美味しいパンが出るのなら、この国での暮らしも悪くないかもしれない。


あとは庭の使用許可をもらい、畑を作り、じゃがいもや果物を育てるだけだ。


ちょっとだけこの国での暮らしが楽しみになってきた。


「夕飯のあと、庭を見せてもらいましょう」


「うん、楽しみなのだ」


ご飯を食べて機嫌が良くなったのか、フェルはニコッと笑う。


私にはフェルがいてくれる。どこでだってやっていける。








ジャネットに見つからないように外に出ると、そこには雑草が生い茂り荒れ果てた庭が広がっていた。


「まぁ、素敵!」


思わず声に出してしまった。


奇麗にお花が植えられた庭園だったら、畑にするのをためらってしまったが、ここまで荒れ果てているのなら、遠慮なく畑に出来る。


「あそこをじゃがいも畑にして、あっちにりんごの木を植えて、こっちにはみかんと桃の木を植えるでしょう。それから……」


「楽しみなのだ」


私はフェルと一緒にわくわくした気持ちで、畑の構想を考えていた。


だから背後から、近づいてくる人に気が付かなった。


「誰ですか? こんな夜中に庭園にいるのは?」


振り返ると、メイドがひとり立っていた。


フェルを見られたかも? と思って振り返るが、彼は他の人に見られないように姿を消していた。


ホッと息をつき、相手に向き直る。 


この人には見覚えがある。確かこの国のメイドで、名前は……。


「クレアさん」


「王女様……ですか? こんな時間に何をなさっているのですか?それにその格好……」


クレアさんは訝しげな目でこちらを見てくる。


夜更けにゴテゴテしたドレスを着た女が庭に一人で立っていたのだ。それを目撃した彼女はさぞ驚いたことだろう。


「食後の散歩です」


「そうですか、明日は結婚式なので、早めに休まれてくださいね」


「はい。そうします」


「では、わたしはこれで」 


「あの……!」


私はクレアさんを引き止めていた。


「なんですか?」


「この庭園のことなんですが」


「ノーブルグラント王国の庭園と違い、荒れ果てているのがきになりますか?」


「いえ、そんなことは……」


「不作が続き離宮の庭の管理まで手が回らないのです。王太子殿下のご命令で庭師も、農業に携わっていますから」


「そうだったんですね」


それでこんなに庭が荒れ果てていたのね。


「この庭園に種を蒔いてもいいですか?」


「わたしの話を聞いていましたか? 今は呑気にガーデニングをしている余裕はこの国にはないのです。花に肥料を与えるなら、畑の肥料にして、少しでも生産性を……。こんなこと、王女様にお話しても仕方ないですね」


「私が蒔きたいのは、花の種では……」


「それと、王女様が『こんな安物食べられない』と言って残されたお食事はこの国では贅沢なものなんです」


「えっ?」


私はパン一個しか貰ってないけど、ジャネットが何かしたのかしら?


「お食事を残されるだけなら構いませんが、メイドに外に捨てさせるのは辞めて下さい」


ジャネットったら、そんなことしてたのね。


「それは、うちのメイドが申し訳ありませんでした」


「アリーは謝ることないのだ! 全部意地悪メイドが勝手にやったことなのだ!」


私の横でフェルがぷりぷりと怒っている。


「今後は気をつけて下さい。この国には無駄にする食糧なんて麦一つないんですから」


「はい」


「それと、庭園の使用許可はわたしには出せません。どうしてもというのなら、王太子殿下の許可を貰ってください」


「殿下の……?」


「では、わたしはこれで下がります。王女様も早くお休み下さい」


「はい」


クレアさんは踵を返し去っていった。


殿下には嫌われているし、どうやって許可を貰おう?


明日の結婚式で聞いてみようかしら?


「感じ悪いのだ! アリーは食べ物を粗末にしたりしないのだ! それにアリーは花を育てるなんて一言も言っていないのだ!」


フェルがクレアさんに向かってあっかんべーをしている。


「仕方ないわ。クレアさんは私がジャネットに命じて食事を捨てたと思い込んでいるんですもの。それに王女が庭でじゃがいもを育てたいなんて、普通の人なら考えもしないわ」


「全部ジャネットのせいなのだ! あいつの鼻毛をボーボーにしてリボン結びしてやるのだ! お嫁にいけなくなれば良いのだ!」


鼻毛をリボン結びにしたジャネットを想像してちょっとだけ笑ってしまった。


「止めて、そんなことをしてはだめよ」


「どうしてなのだ? あんなやつを庇う必要はないのだ。アリーは優しすぎるのだ」


「フェルの怒りはわかるわ。でもジャネットは結婚式が終われば国に帰るから……」


「その前に結婚式がめちゃくちゃにされてしまうのだ。アリーの好感度がますます下がってしまうのだ」


ジャネットのことだから、今日私に施したようなけばけばしいメイクに、ど派手なウェディングドレスを用意することでしょう。


「それで、いいのよ。結婚式で私の好感度が下がったと思わせて、ジャネットには国に帰ってもらわなくてはいけないわ」


「どういう意味なのだ?」


「私の推測だけど、ジャネットは誰かの指図を受けて私に嫌がらせしているはずよ」


おそらくジャネットの裏にいるのは、父か異母妹でしょうね。


「その人たちに私が隣国の人々に嫌われて、酷い目に会ってると思わせたいの。そうすれば、祖国からこれ以上余計な妨害は入らないと思うから」


「アリーは頭が良いのだ! だけどやっぱりジャネットには腹が立つのだ! あいつが毎朝、果物の皮で滑って転ぶ呪いをかけてやりたいのだ!」


フェルなら本当にやりそうで怖いわ。


フェルをなだめて部屋に帰った。


ジャネットがお風呂の用意をしていて、体を強く擦られ、髪を酷く引っ張られた。


明日までの我慢、我慢。


そして、結婚式当日を迎えた。



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