お市と入れ替わるようにしてこの世に誕生した女の子は、「万智子まちこ」と名付けられた。

 清二は愛する人の忘れ形見を、たいそう、たいそう可愛がった。


 清二のあふれんばかりの愛と優しさで包まれて育った万智子は、彼によく似た、人の好い娘になった。

 またお市の娘であるゆえに生まれ持った美しい容貌が、多くの人を惹き付けてやまなかった。


 しかし、当の万智子の瞳には、どんな色男も映らなかった。相手が金持ちだろうと、都会育ちだろうと、頭脳明晰であろうと、みな同じ他人としか捉えなかった。

 美しく優しい娘には、同じく優しい父親しか見えていなかった。


 万智子が13になったばかりのころである。

 本を借りに父の書斎に訪れた万智子は、電気もつけずに部屋の中で立ち尽くす父の背中を見た。

「…お父様?」

すると清二の大きな背中はぶるりと震え、ゆっくりと振り返った。彼はその細く厚ぼったい瞼のしたの黒い瞳で娘を捉えると、優しく笑って「どうした」と聞いた。同時に、手に持っていたものをかたりと机に置く。

「…何を、見ていらしたの」

万智子が近づくと、清二は流れるように視線を手元に移した。

 お市の写真であった。

「お母様…」

木枠に閉じ込められた、古い写真。すこし不貞腐れたような表情だが、それでもなお美しかった女がいた。

 記憶にいない母を、父は「自由で美しい人」と言い、周りの陰口は「我儘で傲慢な人」だと言った。たぶん後者が正しい母の姿なのだろう。

「…お父様は、お母様をまだ愛していらっしゃるの?」

万智子の言葉に清二は迷うことなく笑った。

「もちろん」

万智子の胸が、きゅぅっと痛むような気がして、彼女はそっと胸を押さえた。父がどうしてそれほどに母を愛すのかわからなかった。―――もう、母はいないのに。

「…万智子よりも?」

「え?」

「わたくしよりもですか?…お父様」

万智子は潤んだ瞳で父を見た。父の薄い眼は、どこを見ているのかさえ曖昧だった。

「おまえのことも、お市さんと同じように愛しているよ」

清二はそっと万智子の髪をなでた。黒くつやつやとした髪はうねりを持つことなく腰まで流れている。

「おまえは、美しいなぁ」

彼の声はいつになく優しかった。そして切なかった。

「万智子。おまえはお市さんの生まれ変わりだよ。顔も、背丈も、声だって彼女にそっくりだ」

どうしてか涙が出そうだった。

「愛しているよ、いつまでも」

万智子には、清二が見ているのかわからなかった。


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