小太郎が東京に行き、万智子がすっかり行き遅れと言われるような年齢になったころ、突然清二が病に倒れた。


 心臓が弱っていたらしかった。一番そばにいたのに、万智子は何も気づかなかった。


 意識の戻らない清二を必死に介護しながら、万智子は怯えていた。

 もしもこのまま父親がこの世を去ったのなら、自分はどうなるのか。―――この想いはどうするのか。


 祖父である清二の父はすでに亡くなっており、むろん病弱だった彼の兄も万智子が誕生する前にこの世を去っている。

 万智子自身がどうにかするしかなかった。


 清二の代わりに家の仕事を済ましながら、決して介護をおろそかにはしなかった。

 彼女はまだ信じていた、父がまた自分に笑いかけてくれるだろうと。


 身を削るように介護する万智子を見て、人々は寄ってたかって同情した。かつて家をでたお市のせいで火の車になった家計のために奮闘する清二に向けたのと同じように。


 あるひとは言った。

 薬を買うために走る万智子を見て、眉をひそめて囁いた。

「あの子も、可哀想よねぇ。血もつながらないお父さんを…」

「えっ、そうなの。あの親子、よく似ているじゃない」

「冗談おっしゃい。言っちゃ悪いけど、あのご当主からあれほど美しい娘が生まれるはずがないでしょう。……あたしね、昔あそこの屋敷で働いてたんだけど、ご当主と例の女、すごく仲が悪くて、跡継ぎなんてとても望めなかったわよ。女が帰って来た時に、すでにお腹に子供がいたのよ」

「ほんと?だとしたら、ご当主も可哀想ねぇ」

 ご婦人は薬も買わずにおしゃべりを続けた。

 薬屋の戸の向こう、おつりをもらい忘れた万智子が立っているとも知らずに。


 清二の額の汗を拭いながら、万智子はつぶやいた。

「お父様…万智子はお父様の子じゃないんですか?」

父は固く目をつむったままだった。

 万智子の目じりからはたりと涙が落ちる。長い睫毛があふれるしずくをはらった。

 清二のベッドにそっと突っ伏せる。何度も父を呼んだ。

「わたくしはどうすればいいの…お父様、教えてくださいな。お父様」

「お父様」と口にすることさえ、罪のように思えた。

 同時に、「お父様」でさえなかったら、とも思った。


 ほとんど本能的に抑えようとしていた感情が、ぼたぼたと音を立てて流れ出していた。


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