レシピ 3 パン屋さんの聖女

 天窓からの光がやや明るくなりかけた頃、私は目覚めて大きく伸びをする。


 まだ夜明け前の時間だがそこまで辛い訳ではない。

 教会に居た頃はこのくらいの時間に起きるのは当然だったからだ。


「よし! 今日からがんばるぞ!」


 そう私は静かに1階に居りて外の井戸から水を汲む。

 その水で顔を洗っているとシミットさんが起きてきた。


「早いな、眠くないか?」

「はい、大丈夫です!」

「そうか、来てくれ」


 こうして私が案内されたのはパン焼き工房だった。


「今からパンを作る。 セイカはパンを作った経験は?」

「あります。 教会でよく当番でしたから」


「ふむ、なるほど。 じゃあお手並み拝見だな」


 そしてシミットさんのパン焼きの説明が始まります。


「まず生地は昨日作ってあるのを使う」

「発酵させるためですね」


「そうだ。 だから朝はこの生地を成型して焼くだけだ」


「なるほど⋯⋯じゃあ生地を作るのは昼間ですか?」

「そうだ。 昼間は客も少なくて暇だからな」


 そういった段取りの説明を聞く私。


「じゃあ先に竈を温めておくか。 セイカ、火を頼めるか?」

「ええ、もちろん」


 おそらく私が昨日お風呂を苦も無く沸かしたので、火の管理は大丈夫だと思ってくれたのでしょう。

 私はシミットさんの指示通りに竈に薪をくべてから火をつけた。


「セイントファイヤー」

「⋯⋯魔法か?」


「はい、そうですけど? ⋯⋯もしかして駄目でしたか?」

「いや、俺は魔法が使えんから火打石しかないが使えるのなら魔法でも構わんさ」


「でも私、魔法が使えると言ってもこの種火みたいな火と、ちょっとした切傷が治せる程度の治癒魔法だけなんですが⋯⋯」


 私は聖女に成れなかった落ちこぼれである。


「十分羨ましいよ。 たとえかすり傷程度でも手を怪我したらパンが作れないから、すぐ治せるのはありがたいからな」


「その時はお任せを」


 まあ怪我なんてしない方がいいのですが。

 そして窯の温度が上がるまでにパン生地を分けていく。


「いいか? このパンは商品だから大きさや形をそろえるんだ」

「はい」


 いわゆるマニュアル化という工程である。

 自由に作ってもいい家庭のパン作りとは違うのだ。


 再現性と安定性が重要なのだ。

 そして私は習った通りに同じパンの形を作って並べていく⋯⋯


「上手いじゃないか、これなら安心だな」

「おほめ頂き、ありがとうございます」


 どうやらパン作りの腕は認めてもらえたようだった。

 そして最初のパンが焼ける頃にマフィンさんが起きてきた。


「おはようみんな」

「おう、おはよう」

「おはようございます、マフィンさん」


 朝の挨拶もそこそこに、そこからはまさに大回転での開店準備だった。


「ほい、焼けたぞ!」

「はいよ!」


 この夫婦の息の合ったコンビネーションで次々と店の棚に焼きたてのパンが並んでいく。


「さて、そろそろ開店ね。 セイカちゃんはこっちの手伝いね」

「ああ、こっちは一人でいい」


「はい、わかりました!」


 そして店の扉を開けたとたんにお客様が殺到する!?

 こんなに並んでいたの!


「やあおはよう。 今日はパン2つくれ!」

「はい、いつもありがとうございます」


「こっちは4つだ!」

「はい、お待たせしました!」


 次々押し寄せる注文を捌くので必死だった。


「セイカちゃん! この忙しいのはあと1時間くらいだから頑張って!」

「い⋯⋯1時間!?」


 私は目が回るようだった。

 そしてその激動の1時間が終わったのだった⋯⋯




「おつかれセイカ」

「今日はセイカちゃんが居てくれたから、いつもより楽だったわ」


「⋯⋯これでいつもより楽なんですか?」


 私には信じられない激務だった。

 もう一つ信じられないのは本当に1時間でピタッとお客様が途絶えた事だった。


「なんでこの1時間だけこんなに忙しいの?」


「それはだな今の時間がお客様たちの通勤時間だからだ」

「通勤?」


「この店のある通りの向こうが住宅街で、あっちが工場なんかがある商業区なのよ」


 ⋯⋯なるほど、それでか。


「ハッキリ言ってこの1時間で1日の売り上げの9割なんだ、この店は」

「すごい偏ってますね⋯⋯」


 あーなんかわかる。

 学校の購買とかそんな感じだった。


「このあと少し休んで、それから明日のパンの仕込みをしながらちょっとだけ残りのパンを焼いて終わりだ」


「⋯⋯という事は、マフィンさんはこの後あんまりお客様が来ないのにずっと店番なんですね?」


「そうなのよ。 だからこれからはその時間の店番をセイカちゃんに頼もうかと」


 なかなか驚きの業務形態なお店だった、ここは。

 しかしそれなら私でもやっていけそうではある!


「わかりました! お任せください!」


 こうして私は店番をして妊婦のマフィンさんを出来るだけ休ませるのだった。




 最初はこの激動の1時間をこなせるか不安だったが1週間も経つとそれなりに慣れた。


 マフィンさんの出産はおそらく半年後くらいだろうから、それまでに1人で朝の店番をこなせるようになるのが目標だ。


 そんな事を考えながら1人で店番をしているが⋯⋯暇だった。

 でもそれでも1時間に2・3人はパンを買いに来る人は居る。

 そういうお客様の為にも私がマフィンさんの代わりに店番をする意味はあるのだろう。


 でも⋯⋯もっとこの店に貢献できないか考えるようにもなる。

 それで私は色々シミットさんに提案したりしてみた。


「何か具を作ってパンにはさんで売るというのは?」

「ふむ⋯⋯だがあまり凝ったものは無理だぞ?」


 そこで私が提案したのは腸詰を挟むだけのパンだった。


「なるほど、これなら簡単だな」


 窯の中に腸詰を入れて軽く焙る程度なので、とくに難しくも無かった。

 この新メニュー『腸詰パン』はヒット商品となり売り上げが20%ほど上がったのだった。


 次に私は空いた時間にクッキーを焼かせてもらって、それを昼間に販売した。


 これは今まで居なかった子供の顧客を作ることに貢献した。

 教会での反省を生かしてギリギリまで材料費を削ったので、その辺の子供でも買える値段にできた。

 まあこっちはそれほど店の売り上げには貢献していないが⋯⋯


「まあいいだろ。 未来の顧客の為の投資と思えば」


 というシミットさんのご厚意で続けさせてもらえている。


 まあこんなところが私の今の日常であり、この店の変化だった。




 それからも店の売り上げは順調で、私も仕事に慣れて、マフィンさんのお腹も大きくなっていく。

 そんなこんなで気がつけば3か月ほどの時間が経つのだった。

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