8 忍び寄る影
「なにかしら、あれ……?」
彼女が”それ”を目撃したのは偶然だった。
日課の散歩中、突如走り出した飼い犬のポチに導かれた先にそれはいたのだ。
既に家主を失った荒地に佇む、黒い影。
それはまるで最初からそうであったかのように周囲に溶け込みながら存在していた。一切の違和感が無くて、最初は人だと思ったくらいだ。親族の誰かが様子を見に来たのだろうと。
さりとて一度足を止めてそれを認識してしまえば、その異常性に徐々に脳が危険信号を発し始めた。
ありえない。そう、あんな立体感を持った影などありえないはずだ。
きゃんきゃんきゃん。
ポチの鋭い鳴き声が響くと同時、黒い影は動きを変えた。
地面を滑るように、異様な速さで近づいてくる影。
逃げなければっ。あれはきっとよくないものだ。
そう結論に達するものの、足が地面に張り付いて離れない。恐怖に硬直する体。そのまま黒い影は眼前に迫り――
「っ、やめ――」
「やたっ。次は体育の時間だなっ」
きらきらと瞳を輝かせ、志穂と一緒に近づいてくるひなた。
時刻は謎の少女と出会った日の最後の休み時間。授業の内容が理解できるせいか、あっという間に終わった気がするな。
「今日の種目は何かな?」
「定番のバレーだぞ。
6月の球技大会に向けて、みんなで練習しようって感じみたいだな」
「あー、懐かしい。そんな行事もあったなあ」
「? 向こうだとなかったの?」
「そ、そうそう。
正確には日本みたいに強制じゃなくて、自由参加だったんだ。それでわたしたちは二人でサボってたみたいな……」
とか聞きかじりの知識を博ながら、四人で女子更衣室へ。
って、そうじゃん。俺今から女子に交じって着替えることになるのか。さ、流石にそれは罪悪感がががが。
『何を期待してるかは知らないけど、お前なんかに見せるわけないのよ』
キャロのため息とともに塞がれる視界。
あ、こりゃあ、と事態を把握する前に、俺は無言で服を脱ぎ始めた。
「わ、わあアンちゃん、凄い早着替えだねっ。
……でもどうして急に? しかも何で目を瞑ってるの?」
「ま、まさかこれはつい忍者の時の癖が出ちゃったムーブかっ」
二人の困惑を置き去りにして、俺の体は更衣室を出る。
自由になった俺の視界に広がるのは何の変哲もない廊下のみ。キャロに監視されているし、今から戻ることなど到底できやしないだろう。
流石はキャロ。血も涙もない冷血漢は健在である。
まあでも今回に関してはありがたかったかもなあ。
そんな安堵したような悔しいような感情を胸に灯して、忠犬よろしく俺は三人が来るのをじっと待っていた。
「なんで私が奴隷なんかと……」
「仕方ないだろ。お互いひなたたち以外に友達がいないんだから。
それとも知らない奴とのペアの方がよかったか?」
「……」
さて、体育館に移動して準備運動を終えた俺たちは眉を寄せて向かい合っていた。
2-1組の女子の人数は16人。悲しきかな、ひなたが志穂を選んだ以上、残りの二人がペアを組むほかないのである。
重苦しい雰囲気のまま、ペア練習は始まる。
最初はオーバーハンドバスの応酬だ。片方がバレーボールを地面にたたきつけ、高く跳ねたそれをもう片方が腕を上げながら手首やらを使って跳ね返す。
ぼん、ぽーん、と放物線を描いて二人の間を行き来するボール。
どうやら俺もキャロも運動神経は良い方らしい。特につっかえることなく進んでいった。
さりとてその平穏は易々と崩れた。
きっかけを作ったのはいきなりボールを強く叩きつけてきたキャロ。予想以上に跳ね上がったそれに対応しきれずに落としてみれば、キャロがこちらを見て馬鹿にしたように口角を上げたのだ。
「っ」
俺だって最初は勘違いだと思ったさ。
まさか地球を征服しに来た宇宙人さまがそんな幼稚なことするわけないって。
ただキャロはその後も何度も同じ行為を繰り返してきたのだ。
それもさっきまでの安定感が嘘のように軌道も強さもバラバラで。俺が律儀に優しく返しているにもかかわらず、だ。
「てん、めえ」
偶然ならいざ知らず、悪意があるとすれば話は別。
体の奥で燃え上がる憤怒のままに、目的を変えていく。一度目の前にこやつに冷や水を浴びせないと気が済まなかった。
断続的に響く鈍い衝突音。やがて種目はレシーブ練習へ。
明らかに過剰に振りかぶったキャロから放たれたボールが、なかなかの速度で俺の足元に向かってくる。見た感じ、この体の運動能力なら問題なく返せるだろう。
ただそれだと面白くない、と俺はボールを勢いよく蹴り上げた。
高速で彼女の顔面へと向かっていったボール。それをキャロが両手で受けて止めると、殺意を灯した眼光で睨んできた。
「悪い。あまりに温かったから、つい」
「……足癖の悪い奴隷なのよ。
そんなに
「おいおい。ただの一般人相手にもズルしなきゃできないのか?
なんだ、地球を落としに来た征服官とやらも案外大したことないんだな」
「っ……上等、なのよ」
彼女の全身に白い光が迸り、その眼光が青く輝く。そのままキャロは左手でボールを軽く浮かすと、小さなジャンプと共に強烈に叩きつけてきた(サーブ)。
不格好に潰れたボールが、ぎゅるぎゅると空気を焼きながら俺の顔面へと突進してくる。
??? 急に別の漫画始まったっ!?
驚愕に染まるのつかの間、俺の思考通り、いや相当以上に機敏に俺の体が動き始める。まるでゴキブリのような気色悪いステップでボールの落下地点へと入り、そのまま両腕で受け止めて綺麗に打ち上げた。
な、なんかやばい動きしてない、俺もっ!?
「わ、わあ……。
私、もうあの二人にどんな顔すればいいか分からないよ」
「……やはりアンたちは忍者の末裔だったみたいだなっ」
にわかに騒がしくなるクラスメートたち。横目に志穂とひなたが何とも微妙な視線を向けているのが見えた。
さりとて今更引くわけにもいかない。
キャロの同じ思いなのか、最早隠しもしなくなったえげつない身体能力で宙を飛び、こっちに返そうとして――ボールがはじけた。
「「……」」
地面に降り立ち、沈痛な表情で視線を彷徨わせるキャロ。
やっちまったなあ……、と二人の間に気まずい沈黙が流れる。
「あ、あー……そういえば、一球だけ古くなっていたみたいだな。そ、そうだったそうだった。俺とした事が忘れていたよ。
それとお前たち、あくまでこれは練習なんだ。もうちょっとお互いに手加減するように、いいな?」
「「……はい」」
項垂れながら、体育の九条先生の言葉に頷く。
許すまじ、キャロ――いや、これは俺も悪いな、うん。
因みにこの後バレー部の人に熱烈な勧誘を受けました、まる。
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