第8話 沼地

 山野行は傾斜がきつくなってきた。そしてハタと、一行の足が止まった。目の前に深い渓谷がある。とても、歩いて渡れる形状ではない。道路には橋が架かっているが、その手前に広いスペースが在り、詰所みたいに使っている建物があった。遠目に笠原兵の出入りが見えた。

「どうしましょう」

「うう~ん」

進退きわまってしまった。

「手薄な時間を狙って、強行突破かな」

「待って下さい。あまりに危険です。俺に考えがあります」

「うん、どうする気だ」

「俺がおとりになります。その隙にあの橋を突破して下さい」

塗手が険しい顔をした。囮の生存は、まず絶望的だろう。

「ワシが囮となろう」

「隊長、いけません。隊長には女御国の姫を送り届ける重大な使命があります。俺がやります」

「しかし・・・・」

「奴らの油断するタイミングをはかって、やりましょう」 

お昼時、緊張のほぐれる時間を狙って決行となった。

「沼地、全力で逃げろよ」

「はい、まかせて下さい」

「わが羅漢国で、また会おう」

「はい」

「沼地さん、頑張ってね」

「はい。姫さまも、お気を付けて」


 昼食時、沼地は詰所の前にぶらりと立った。笠原兵はのんびりと食事中だ。そこへ異様な風体の男が立ち現れたのだ。笠原兵は沼地の意図が分からなかった。武器を持って無かったので、敵とも認識してなかった。この辺境の地での任務は、弛緩していたのだ。

と、突然、沼地が立てかけてあった槍をとり、食事中の笠原兵を突き刺した。

現場は大混乱となった。怒号が飛び交い、飯椀が飛び、汁椀が飛び、机が倒れ、血しぶきが噴き上がり、騒然と物が部屋中に散乱した。

沼地は逃げ惑う笠原兵を次々と突き伏せ、頃合いをみて馬を奪い逃走した。

難を逃れた3名の笠原兵は「はっ!」と我にかえり、馬に飛び乗った。


 それを見届けた3人が、詰所に駆け付けた。

「馬を」

塗手は、負傷し呻く笠原兵を突き殺すと、素早く馬に乗った。


 3人は、馬を全力で疾駆させた。時おりすれ違う人は、驚いて避ける。いずれは、笠原兵の知るところとなろう。

3人は、馬が疲労困憊するまで駆け通した。出来るだけ遠くに。そして、馬を捨て山に入った。

 山野行が続いた。

詰所襲撃の翌々日、遠くから、例の団扇太鼓がドンドコドンドコと聞こえてきた。

南妙法蓮華経なんみょうほうれんげきょう』とのお題目だいもくも、聞こえてきた。

目を凝らすと、先頭の騎乗の兵が槍先に何かを突き刺し捧げている。

「あっ、沼地!」

「えっ!」

「そんな・・・・」

確かに、槍先の丸い物は沼地の首だった。

「何ということを、あの人たち本当に宗教者なの」

「野蛮人め」

「くっ!」塗手は俯き、ブルブル震える右手を必死で左手で押さえていた。

察するに余りある。破魔娘は塗手の手に、そっとわが手を重ねた。その手にぽたぽたと涙がこぼれ落ちた。


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