定義についての資料

※作者コメント※

いそぎ、草稿を出します。

誤字脱字といった間違いや、

疑問点がありましたらコメントでどうぞ

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 定義と再定義について語ってみましょう。


 定義とは、ある言葉や概念の意味や範囲を明確に示すことです。


 例えば、「犬」という言葉の定義は、食肉目イヌ科イヌ属に分類される哺乳類の一種である。となります。


 そして、定義をもう一度行うこと、再定義とは、すでに定義されている言葉や概念の意味や範囲を変更することです。例えば、「保守的」という言葉は、時代や文化によってその意味が変わることがあります。その場合、新しい文脈に合わせて「保守的」という言葉の再定義が必要になります。


 定義と再定義は、言語や思考の発展に重要な役割を果たします。新しい事実や知識が発見されたり、社会や価値観が変化したりすると、既存の言葉や概念では表現できないことが生じます。そのときに、定義や再定義を行うことで、お互いに何について話しているのか、その同意が取れるためにより正確かつ効果的にコミュニケーションを行うことができるのです。


 そして、定義するとは、ある言葉や概念について、その特徴や条件を明確に述べることです。定義することで、その言葉や概念が何を指すのかを理解しやすくなります。


 より正しい定義を求めるという行為は、既存の定義が不十分だったり、曖昧だったり、矛盾していたりする場合に行われます。より正しい定義を求めることで、その言葉や概念の本質や範囲を明らかにしようとする試みです。


 より正しい定義を求めるという行為の例としては、以下のようなものがあります。


 まず数学では、新しい用語や概念を導入するときに、それらの意味や性質を正確に定義します。例えば、「素数」という言葉の定義は、「1と自分自身以外に約数を持たない自然数」となります。


 このような定義は、数学的な議論や証明において必要不可欠なものです。


 つぎに心理学では、人間の行動や感情を分析するときに、それらを観察可能で測定可能なものとして定義します。例えば、「攻撃性」という言葉の定義は、「人が自分の体や物を使って、他人に物理的な接触をすることで、音が出たり、皮膚に跡が残ったりすること」となります。


 このような定義は、行動の原因や効果を科学的に調べるために重要です。


(ちなみにですが、エアガンの1ジュール制限の経緯を調べてみると興味深い推移を辿っています。この制限では、定義が非常に大きな役割を果たしました)



 定義とは何か?

 それについては何かわかった気がします。

 では、定義に対して議論するにはどうしたら良いのでしょう。



★定義に対して議論する方法★


 定義に対して議論をする方法については、様々な考えとアプローチがありますが、ここでは一般的な考えを紹介します。



 ●議論する定義が、何を指すのかを明確にする。


 定義は、言葉や概念の意味や範囲を示すものですが、その目的や基準は異なる場合があります。例えば、「正義」という言葉の定義は、法的なものであったり、倫理的なものであったり、感情的なものであったりします。つまり議論する前に、「どのような観点から定義を考えるか」を決める必要があります。これは、その正義が法律的な正義なのか、宗教的な正義なのか、道徳的な正義なのか、ということです。



 ●定義に対して、自分の主張と根拠を提示する。


 次に、議論する定義に対して、自分の主張と根拠を提示します。主張とは、自分が定義についてどう考えるを言語にして表明することです。根拠とは、表明した主張を支える証拠や理由を示すことです。


 例えば、「正義とは、人間の尊厳を守る行為である」という定義を主張した事に対して、「人間の尊厳とは普遍的な価値であり、それを侵害する行為は正義に反する」という根拠を提供することができます。



 ●他者の主張と根拠に対して、反論や質問を行う。


 定義をより良いものにするには、他者の主張と根拠に対して、反論や質問を行う必要があります。反論とは、他者の主張や根拠に対して異議や疑問を提起することです。質問とは、他者の主張や根拠に対して詳細や理解を求めることです。


 例えば、「正義とは、人間の尊厳を守る行為である」という主張に対して、「人間の尊厳とは何か?」「人間の尊厳を守るためにはどうすればいいか?」という質問や、「人間の尊厳は普遍的な価値ではなく、文化や歴史によって変わるものである」という反論を行うことができます。


 しかし、定義に対して疑問を呈することは、無限遡行(無限後退)という現象を引き起こすことに注意が必要です。


 無限遡行とは、ものごとの説明や正当化を行う際に、終わりが見えずに同じような説明や正当化が連鎖して無限に続くことを指します。例えば「神の宇宙論的証明」や「ホムンクルスの誤謬」などが無限遡行に陥る議論として有名です。


 無限遡行を避ける方法としては、説明なき原理や独断を終点とする方法が平易かつ妥当です。これは基礎づけ主義と親和性が高く、最初の原理や自明な前提を認めることで無限遡行を止める方法です。


 しかしこれは独断に陥りやすいので「真理の整合説」を取るのがより妥当です。「真理の整合説」とは、真理とは何か、という問題に対する哲学上の立場のひとつです。この立場は、ある命題が真であるかどうかは、その命題と他の命題群との整合性によって決まるとする立場です。


 科学的な理論や仮説も、真理の整合説の一種と考えられます。科学的な理論や仮説は、観測や実験によって検証されますが、それは現実世界そのものを直接捉えているわけではありません。


 今から直感に反することを言います。

 時間や温度は、「そのものとして存在しない」のです。

(どこかで、水が100度で沸騰して0度で凍るって宇宙の奇跡だよね!! と言うネタを聞いたことがないでしょうか?)


 温度とは概念であり、私たちの感覚や測定器具によって作られたものです。

 ですので、温度が客観的な現実に対応しているとは限らないのです。


 しかし、科学的な理論や仮説は、現実世界をモデル化したものであり、そのモデルが現実世界と矛盾しない限り、真であるとみなされます。



 最後に、議論する定義に対して、自分の見解や結論を述べるとよいでしょう。


 ●見解とは、自分が定義についてどう考えたかをまとめることです。

 ●結論とは、自分が定義についてどう判断したかを結ぶことです。


 先の例を使いましょう。

 まず、「正義とは、人間の尊厳を守る行為である」と定義しました。


 そして私は、「人間の尊厳は文化や歴史によって変わるものではなく、普遍的な価値である」と考えた。


 しかし、人間の尊厳を守るためには様々な方法があり、それらは状況や目的によって異なる可能性がある。したがって、「正義とは一つではなく多様なものであると判断した」


 と、以上のように、見解や結論を述べますと、定義に対して議論していると言えるでしょう。


 以上が、定義に対して議論をする方法についての説明です。この方法は一例であり、他にも様々な方法があります。


 議論をする際には、相手の意見を尊重し、論理的で誠実な態度をとることが大切です。決して議論で嘲笑的、冷笑的、攻撃的な態度を取ってはいけません。


 しかし、論理的で誠実な態度を取るということは、けっして相手の言葉の言いなりになるということではありません。これは議論で相手の意見や視点を尊重し、感情ではなく理性で反応することを意味します。


 相手を尊重し、誠実な態度をとることは、誤った結論を導き出したり、思考の誤りに陥る事を避けるだけではなく、相手の協力を引き出し、議論を見る人達の信頼感を育てることが出来ます。


 逆に、嘲笑的、冷笑的、攻撃的な態度を取るということは、議論において相手の主張そのものより、人格や信用を否定し、感情的に反応することを意味します。


 これは、自分の主張の正しさを強化するどころか、相手との対立や敵対感を増幅させるだけでなく、第三者からの評価も下げてしまいます。


 しかし、これのもっとも危険な点は、攻撃的な態度というものは、相手を否定する態度であるということです。


 このために、議論している内容は、その正しさよりも、相手と違うものを優先して選んでいってしまいます。そのため、攻撃的な態度から議論をすることは、自分自身の思考や判断に誤りが生じる可能性を非常に高くしてしまうのです。



 以上です。

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