第6話

 エルバ空域


 かつて『暗黒の空域』と恐れられた西空域を開拓し、今も続く空賊たちの黄金時代を創り上げた伝説の空賊エルバ・バニングを称え名付けられたこの空域は、新たな交易品や領土を求めて軍艦や商船、そして空賊たちが日々衝突を繰り広げていた。


 エルバ空域内のなかでも、『最も裕福で、最悪の島』と称される空賊たちの島、ポート・スカラでは3人の空賊が酒場『煤箒』で聞き込みをしていた。




「それで、ウィリアムはどうして聞き込みを私たちに投げたの?」

 3人は階下の喧騒とは反対の、薄暗がりが広がる丸テーブルに腰を下ろしていた。赤毛の女アニーは酒の注がれたジョッキの縁を撫でながら、丸テーブルの反対側に座る男、トッドに質問した。

「船長はここの店主と仲が悪い。もし船長がこの酒場に入ろうものなら……」

「肉料理になる?」

 同じく調査を任された空賊、ルディエールがステーキを突いたナイフを運びながら口を出した。トッドはその通りとでも言うように彼を指さした。

「何したの?」

「タダ飯食って逃げやがったんだよ。もう何回目だかわかりゃしねえ。そうだろう、トッド」

 突然テーブルに現れた店主は追加のジョッキをテーブルの上に叩きつけた。トッドは申し訳なさそうに苦笑するばかりだ。

「いくらカミさんを救ってくれたといっても、こうも付け上がられるとなあ? あのお調子者は今どこに? 結局お前が全部自腹切って払うことになったこと伝えたのか?」

「伝えたが、空返事で終わってるよ。船長は今別の店で情報を集めてる。──それより、今日の役者は揃ったようだな」

 トッドは思い出したくない記憶を振り払うようにジョッキを手に声を上げた。

「新入りのこの先の旅の無事と、店主の末永い幸せを願って。乾杯!」

「私は新入りじゃないけど」

 トッドの言葉に注釈を加えたアニーであったが、3人ともジョッキを上に掲げ、豪快にビールを喉に運んだ。ジョッキを空にした3人は店主以上の力でジョッキをテーブルに叩きつけ、疲れを抜くために思い思いが呼気を吐いた。トッドに至っては、空のジョッキを片手に次のジョッキにも手を付け始める始末であった。

「あー、これでスッキリした。……さて、本来の目的に移ろう」

 トッドは頬を赤く染めながら言った。

「どんな情報がお望みだい?」

「私たちが聞きたい情報は2つあって……」

 船長らしく指示することが好きなアニーは、アルコールの回った勢いでその場を取り仕切った。

「1つがテイルフォーチュン号の行方について」

 だが、同じくアルコールの回ったルディエールが台詞を奪っていった。アニーはわざとらしく肩を落とした。

 店主はそんな2人のやり取りを気にせずに、納得した表情で話を進めた。

「ああ、やっぱりお前たちテイルフォーチュン号を取られたんだな」

「知っているのか?」

 トッドは店主に食い気味で問いただした。

「知っているも何も、空軍の奴らここぞとばかりに新聞で宣伝してたぜ。そこにお前たちの船の情報も掲載されてたはず。……ほら」

 店主がポケットからしわだらけの新聞の切り抜きを取り出し、トッドの掌の上に乗せた。トッドは呆れたように見出しを読みだした。

「『ブラック・ウェル、ついに沈む! 捕われた空賊の判決は!?』だそうだ」

「それ以外は?」

 アニーがトッドに記事の続きを催促した。トッドは見出しの次に大きく書かれた文章を読み進めた。

「えっとなになに………、『蛮族の船、テイルフォーチュン号は西諸国共同貿易商会によって、……解体予定!』」

 トッドは読み進めるにつれて語気を強めていった。彼の言葉を聞いた2人はジョッキを再び机に叩きつける。

「どうするの!?」

「落ち着け! 記事にはタザニア支部で解体が行われるって書いてある。船の場所はわかったんだ」

 慌てていた2人は彼の言葉を耳にすると落ち着きを取り戻していった。トッドはさらに記事を読み進めていった。

「解体まで10日しかねえ。船長に伝えねえと」

 トッドは情報をウィリアムに今すぐにでも渡しに行きそうなほど膝を揺らしていた。2人がトッドに記事の詳細を逐一問いただしたことで、トッドも次第に心を落ち着かせていった。

「情報が役に立ったみたいでよかったよ」

 店主は彼らの慌てふためく様子を見て事の重大さを理解したのか、満足そうに腕を組んでいた。

「新聞渡しただけじゃない」

 そんな店主に出来心でアニーは茶々を入れた。

「新聞も立派な情報だ。そんな初歩的な情報すら見落とすお前たちが俺に物を言える立場か。……それより、他に欲しいものは?」

 水を差された店主は不機嫌そうにアニーに反発した。

「はいはいそうね。それじゃあ、2つ目の情報は……」

「レイチェル・ベルとその船団の現在地についてだ」

「ちょっと! 私の台詞取らないでよ!」

 満を持した台詞を、今度はトッドが遮った。短い船長時代から続く数少ない楽しみの1つであった質問の主導権が、今は自分にないことをアニーは痛感した。

「レイチェル? お前たちが牢から出てこれたのは、レイチェルをストラベル帝国に引き渡すことを約束したからか?」

「いや、違う。用があるのはこのお嬢様だけだ」

 トッドはアニーを指さした。

「ええ。私、実は彼女の船の乗組員なの。訳あって船長とは別の仕事をこなしていたんだけど、それが終わったから戻りたくって」

「嬢ちゃん、あんた船では『一隻レイチェルから任されたけど船長らしいことができないから抜け出した』って言ってなかったか? 部下もあんたの船長ごっこに付き合っていたそうだが……」

「ちょっと静かにして!」

 トッドの告発を強引に止めたアニーは苦笑するルディエールを睨めつけ、何事もなかったかのように店主との話を進めた。

「まあ事情はどうあれ、どうやら嬢ちゃんが乗組員だって話は嘘じゃないらしいな」

「なんで納得しているわけ? 話が速いのは助かるけど」

 アニーは頬杖を突いて不満そうな表情を浮かべた。店主はどうどう、と口にしながら彼女の機嫌を伺っている。

「それで、船長は今どこなの?」

「話によると、レイチェルはボンルードでの目撃が最後だ」

「ボンルードはタザニアのさらに東、国境を跨いでセイグル帝国領に入る必要がある。アニー、船長のことはしばらく忘れてもらわないと」

 店主とトッドの会話を分析したルディエールはアニーに今後の船の方針の予測を大まかに立て伝えた。アニーは相変わらず頬杖を突いていたが、渋々了解した。

「そうしけた面するなよ、ほら」

 トッドは知らない間に注文していたビールを2人に振舞った。

「それじゃあ、改めて。……俺たちの船と、アニーの幸運を祈って」

 トッドはジョッキを上げ、2度目の祝福をアニーと船に捧げた。ルディエールも彼に合わせて乾杯をした。

「2人ともありがとう。私と、あなたたちの船に乾杯」

 アニーはふと柄でもないことをしてしまったことを気恥ずかしく思った。長い間酒の場で表に立ったことがなかったので、小規模でありながらも同じ船乗りに祝福された心嬉しさに毒されたとこの気恥ずかしさをかき消して、緩んだ口元を引き締めた。

「今はあんたの船でもあるんだ。他人行儀になる必要はない」

 だがルディエールの言葉にアニーは驚きのあまり思案していたことを放り投げ、思わずルディエールの顔を見つめた。

「少なくとも僕たちはそう思ってる」

「新入りめ。いい恰好をしようとするな」

 トッドは笑みを浮かべながらルディエールの背中を叩いた。

「けど、こいつの言う通りだ。俺たちは一度船に乗せた奴をないがしろにすることはない。まあ、あと3か月で沈む船の乗組員にはなりたくないってことなら止めはしないが」

「あの船長も?」

「ああ。じゃなきゃ、情報収集なんて船長がするはずない。船長はああ見えて臆病なんだ。嬢ちゃんに伝えたら悪い方向に転がると思っているのさ。そんなはずないのにな」

 数秒、アニーは物を言うことを忘れたが、やがて口角を上げ、酒が回った時以上に大声で言った。

「──トッドの言う通り。私は泥船に乗る気はないわ。……だから、私の部下も泥船が沈むことを防いであげる。私と、乾杯!」

 後に続いて2人も薄暗がりが今にも晴れそうな勢いで声を上げ、ジョッキを空けていった。





 夕焼けより顔を赤く染めた新入り2人は、しっかりと意識のあるトッドを掴んで大通りを歩いていた。

「トッドはなんでそんなに酒強いんだ」

 空賊にしては作法のあるルディエールも、酔いが回り荒い言葉遣いになっていた。

「お前たちより20年長く生きてるんだ。これぐらいどうってことない」

「ずっと気になってたんだけど、トッドっていつから船に乗ってるの?」

 通行人に肩をぶつけたアニーが、ふらふらした足取りの中トッドに聞いた。

「14だな。俺は元空軍だ。航空術もそこで習った。いわゆる、妖精の風を見る力をな」

「なんで空軍なんかに?」

 離したことで酔いが醒め始めたアニーは鮮明な発音で聞き返した。

「俺は地主の家の出なんだ。ワイン畑を保有していたんで、俺はよくワインを倉庫から持ち出してこっそり飲んでいた。生粋の酒好きだったのさ。両親にとって資産であるワインが減ってることなんざ最初から気づいていただろうが、ある程度は黙認してくれてた。だが、とうとう堪忍袋の緒が切れた親父が俺をぶっ叩いて軍に送ったんだ。品性と規律を学んでこいってな。あの時の親父の顔なんてひどいものだった」

 トッドは懐かしい過去を思い浮かべるように夕焼けを眺めた。  

「その顔ってあんな感じの?」

「ああ、そっくりだな。──懐かしいな。親父も外に出かけるときはあんなカツラを被って……」

 ルディエールが指さした方向は大通りから街の中心へと続く道であり、露店が立ち並んでいた。世界最悪の街であると同時に世界でも有数の取引場でもあるポート・スカラの露店なだけあって様々な日用品や特産物、中には呪術に関するものまで店に出され、連日変わる商品を手に入れようと多くの人で賑わっていた。

 その人込みを押しのけて走る男の姿が確認できた。絢爛な深紅のローブを身にまとい、パーマのかかったブロンドのカツラを被った男は彼の服装に似合わない慌てた表情で道を駆け抜けていたので、ルディエールが『ひどい顔』のモデルに彼を採用したのも、それにトッドが便乗したのも頷けるとアニーは1人で納得していた。

 しかし男が近づいて来るにつれ、トッドは何か言いたそうに男を指さしていた。

「ありゃ船長だ!」

 トッドは長年の悩みが解決したかのような声を上げた。近づくにつれ彼のカツラは風を受けたためにずれ、そこからぼさぼさの髪が現れているのが見て取れた。ウィリアムが近づいてわかったことはそれだけでなく、彼の後方に銃を持ったストラベル帝国軍の兵士たちが全速力で彼を追っていることも確認できたため、3人は愕然とした。

「船長!」

 ルディエールが両手を振ってウィリアムの注意を引いた。ウィリアムは合図に気付いたようで、全速力で三人の方へ走ってきた。

「お前たち、走れ! 港に着いたらすぐに船を出すぞ!」

 3人はウィリアムと並走し、後ろから迫りくる兵士たちを気にかけながらウィリアムを詰問した。

「何やってるんですか、船長!」

「ディナーを少々」

「また食い逃げですか!」

「違う。気のいい友人が払ってくれるって話だったんだが……」

「その友人って、その服の持ち主のこと?」

 トッドとウィリアムの言い争いにアニーが割って入った。ウィリアムは次の言葉を探しているようで、肯定でも否定でもないような言葉を並べていった。

「船長! ──ああ、女神よ。お許しを」

「随分と都合のいい女神だな」

「船長が盗まなければよかったんでしょう!」

「──いいか、よく見ろ。この贅沢で豪勢なローブを。いったいどれだけの価値があると思う? これを目にして盗まない空賊が俺の船にいるなら、今すぐにでも下りてもらう」

「でもリスクは考えないと」

 2人の言い争いに、今度はルディエールが加入した。ウィリアムは苦虫を嚙み潰したような表情をした。

「それより2人とも、前を見て!」

 前方には赤い空を背に並ぶ無数の船が停泊していた。4人は口論を忘れ夢中で船に向かって走っていった。


「船を出せ! 今すぐだ!」

 最初に甲板にたどり着いたウィリアムは、乗組員にすぐさま指示を出した。初めは当然困惑していたが、乗組員にとって彼が無茶を言うことは日常茶飯事であるため、僅かに遅れた3人が甲板に乗り込んだ時には半数以上の乗組員が行動を起こしていた。

 射線に一般人がいない港では兵士たちは今までのように追わず、代わりに容赦なく銃を発砲し始めた。銃弾は船の柵を削ることはあっても、船員に命中することはなかった。ウィリアムの指示でビットに巻かれたロープを解き引き上げ、停泊中に付け替えた空賊旗が掲げられた。

 出航の準備が済むと、帆を広げた船は風を受けて加速しやがて港を離れ始めた。兵士たちは諦めて銃を肩にかけ、激怒するローブの持ち主の元へと重い足取りを運んでいく。

「トッド。ローブを預かっておいてくれ。汚すなよ。これで一儲けできそうだからな」

 トッドは渋々ローブを受け取り、それを2等航海士であるオーチス兄弟に投げ渡した。兄弟は意気揚々とローブを抱えて後方甲板を下り、船長室へと駆け込んでいった。

「それで船長。何か収穫はおありで?」

「アニー君。船長呼びとは調子が悪いのか? 酒場であの店主に生の牛肉でも振舞われたとか?」

「いいでしょ、そんなことは。それより船とかレイチェル船長に関する情報を手に入れてないの?」

 すまし顔のウィリアムを情報集めに携わった3人が囲み、彼の返事を待っていた。

 ウィリアムは頭に巻き付くカツラを取り外して言った。

「答えは……、ない」

「え?」

「言っただろう、ディナーを楽しんだと。デザートは鉛玉になったが……」

 アニーはトッドとルディエールの顔を交互に睨みつけた。2人は酒場での発言を反省するように、静かにアニーに頭を下げ、その後アニーから目をそらした。

「本当にあなた、あのブラック・ウェルなの? とてもそうは思えないけど」

「人は見かけによらないものだよ、ミス・アニー」

 アニーは泥船に乗ってしまったことを心の底から後悔し、ひとつおおきなため息を吐いた。

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エルバの空賊 ファットボーイ @beruberuu

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