明日世界が終わるなら
朱珠
第1話
明日、世界が終わるなら俺は何をするんだろうか。
それについては上手く答えがまとまっているわけじゃない。
最後まで何もできなかったからね。
明日終わるのが世界ではなく、俺個人であれば、まあそれはそれで一つの世界の終焉ではあるのだろう。
おっと脱線してしまったが、明日俺が死ぬというなら大切な君に向けた何かを遺したい。そう常々思っていた。
しかし何かとはなんだと聞かれれば、また熟考する為の時間を割いてもらう必要がある。なんだ、こっちも上手く答えがまとまっているわけじゃなさそうだ。
だからこうして長々と手紙を書いてみることにした。俺にはもうあまり時間がないからね。
今から話すのは本当にあったことだ。まあ好きなように捉えてくれればいい。君の為の身勝手な物語だからね。
だって、たとえそれが事実だったとしても、君が知る頃にはそんな世界は、そんな男は、この世のどこにもありはしないんだから。
俺は俺の寿命が尽きる日付けと、その時間を知っている。
人は生まれた以上は死ななければならない。これは自然の摂理だと思う。
でも大抵の人は自分がいつ死ぬのかなんて知らない。例外があるとすれば君の大病による余命宣告とかそんな感じの。
だけど普通は死が一秒たりとも違わずに予定通りなんてことはない。
いや、考え方によっては知らないだけではじめから定まっているものなのかもしれないが。
でもそんなこと言い始めたら、健康思考はバカバカしい。
一つ一つの思考、行動すべてが元から設定されているという考え方もできるが、少なくとも俺はそんな考え方はして欲しくない。
人は自由であるべきだ。好きなときに好きなことをして、日々思い悩んで、成長していく。苦しんだ分だけ幸せを。人生は失敗と成功の二重奏であるべきだ。
それに誰かが七十億人の人間の行動パターンを数十年分設定するなんて、それだけの愛があれば簡単に人の生を終わらせたりするものか。
じゃあなんで俺は自分が死ぬ日の詳細を知っているのかって疑問に思うよな。
まあ、自分のことだから自分が一番よくわかってるなんて当然だろ。
なんて無茶な言い訳をするつもりはないよ。
いきなりこんな話しても信じられないと思うけど、悪魔みたいなやつと契約しちゃったんだ。そりゃあもう顔つきからして悪そうな奴なんだよ。きっとあれは悪魔だ。でも結構優しいのかな。ただ俺に選ばせてくれただけなんだから。
自分の命よりも大切なものを俺は知らない。
でも悪魔は確かに言った。自分の命よりも大切な人が必ず俺の前に現れると確かに言ったのだ。
だけどその人は病ではやくに死んでしまう。俺の命を代償に彼女を助けることもできるがどうするかと悪魔は訊ねた。
俺はその人の代わりに消えることを決めた。自分の命よりも大切なものを俺はまだ知らない。
だから信じてみたくなった。それにもし本当にそんな人がいるのなら、死んで欲しくないと思っただけだ。
後付けで悪魔はこう言った。俺が死んだらこの世界に存在しなかったことになるんだと。なんとも悪魔らしいやり口だ。
「まいどあり」
悪魔は静かに笑って俺の前に現れなくなった。
その瞬間から俺のタイムリミットがわかるようになった。
俺に残された時間は長いようで短かった。五年後の十七時五十二分、なんとも言えない時間に俺は死ぬらしい。
何も起きぬまま二年が経った。俺は焦っていた。
だって未だに俺の命よりも大切な人に出会えていなかったからだ。
このまま死ぬだけだとしたらなんとも勿体ないことをしたなと思った。
だって今の俺は自分の命がこの世で最も大切なのだ。
死にたくないに決まっているだろ。
俺は自らその人を探すことにした。待っているだけでは始まらないと思ったからだ。病ではやくに亡くなってしまうとあの悪魔は言っていた。
それが本当なら大きな病院に入院しているのではないかと思った。
無関係の俺が病室に入れるはずもなく、手持ち無沙汰になった俺は病院の近くのベンチで頭を抱えてこの先の未来を想像した。
あと三年で何ができるだろうか、何かを極めるほどの時間もなく、死ぬまでにしたいことリストを作る程の気力も胆力も残ってはいなかった。
ふと顔をあげると車椅子で移動する少女が目に飛び込んできた。
視線が固定されたようにその子の一挙一動まで見逃したくないと思った。
弱々しく足もとに手を伸ばしている様子が危なっかしくて、気付くと手が先に動いていた。だってあまりにも、彼女のすべてが華やかで、魅力的に見えてしまったんだから。
「ありがとうございます」
彼女は丁寧に頭を下げて礼をして、拾った御守りの砂を落としていた。
無病息災と書かれた御守りは、彼女の様子を見るとかえって痛々しくうつった。
「一人でここまで?」
「はい。近くで桜を見たくて」
「良かったら車椅子押すよ」
「本当ですか! それは助かります!」
目を輝かせた彼女の笑みが眩しくて、勝手に彼女の気持ちを想像して可哀想だと思った自分が恥ずかしくて仕方なかった。
それからも何度か病院の近くで待ち合わせをした。
一緒に近くを歩きながら話をするくらいしかできなかったけれど、少しずつ彼女のことを知っていくのが嬉しかった。
きっと彼女のことが本当の意味で好きになっていったんだと思う。
それと同時に彼女と別れるときのことを考えると、その都度苦しくなった。
だって着々と俺の中のリミットは進んでいくのだ。
どうして俺は苦しいんだろう。きっと失うのが怖いんだ。大切な彼女との蓄積された日々を、生きてきた意味を失うことが怖いんだ。大切な人との別れが辛くて恐ろしいのだ。
ときは流れて俺の余命は一週間を切った。俺は焦っていた。だって彼女は間違いなく、俺の命よりも大切な人だ。
だって俺は彼女の為以外に死にたくないんだから。それなのに彼女の病状は悪化していく。
彼女はもう、一緒に外に出ることも叶わず、病院から外を眺めている。
それなのに彼女は終始笑顔だ。今尚続くはずの苦痛に顔をしかめることもないのだ。襲い来る絶望に屈してはいないのだ。
俺は過去、確かに絶望の中に光を見た。この子がずっと生きていけるのなら、この命を賭しても構わないと。
俺は考慮しなかった。彼女が悪魔のいう、俺の命よりも大切な人だとは限らないという可能性に。俺は考慮しなかった。悪魔が嘘をつかないという保証はどこにもないということを。
「私が死んだら……私のことちゃんと忘れてくださいね」
余命はあと二日に差し迫った日、彼女がそんな言葉を口にした。反論しようにも彼女の辛そうな顔を見るとそんな気にはなれなかった。
「うん。君は俺が死んだら俺の事忘れたい?」
「忘れたくないです。ずっと覚えていたいです……っ」
「ありがとう。その言葉だけで十分だよ」
俺はきっとタイムリミットが来たら本当に死ぬ。彼女が生きていてくれる保証はない。
でもこれからも彼女は生き続けると信じるしかないじゃないか。じゃないと俺が報われない。
俺が死んだら俺はこの世界から本当に居なくなってしまうのだろう。
俺を覚えていたいと言ってくれた彼女の願いも叶わない。
了承はしたけど、俺だって彼女のことをずっと覚えていたい。死にたくない。ずっと一緒にいたい。
彼女が退院して、元気になった足でもう一度二人で桜を見に行くんだ。
でもそれは叶わない。ちゃんと分かってる。
だから残された時間で俺は彼女に手紙を遺そうと思う。
俺が消えても、君が俺のことを誰だか分からなくなっても、誰かがちゃんと君の隣にいた証を遺したい。君の気持ちに応えてあげたいから。
残された時間で俺は乱暴にペンを走らせた。思い出す度に感情が涙腺を刺激する。涙で前が見えなかった。それでも時間が惜しかった。
タイムリミットまであと一時間を切っていた。ようやく書き終えた手紙を持って俺は走った。
これを届けられなかったら今までの努力が無駄になる。
走った。走った。走った。自転車と衝突した。擦りむいて血が出たけどそんなことに気を使う余裕はなかった。
急いで病室へと向かった。十七時五十分、あと二分だった。彼女はベッドで眠っていた。いつもの眩しい笑みだった。
最後に見る顔がこの笑みでよかった。だってこの前の辛そうな顔が忘れられなかったから。
枕元に手紙を置いて、手を握る。
お別れの言葉はシンプルでいい。だって手紙に嫌という程書きなぐった。
それに俺と話した記憶は彼女の中には残らない。
あと五秒か。最後に一言だけ言わせて欲しい。
「さようなら」
目が覚めると、私はなぜか病院のベッドにいた。
枕元に何か置いてあった。
「手紙?」
宛名に私の名前はない。送り主の名前もない。だけど乱雑に書き殴られたその文章の宛先が私であることを疑わない。
夢中で読み進めた。取り憑かれたように何頁もある手紙を噛み締めるように。
だってこの文章が到底作り話には思えないのだ。
それなのに手紙をくれた彼の名前を私はどうしても思い出せない。
なぜだろう、誰だか知らないはずなのに。ずっと覚えていたい。彼を忘れたくない。だってこれは間違いなく私の願いなんだ。
「あなたのおかげで、私まだ生きてます……!」
きっと私にとってかけがえのない人。
私の気持ちに応えてくれて、私に寄り添ってくれて、私のそばに居てくれて、私に命をくれて、私を愛してくれて、ありがとう。
そう、頬をつたう涙が、張り裂けんばかりのこの胸が叫ぶんだ。
明日世界が終わるなら 朱珠 @syushu
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