第13話 クロスジョーカー

 自分の名前が好きではない。

 自分の身体が好きではない。

 自分の技術が好きではない。


 …人は誰しもそういうものだと思う。それが隣の芝生が青いからなのか、自分が劣っている事実を突きつけられるのが堪えられないのか。いずれにしろ、それは18年ぽっち生きただけの俺でも分かる自明の理だ。


「…こいつらですら、そう思う事があんのかな」


 俺の胸の上で涎を垂らして気持ちよさそうに寝ているラパーチェと、俺の手の親指を咥えるツバキを交互に見遣る。といってもラパーチェの身体は見た者に一瞬で彼女の努力を告げる。


「無駄な脂のない絞られた締まった五体…」


 それに背中や脇腹、肩に刻まれた大小の古傷…そのどれもが急所を庇う目的で負ったモノだと一目で分かる。才能だけに甘えず、鍛え知識を蓄え使って身に付けて来た者の肉体。俺は無意識にラパーチェの顔を撫でていた。


「凄い奴だよ、本当に」

「…なにしてるの、ギンマル」

「おはよ…人の親指噛むなよ」

「うぅうー」

「猫か」


 ツバキを見てカワイイなんて思える日が来るとは夢にも思わなかった。


「起きろラパーチェ」

「ん…!? 僕は…」

「どいてくれ」

「な、なんで君がここに…? というか服は」

「あっちの椅子に畳んである」

「姫…一体何が起こったんだ」

「いつもの奴」


 やってしまったと目を隠すラパーチェは、恥ずかしいのか全身を赤く染めながら、胸元を隠してようやく俺からどいた。


(酔うと人が変わるのってマジなんだな)


 ラパーチェの目にはひっそり涙が浮かんでいた。改めて酒の恐ろしさを感じる。


「ギンマルは家がないと聞いた。私と一緒に暮らそ!」

「断る」

「な な な」

「姫! もう朝という事は出発しなくては。向こうも張り切っているようだし急ごう」


 早着替えを終えたラパーチェの顔にもはや酒の気配は1ミリもなかった。


「…」

「なんだよ」

「…ううん、行ってくる。それとこれ」

「鍵?」


 無言でこっちを見てくるツバキは1つの鍵を差し出した。家の鍵くらいのサイズだ。


「この部屋の鍵」

「!」

「勝手に使っていい。またね」

「…今日の事を誰かに話したら殺す」


 ツバキとラパーチェは別れと怨嗟の言葉を吐いて駆け足に出て行ってしまった。


「鍵…」


 ツバキからの施しなんて受け取れるわけもない。だが同時に、実際頼れる場所なんて今の俺には何処にもない。薔薇の装飾が施された鍵を眺める。


「居場所…か」


 今、という言い方は考えてみると不正解かもしれない。今も・・、が正解だ。


——


「…それで、パーチェは?」

「ギンマルか? あぁ、好きだよ」

「………………そう」

「別に取ったりはしないさ。腕も良いし、肝も据わっている」


 取らないなら別にいい。

…やっぱり嫌かもしれない。


「僕のパーティでも荷物持ちくらい…」

「……………」


 ギンマルがパーチェとくっついたり不可抗力でチューしたりする場面を考えただけで心臓があの時・・・みたいにバクバクと鳴り出す。


「冗談さ」

「いつまでもそうでいてね。パーチェ」

「姫次第かな」


——


 階下に降りると殺気だったラファエロと長身の…変な男が向かい合っていた。


「当館に御用でなければおり頂いてよろしいですか?」

「用向きはあり、さりとて至急の件でもなし。されど!」


 変な男は杖で床をひと叩きしてシルクハットを脱ぐ。振り上げた右手だけが回転し、やがて俺の方を指差して止まる。役者さんか道化のような職業の人やも。


「この盤上に新たな軌跡を与える異数! 狂瀾の宴の嚆矢…最後のピース。ようこそ、我が世界へ」

「…」

「…」


 仰々しい一礼は客席へ向けられるような雰囲気があり、拍手でもした方が良いのかと思わされる。が一言一句意味が分からず、苛ついてるラファエロと同じくただ無言で変な男を見つめる。


「もういいですか?」

「なに、何! 招いた客人に挨拶申し上げるのは主宰者の必然と…それが人の世の定めたる法度」

「じゃあ早く終わらせて帰って下さい」

「フフフ…」


 変な男が陽気なステップを踏みながら俺の前に跪く。彼の手には何も無かったが、握手しようとした瞬間花が出てきた。赤い赤いツバキの花。


「マジシャンか」

「好きなのですよ愚生。香り立ち、優雅で、贅沢で…」


 まるで椿の事を指しているように思える。


「罪を犯す女の象徴だから」

「」


 変な男の目は、明らかに俺の反応を…動揺を伺う卑しい者の目つきだった。美男子であるだけにもったいないように思われる。


「…なら、燃やせばいいだけだ。だろ?」

「ンアアアアアアアアアアアアアアア♡」

「…す」


 ラファエロの殺気がこの洋館の中の全てを覆う凄まじさを纏った。思わず一瞬身構えてしまった。


「…事を急ぐレディの色気もまた、一興。しかして今は時ではない。愚生、クロスジョーカーの名を自身に与えた。お見知り置きをば是非」

「ギンマルだ」

「フフフ、では」


 クロスジョーカーは如何にも胡散臭さを与える仮面を被って館を出て行った。同時にラファエロが駆け寄って来る。


「大丈夫ですか!? 刻印や呪いの一切は無いようですけれど…花?」

「いつの間に」


 俺の全身を触って異常が無いか確かめるラファエロの手は、俺のズボンのポッケで止まる。取り出したそれは先程の花だった。


「…普通のカメリアの花のようですね」


 それはフランス語だ。奴…クロスジョーカーの意図するところは多分。


「…ツバキ」

「ツバキさんがどうかされました?」

「いや、何でもない」


 俺の手を包んで続けるラファエロ。


「あの者…クロスジョーカーには関わらないで下さい。決して」

「わかった」

「あれは、邪悪の語源のようなものですから」

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