第39話

      ◆


 生死を分かつものが確かに存在するとして。

 それはあるいは覚悟の差かもしれず。

 あるいは、自棄のようなものかもしれなかった。

 俺と僧服の男がすれ違い、向き直り、向かい合う。

 俺の首筋からは血が流れている。そう、吹き出しているわけではない。浅手だ。

 僧服の男は左脇を引き裂かれていた。俺の剣が触れたところだ。男は片手に剣を持ったまま、そこを押さえているが、手が瞬く間に血で染まり、さらに血は地面へと落ちていく。

 日和ったか、と男が囁くような声で言って、ぶるりと震える。

 日和る。まさしくその通りだった。

 俺がこうして際どいところで勝ちを拾ったのは、戦闘経験でも、天性の才能でも、練り上げた技でもなく、最後の最後で発揮された、野性のようなものだった。

 男は相討ちを良しとしなかった。当たり前だ。俺も死んだだろうが、自分も死んでしまう。

 しかし俺は違う。

 相討ちを肯定した。

 死を恐れなかった。

 死など、流刑者として戦場で数え切れないほど経験している。

 今更、恐れる理由はなかった。

 この自暴自棄のような、感覚の麻痺から生じた俺の行動に、僧服の男はついてこなかった。

 致命傷を避けるために、俺に致命傷を与えるはずの一撃を緩めた。

 俺は細く息を吐き、剣を下げたまま僧服の男に背を向ける。彼はしばらくは動けない。こちらの戦闘能力はおおよそ彼も把握したところだろう。下手に打って出れば、重傷の影響で返り討ちにあうと計算できるはず。

 もっとも俺としても、ここからどうするべきかは、悩ましいところだった。

 もう基地都市にはいられない。相手が僧服を着ていた以上、神権教会は俺を追うだろう。

 足は自然と城壁の門へ向かい、日が暮れる寸前の闇の中で、まだ門扉は開かれていた。

 そこに一人の男が立っており、こちらに歩み寄ってくる。周りには血まみれの上に抜き身の剣を下げている俺を見て怯えるものばかりだったので、その男はやや異質だった。

 しかし、きっとここまでの経緯も把握していたのだろう。

「死なないとは思っていたが、際どかったようだな」

 エイグリアはそう言うと、ちょっとだけ口元に笑みを浮かべ、肩を竦めた。

 俺は、手に下げているままの剣を見せる。

「これは、エイグリアの?」

 やっと声が普通に出るようになっていたが、極端な心理状態に置かれていたせいで、声が出づらいことなど忘れていた。

 俺の言葉に、エイグリアが首を左右に振る。

「別の御仁の剣だよ。預かろう、後で返しておく」

 なるほど、と思った。エイグリアでなければ、あの禁軍の男が剣を貸してくれたのだ。

「どこへ行く? アルタ」

 まるで明日の予定を聞くような調子のエイグリアに可笑しみを感じながら、俺も簡単な調子で答えた。

「北へ戻る」

「また、戦場か」

「他に、生きる場所を知らない」

 不思議な奴だな、と言ってエイグリアが手を差し出すので、俺は剣を手渡した。

「ありがとう、エイグリア」

「礼を言うなら、今度、北で会うことがあったら、その時は味方してくれよ」

 それがどうやら、エイグリアなりの別れの言葉らしい。

 俺は頷いて、「じゃあ」と彼の横を抜けようとした。そこでエイグリアがやっと思い出したかのうように言った。

「そこに木箱があるだろう。持って行け。おまえのものだ」

 木箱?

 確かにエイグリアが指差すところ、石畳の上に直接、細長い木箱が置かれている。

 いかにも異質だが、ピンと来た。

 こうでもしないと、運べないものが入っている、ということか。

「ありがたく、受け取る。また会おう」

 俺は木箱を持ち上げ、今度こそエイグリアと別れた。門衛はエイグリアから働きかけがあったのだろう、明らかに不審な俺の様子を見ても、引き止めることはなかった。

 俺はいい友人に恵まれたようだ。唯一神など信仰も信奉もしていないが、この一点に関しては感謝してもいい気がした。

 荒野へ俺は出て行く。すぐに日ははるか彼方の稜線に沈み、全てが闇に覆われる時間がやってきた。

 それでも俺は歩いていく。

 全身の傷が疼くが、それもどこか心地いいのは、もはや俺が人間には戻れないことを証明しているようだった。

 全てが最初からの定めだったのか。

 俺が生まれた時から。俺が生まれる前から。

 人として生まれ、人ではなくなる定め、か。

 歩き続けるうちに、気づくと夜空が垣間見えた。星が瞬き、夜空は闇でありながら、地上の闇とは違うようだった。

 足は止めなかった。

 向かう先などない。どこか遠くへ、行きたかった。

 俺にふさわしい場所に。俺におあつらえ向きの、ある種の地獄へ。

 夜が明け、朝が来て、薄暗い昼がやってくる。

 空腹を感じ始めた頃、魔物の群れと遭遇した。俺はここに至って初めて、木箱を開封した。

 想像通りのものが入っている。

 俺が亡者から奪い、乙種流刑の間、使い続けた剣。

 呪詛の剣。

 柄を握ると、それだけで体に力が蘇るような錯覚があった。

 魔物たちは、何も知らない。

 自分たちが何に挑んでいるかも、どんな未来が待ち構えているかも。

 魔物たちは瞬く間に惨殺され、生き残ったものは必死に散り散りに逃げていった。

 俺は魔物の死体の真ん中に立ち、生々しい肉の塊を見下ろした。

 伸びる手が、震える。

 魔物の肉体を食うことなど、日常だったはずだ。

 それが今は、どうしてもできない。

 飢えと渇きを感じながら、それでも俺は結局、魔物の肉を食らわず、血を啜らなかった。

 再び歩き始める。

 俺は人なのか、それとも人ではないのか。

 繰り返される戦闘と、積み重なる疲労。視界は霞み、足はぎこちなく歩を進める。

 いくつもの夜を越え、いくつもの昼を過ごした。

 夜と昼の繰り返しがいつまでも続く。

 気づくと俺は、そこに立っていた。

 かすかに人の手が入った痕跡のある地面と、倒壊している建物。

 俺は周囲を見て、息が漏れた。

 戻ってきた。

 俺はここで生まれ、ここで育った。

 一度は捨てた故郷。

 もう何も残っていない、故郷だった。

 父もおらず、亡霊もおらず、女もいない。

 俺だけがここに残っている。

 俺は真っ直ぐに立って、ただその家の成れの果てを見ていた。

 どれくらいの間、そうしていたのか、近づいてくる気配に気づいた。そちらを見ると、みすぼらしい服装の男が数人、歩いてくる。背中に荷物を背負い、どうやら戦場で回収した武具のようだった。

 一人が俺に気付いたようで、指差した。彼らは三人組で、かなり警戒していたが俺が一人きりだったせいだろう、すぐそばまで近づいて来た。

 三人は胡乱げに俺を見ていたが、一人がハッとしたように目を見開いた。

「お前、アルタか? 違うか?」

 俺のことを、知っている人がいる。

 それは、思ってもみなかったことだった。

 俺が頷くと、三人は顔を見合わせ、何かの意思疎通をしたようだった。

「こいつは驚いた。お前、いきなり消えちまって、それきりだったから、てっきり魔物に食われたと思っていたよ。どこで生きていたんだ? いや、ここじゃ落ち着かないだろう。うちへ来いよ」

 代表した一人が一方的に喋り、提案してくれた。

 ついていっていいのだろう。

 俺のような存在が。

 男が手招きする。

「ほら、来いよ。そろそろ日が暮れちまう」

 確かに周囲は薄暗くなっていた。

 あの基地都市を脱出した時も、似たような時間帯だった。

 あの時は、俺は送り出される存在で、今は、受け入れられようとしている。

 辿り着くところへ、辿り着いたということか。

 川に流されていく一枚の葉が、約束されたどこかへ流れ着くように。

 俺が頷くと、男たちも頷いた。

 これがどうやら、俺の旅のとりあえずの終着点のようだった。



(続く)

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